私の脊髄梗塞日記 2016年版 ~10年後、20年後の脊髄梗塞患者のために、私のありのままの生活をブログに残していく~(あした天気にな~れ!からの転載)
2021/03/08
ども、田口(@tagu_h1114_18)です。
3年ほど前から文章の編集と発信のお手伝いで、脊髄梗塞患者であるマルさん(仮名)と共に7本の記事を作り、このブログでもご紹介してきました。
・第1回:「歩けないけど歩きたい!」突如患った難病"脊髄梗塞"と共に生きていく人生(あした天気にな~れ!からの転載)
・第2回:認知症の母と脊髄梗塞の私の、お茶の間合戦。それでも母に寄り添って…。(あした天気になーれ!からの転載)
・第3回:歩けないわたしが、わたしらしくあるための”脊髄梗塞”リハビリ日記 前編(あした天気になーれ!からの転載)
・第4回:「ただ生きている。それだけでいいんだぞ!」8ヶ月間、一日も欠かさずお見舞いにきてくれた夫に生かされて…。(あした天気になーれ!からの転載)
・第5回:歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記 (1/5) あした天気にな~れ!からの転載
・第6回:本当の意味での”自立支援”はどこにあるの?多くの障害者にとってバリアがあり過ぎて、法律も街も仕事もお金も、手も足も出ない。(あした天気にな~れ!からの転載)
・第7回:私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (1/5) (あした天気にな~れ!からの転載)
※なお、現在はnoteにてゆっくりとブログを更新しておりますので、もしよろしかったらこちらもご覧ください。
脊髄梗塞という下半身が動かなくなる難病のことや、その入院生活や在宅生活、リハビリのことなどを日記帳で綴ってきたものが中心です。その身になったことがない僕としては、読んでいて痛々しいことや、ちょっと目をそむけたくなるような内容もあったりしました。
ですが、マルさんとお話していて思うのは、制度的なことやサービスなどで歯がゆい思いをすることも多々あるそうですが、そういう現実に一つ一つアタックして、自分ではどこまで出来るだろうかと主体的に動いていく。公共交通を使った移動でも、車椅子の選定でも、リハビリでも。障害者だからと言って受けられるサービスと技術の進歩を待っているだけじゃない。そういう姿勢を小さな日常の中でずっと持ち続けていて、現在もまだ治療法もないけれど、「明日をみている」印象を受ける。だから僕も、編集のご協力をこれからも続けられればいいなと思うのかもしれません。
今回は第8回目の記事。
7回目から半年ぶりの更新となりましたが、マルさんが日々綴っている脊髄梗塞日記の、2016年版を一挙放出です。25,000字越えとブログにしてもかなりの長文ですが、時間の許す限りじっくり読んでみてください。
また、同じような悩みを抱える全国の脊髄梗塞患者の方を始め、医療の現場で奮闘している医師、看護婦、リハビリスタッフさん、家族の方々に届けば、嬉しいです。
では、本文をどうぞ。
新年度、平成30年4月からは、さまざまな事が改まるとか。多くの支援を受けている身としては介護、医療報酬の面からも不安な思いもありますが、新しい年に期待したいと思います。
ご無沙汰しておりましたが、まず最近の私の様子をお知らせします。(2017年12月に綴った)
病気(脊髄梗塞)を発症して4年目になりますが、この一年間で体重が7kgも増加し、44kgを越えました。病院を退院したころは37kg弱。10kg以上も痩せてしまい、皮膚下脂肪が薄く、少し指で押しただけで内出血したり、傷や黒アザが出きたものでした。世間の人は脂肪を避けがちですが、骨、皮膚を守っている大切な物ですヨ。
不思議ですが、花粉症になった際に抗ヒスタミン剤を服薬したところ悩まされていた吐き気が楽になり、食事が美味しくなりました。抗ヒスタミン剤は車等の酔止めにも使われる事もあるそうですが…。また、リハビリを重視し、継続してきたことで体力がつき、痛みも少しずつ楽になりました。痛み止めの量を少しずつ減らし、現在は3分の1の量に削減されました。そして脈拍は1分間に80~100回と頻脈でしたが、最近は70~80。ほぼ平常値となり安定してきたようです。根拠はありませんが、病院のご厚意により通院リハビリを1年半定期的に続けてられてきたこと、医師のきめ細やかな診療、訪問リハビリ、訪問診療、私を支えて下さるスタッフの皆様、ご友人、家族の協力もあり、体調が落ち着いてきたと思います。皆様に本当に感謝して毎日を過ごしております。しかしながら、脊髄の神経を再生することは神技のようです。相変わらず腕力で立てどもその先に進めないのが現実で、私の足は車椅子です。
この頃は自分のブログを読み返したり、ブログにメッセージを頂いたお便りを読んだりさせてもらい力を頂いております。そんなおりに『脊髄梗塞』という病気を聞いたことがある方にお会いすることがあり、逆に私が「えぇ!」と聞き返すこともありますが…。『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』という難病も今から30年以上前は、世間の人にはほとんど知られていませんでしたが、今は知られてきました。しかし今だ治療はiPS細胞をしても研究はまだまだ未知数ですが、大いに期待を持ちたいものです。
8段目となるこのブログ『あした天気にな~れ!』は、病気を患っている方、事故等で障害を負われた方、そしてそんな方々を毎日支えて下さる医療、介護、ご家族、周囲の方々に少しでもお役に立てるように願い、感謝の気持ちからいつものように、ありのままに私の生活の様子を綴ろうと思います。
脊髄梗塞に突然発症、両下枝不全麻痺により車椅子生活、体の不調、痛みにも悪戦苦闘する中で“障害者として”「あした天気にな~れ!」と明るい未来を願っております。
2016年日記より
○1/1
元旦は晴天です。今年も宜しくお願い致します。
○1/3
外に出るだけでも苦労している私、自分へのご褒美に退職金でスマートフォンとタブレットをセットで購入しました。「スマートフォンとタブレット?!2つとも同じ物じゃ…。」こんなこともわからぬおばさんですから操作が難しくて。年明けから頭をかかえておりますが、インターネットで家の中にいても世界が広がったら良いと思うのです。それはさておき新年早々に疑問が…。
スマホ、タブレットを購入の際に利用料金の障害者割引をお願いしたのですが、既にいろんなサービスを利用しているので一ヶ月の利用料はあまり変わらないとか。『ガッカリ』したものの、個人証明書を提出するよう言われたので身体手帳を提出したところ、「運転免許証をお願いします」と言われました。『えぇー、障害者割引の証明書が身体手帳じゃだめなの?!』運転免許を持っていない方はどうなるのだろうか?!疑問だらけでしたが、言われるがまま免許証を夫から家に取りに行ってもらい提出し購入しました。そんな電子機器、高額なオモチャなのに逆にもて遊ばれております。
○1/9
お正月気分もだいぶ薄れてきたころ、昨年暮れに頂いた赤い車椅子の調節をしに福祉用具店の担当の方が訪れて下さいました。既製品の車椅子は私には少し大きかったようです。家には物が多く、乗りこなすのは大変ではと…。ましてや不慣れな屋外では、自走できるようになるまでに時間がかかると思われますが、私の大切な赤い車椅子です。この頃にはフットサポートを上げて床に足をついて、パタパタと脚を動かせるようになりました。しかし、車椅子のハンドリングでタイヤが進み引かれるように足が動く、が正しいのですが。
車椅子のフットサポートの取り扱いには、足の怪我や転倒防止にご注意を!
だから自分の足で床を蹴ることは出来ませんが、それでも嬉しいです。体の変化もあり、補装具用の車椅子の改善には今なお悪戦苦闘しております。担当の方にはあれやこれやとご迷惑をかけ続けてしまいます。
○1/20
大雪ですが、定期通院日です。今回は主治医に大切なお願いがありました。
従兄より脊髄専門医を受診するようにと、昨年末にクリニックを紹介してもらっておりました。有難いことだと思います。セカンドオピニオンと言う言葉はよく耳にしますネ。他の医療機関を受診する事ですが、私は”サイドオピニオン”を考えています。サイドオピニオンとは私の造語ですが、今まで通り神経内科・麻酔科に見ていただきながら、他の医療機関の科の違うドクターの受診を受けることです。私の場合は脊髄科。そのための紹介状を主治医にお願いしたというわけです。私はもう3年間ドクターにお世話になっております。信頼関係はどんな高度な医療にも劣らぬ価値があると思います。心よく紹介状の受け入れを頂くことが出来ました。
○1/22
大雪の中、サイドオピニオンを聴くために県外のとあるクリニックへと夫と長男が仕事を調整し、車を走らせてくれました。その日は前泊し、翌朝早くから主治医の紹介状を持って受診しました。一ヶ月以上前から何度と電話で相談していたので受診はスムーズ。MRI、CT検査等をへて結果を聴くことが出来ました。特別変わった結果もなく、手術等も必要としない、脊髄梗塞による影は改善されているようだとのこと。神経内科的治療では、長いリハビリ等で改善されることも?しかし難しいだろう。そして現在のシステムではリハビリを利用できる機関はないと思われる。それでもリハビリが出来るように主治医にお手紙を書くので何とかリハビリを続けられたら良いと思いますと。「ありがとうございます。大変お世話になりました。」とクリニックを後にしました
ところで前泊したビジネスホテルはインターネットで予約したのですが、高速道路のインターを降りたところにあって、一泊朝食付きで7,000円程度でした。バリアフリーで、車椅子生活の私でも夫の介護付きで入れるお風呂と、一人で使えるおトイレがありました。ぐっすり眠れるフカフカのベッドに、持ち運びができる移動バーがありました。そしてさりげなく、洋服掛けハンガーが普通の高さと車椅子の人でもとどく位置に取り付けてあったことには感心させられました。高速のパーキングには障害用トイレがあり、頻尿で困る私には道中快適な小旅行を思わせてくれました。高速インターの近くにあるバリアフリーのホテルがパーキングでも探せることも知りました。「あー、車って良いナァー。自分で運転してどこへでも行けたら良いだろうな~!」そんな思いがフツフツと湧いてきますが、健康で働いている方でも車を持つには大きな投資が必要…。現実には壁が多い…。これ以上家族に負担をかけたらバチがあたるかもと―。まずは夫と息子に感謝です。「ありがとう、お疲れ様。」
持ち運びができる移動バー。
○1/29
この日、東北は雨なのに関東は雪。なんだか変です。”変”と言えば今日、リハビリ用ロボットが難病患者への保険に適用されることが認められたとニュースで報道されています。でも、私の病気(脊髄梗塞)は、特定疾患にも難病にも認定されていないので保険適用ができず、高額で手が出ない。ピッタリのリハビリマシンらしいのですが、、、。『世の中には変なことが多いものですね。』
○2/23
今日も雪です。長く寒い北国の冬、体のキツイ日が多く続きました。足先から痛み、シビレが上の方へ。胃のあたりがムカムカ、耳がポーっとする日もしばしばです。いっそ冬眠出来たなら楽だろうと思ってしまうほど。そこへ思いかけず大阪行きの話が持ち上がりました。冬眠出来ないなら暖かいであろう関西へ行くのも良いかもと。。。まず美容院へ行き、身支度から。夫はチケットの準備で忙しそうです。
○2/26
今朝も雪、息が白いです。予定していた大阪行きの日となりました。朝の便で飛び立ち、12:50には羽田空港に到着。そして13:45発の飛行機で大阪へ。16:45関西空港着、ふたっ跳びです。その後は介護タクシーでホテルへ直行。タクシーに乗っている時間のほうがかえって長く感じられましたが、無事に着きました。障害者になって以来初めての旅行で、家の中から脱出した感じがありました。車椅子での旅行は車で高速道路を走るか、飛行機でひとっ跳びが快適と思われます。東北地方から関西地方まで片道2時間余りでしたから、体への負担が思いのほかありませんでしたが、お金はかかりましたけれど。障害者割引を利用しようと思いましたが、予約する際パックにした方が良いと言われ、家族パックにしました。
車で空港へ行き、窓口で搭乗手続きを行い、車椅子の方は機内専用の車椅子に乗り換えます。そして自分の車椅子は大切な物として、他の荷物とは別あつかいに預けます。荷物とさよならした後に夫(付き添い)と私は、女性スタッフの方の案内で通常とは異なる通路を通ります。30分位余裕があるのを利用して、空港内の障害者用おトイレで用をたしてホッとひと安心。ちなみに女性スタッフの方は美辞で優しく、おトイレはキレイでした。車椅子の人は最初に飛行機に乗ります。内の通路は狭いので車椅子の車輪を外すことが必要です。これは初体験だったので少し驚きでした。そのための飛行機専用の車椅子なのですが、私には座面が高いし、形が重厚なので、おトイレに入った時は不便を感じました。
いろいろありましたがようやく、窓側の前席に夫と一緒にようやく座ることが出来ました。同じ料金でビック対応です。飛行機が飛び立てば、羽田空港まで一時間程度とアッという間。窓の外の景色も見る間もなく羽田へ到着した感じでした。着陸後、飛行機を降りるのは車椅子の方は最後とか。車椅子の車輪をつけてもらい乗下。ここでも障害者トイレで用をたし、その後シャトルバスに夫と私と、乗務員2名を乗せて大阪行の飛行機へと移動。シャトルバスには昇降台が付いていて、バスごと上にあがり飛行機の横の部分から乗ることができました。再び車椅子の車輪を外し、前方の窓側の席にプッシュアップして乗り移ります。そこへ他の乗客が大勢乗り込んで来て一路、関西空港を目指し約一時間の旅です。空は晴れわたり、海と建物が見下ろせます。が、失礼な物の言いようですが富士山を見逃したこともあって感動はなかったように思います。
そうして無事に関西空港に到着しましたが、ここでは車椅子でも通れる通路と直接連携できているのでシャトルバスは不要で便利でしたヨ。そして荷物を受け取り、自分の車椅子に移乗。「あ~やっぱり自分のが良いナ~」。空港からは予約していた介護タクシーを利用し、目的地である大阪府堺市のとある国際ホテルへ。到着する頃には外は暗くなっていました。夫と合流した息子は大阪に前のりして大阪の夜を楽しんだようですが、私には外に出る体力もなく、買ってもらったコンビニの調理パンとペットボトルの飲み物で薬を流し込んだ感じでした。
ホテルのバリアフリーのおトイレで用をたすと、フカフカのベッドへ。両足の装具を早く外したくて…。足がパンパンです。こんなにも装具が重たく、窮屈だと感たことはありませんでした…。早々とベッドで休むことにしました。それでも、両足不全麻痺な私が飛行機に乗って遠出することができたことに大満足です。でも、介護タクシー2日間で6万円は高額。障害者になると物入りでお金もかかるのは残念ですけど。
○2/28
太平洋側はこんなに冬でも青空なんですね。薄手の上着でも良い感じですが、乾燥しているので風は冷たいですね。デパ地下で大阪のおばさん、いやお姉さんからお土産物を勧められてついつい買い過ぎました。宅急便にしてもらい身軽に。でも私が大きな荷物ですけれど…。楽しい大阪の旅でした。息子の事で親の務めを果たそうと踏ん張った旅も終わり、介護タクシーは関西空港へと私たちを運びます。帰路は来た道を巻き戻すように北の空へ。お昼の便で立ったのですが、夕方には雪化粧の平野が続き、海岸沿いの飛行場へ降り立ちました。空気がやっぱり心地良い。「ただいま、無事に帰って来ました。ありがとうございます。」この時期の我が家には大仕事でもあり、あがきにも似た旅でもありました。『道は開くもの』とある人が話されましたが、そうあってほしいと思います。
翌日は張りつめた心が切れたように、疲れもドッと出てクタクタに。忘れていたように気にかけないでいた痛みも強く感じられ、薬を服薬してベッドで休むことに。そういえば、大阪と私の住む東北では10度以上も温度差があります。無理もありませんが、小さいと思っていた日本国、意外と広いんですね、
○3/23
本日は定期通院日。季節の変わり目でも意外と元気に生活できていると思います。”車の運転ができるように”という目標をもち、リハビリ病院への紹介状を頂きたいと思っておりました。以前、脊髄専門医を受診し、主治医にお手紙を頂いたことで心良くリハビリ病院への紹介状を頂くことが出来ました。『ありがとうございます。』多くの方々に感謝です。
○3/29
雪も消え、春めいてきました。晴れて気持ちが良いはずなのに、花粉症のせいかぜくぜく、むずむず。不快です。その上、訪問看護師さんが移動になるとのことで、新しい担当の方と同行して訪ねてきました。残念ですが春はそんな季節の繰り返し。季節も人も、景色も移ろい巡るのが世の常でしょうか。受け入れて行きましょう。体が不自由になれば、受け入れなければ生きていくのが難しい事も多くあります。母の入っている施設もまだ安定せず、3か月置き程度に変わったりで。法的に3ヶ月ごとに更新手続きが必要のようで。『辛くはないだろうか?どうか、どうか少しでも穏やかな生活を』と願うばかり。それなのに私は何一つしてやれずにいます。「ごめんなさい。」もうすぐ花見の日和が…。
○4/7
思いは届くものでしょうか!通院リハビリの可否を決めるオーディションといえば大げさですが、簡単に言えばただの受診なのですが…。通院リハビリを願うこと三年近く、ドキドキで結果を待ちました。嬉しい事に、ドクターより通院リハビリを受け入れしますとのお返事をちょうだいしました。「ありがとうございます。」
嬉しい事は続き、午後からはブログの事でTさんがわざわざ我が家を訪れて下さいました。ブログは4段目となりますが、毎回作成に苦労しておりました。私のタブレットは操作方法がわからず飾っているような状態でした。タブレットでブログ作成がスムーズにできたらと思い、急遽タブレット・スマートフォン教室に変わってしまったのですが、そんな時でもTさんはいつものように親切に私の申し出に応じて下さいます。本当に感謝で一杯ですね。さっそく写メを取り、それを送り、ブログの修正や訂正等もやり取りが出来るようになり、本当に助かっております。正直に申せば、この頃になってようやくネット上で自分のブログを読むことができるようになって。。。(///△///)いろんな事で春を実感した日になりました。
○4/12
初の通院リハビリの日です。通院ですので、送り迎えは夫が。昼休みを調整して私のために一時間半の大切な時間をつくってくれています。この頃から、通院の際は少しでも自分の力で病院内を動こうとし始めました。病院ほど安全な場所はありませんからね。玄関の自動ドアが開くと病院のロビー⇒受付へカードを出します⇒障害者用トイレで用をたす⇒向かって左側にリハビリ室(PT室)があります。(リハビリ病院内は体の不自由な方も多いので、周囲に気を付けながら車椅子を操作する必要があります。)⇒リハビリ室では担当のPT(理学療法士)さんにご挨拶して荷物は背中のバッグへ。補装具を外してリハビリ台へプッシュアップで乗り移ります。私のベッドの高さより少し高いのでチョット恐いのですが…。
最初にPTさんから説明がありました。
1. 座位から立ち上がるには膝の上あたりの筋肉を鍛えると良い。前に体を倒して膝が伸びるとお尻の筋肉もついてくる。(例1)椅子などに手をついてお尻をあげる運動 (例2)膝を伸ばし足を上にあげる運動
2. 筋肉は筋力トレーニングで。痛みが出た時は筋を痛めるから休むように。痛みが取れたら、またトレーニングを繰り返します。年齢を考えると軽いトレーニングを自宅でも少しずつ長くやる方が良いのではと。
3. 車の運転を最終目標に
① 現状では足首が動かず、アクセル・ブレーキを踏めないと思うので、手動の方が良いと思う。⇒家族で車を共有するのは難しいかもしれない。
② 車へ収納しやすくするために車椅子を軽くする。スポーツタイプのようなものが望ましいけれど値段がグッと上がる。が、保険の申請をしようにも今の車椅子に6年間乗らないと出来ないため、今買い替えれば負担が大きくなる。
③ 車椅子を持ち上げる腕力+後部座席への収納が必要。またはリフトを使って車の上に収納するタイプもある。取り付け代約50万円+車の運転改造費 または、車椅子ごと入る車もあるが、高額になる。
④ それらを諦めて、タクシー券やガソリン券をもらってタクシーを利用する(ただしガソリン券は使用する車を本人名義にする必要がある。)
4. 通院リハビリは目標があり、期間が定められている…。ここ、重要です!
という具合に一回目の通院リハビリは説明と、私の体の可動域を見る45分間のリハビリとなりました。聞き取りが間違っていたらごめんなさい…。次回の予約を確認して、夫の待つ駐車場まで恐る恐る自走して行くのだけで、やっとのことです。しかも、残念ながら現在も出来ることはあまり変わりません。恥ずかしながら…。丁寧に説明して下さったPTさん、多くの相談を聞いてくださった方々には申し訳ありません。
○4.15(金)
午後9時20分頃、熊本地震 震度7!一瞬で変りはてる地震の恐ろしさ、気の毒です…。私は脊髄梗塞により障害者になったけれど、まだマシかも?世の中いつどうなるかなんて、本当にわかりません。
○4/16(土)
再び震度7.6の大地震が続いて、熊本県~大分県へ災害は増していく。どうか一日も早い終息、復興を祈るばかりでした。あの東北・福島の悲惨な震災がよみがえりますが、何も出来ません。思うのです。お国の税金で生活させてもらっている私がそのお金を募金するのも気が引けてしまいます。人間が出来てないのかもしれませんが、せめて穏やかな生活を送れていることを有難いと思います。
○4/19
2回目の通院リハビリ、お天気ですが夕方には雨が降ると思います。私の体は雨が降ると、それを教えてくれているように足全体の痛み、ビリビリ、ギシギシします。でも、痛みとの付き合い方も上手になってきました。こんな日には痛み止めを1~2錠増やして体を動かした方が楽です。PTさんが強張った足首~指の先の辺りを中心にマッサージや、屈伸運動を施してくださいます。その後は平行棒へ移動して立ち上がりの練習ですが、立つための神経、筋肉がありませんから、PTさんの力を借りながら肘つき椅子の肘の部分をつかみ、椅子の座面に膝を当てて、PTさんの力と、可能なかぎりの面・点を伝い、それらの力を借りて、平行棒へのつかまり立ちを5分程度頑張ります。つかまり立ちは随分前から出来ておりましたが、その先には進めないようです。それでも私の場合、立って足の平で床を踏み、加重をかけるのが目的のようです。その頃の私の体重は、両足の装具や衣類を着た上で計ってもたったの37kg。骨と皮!!関節がガクガク音を立てるし、骨の中もスカスカ…?!人間は一ヶ月程度筋肉を使わないと体力等が低下、肉はブヨブヨとコンニャクのようになり、肉を覆う皮膚から油分が抜け、皮膚がカサカサになり粉が舞う。そしてそれを支える骨の中もスカスカとなって行く。私はその一連の体の変化を我が身で体感したというわけです。
人は誰しも老いていき肉体の衰えを実感するのでしょうが、普通それは数十年という年月を経て経験するはず。ですが、病や事故で壊れ、突然に経験することも…。私は貴重な体験をしたのかもしれませんが、あまりにも辛く、年月が過ぎても辛い思いが湧いてくるようで、リハビリをしていてもサービスを受けていても吐き出すようにお喋りを延々と続けるのがクセになっておりました。今日もPTさんと他愛のないお話しを延々と―。あっという間の45分間のリハビリが終了です。「ありがとうございました」と、リハビリ室にかるく一礼して退出するのが私流です。
○5/4
早いものでもう初夏。ゴールデンウィーク、気温は上がり、28度と夏目です。急に高温になったせいか、ヒリヒリとした痛みに変わってきました。連休中は遠くから親戚の方達が遊びにいらして、墓参りへ足を伸ばして…。その後はお昼にみんなで中華料理をご馳走になりました。私が脊髄梗塞を患い、足が不自由になってからは年に1,2度、こうして顔を見せに来て下さるようになりました。「遠いところ来てくれてありがとう」-と。
次の日、私も少しだけ外出しました。発病以来バリアフリー以外のお宅にお邪魔したことがありませんでしたが、初めて息子に背負われてお邪魔することになりました。神棚のある畳の上に何とか横座りをし、そのままで”手を合わせ神様を拝む(神道のお宅だった)”たったこれだけの行為に3年間掛かりました。畳の上に座ると体がフラフラと揺れるし、お尻で踏ん張ろうとすると、仙骨の辺りに電気が走ったかのような激痛が。片手で体を支えながら恐る恐る横座りした次第で。それでも大満足です。今までなんのご挨拶も出来ずにお世話になりっぱなしだったから。でも、30分ほどお喋りすると、そそくさと車に乗り、帰りました。お恥ずかしい話ですが、私のトイレタイムは2時間以上間を開けることができません。障害者用トイレでないと用がたせませんし。ウルトラマンは3分ですが、私は2時間。排泄の工夫治療は現在いろいろな方法がありますが、私は自然排尿にこだわってリハビリしてきました。その結果、外出が制限されることも度々です。
○5/7
雨がシトシト。本日は一日中気分が悪かったです。胃の近くまでビリビリ、ムカムカと。そんな日に母の正式入所となる有料老人ホームへの引っ越しとなり、父と夫が対応していました。母がシトシト雨を降らせているように思えて仕方ないのですが…。二人が帰宅して、「こじんまりした所で、個室だし良い感じだったヨ。」と伝えてくれました。ホッと胸をなで下ろした次第です。
○5/26
早いもので通院リハビリを利用して2か月近くなりました。血圧測定、異常なし。体重は?「ワァー、2kg増えた!」食事の量も同じ。特別なこともしていないのに3年ぶりに少しずつ体重が増え、41.5kgです。夫が「顔色も良いぞ」と笑顔で声をかけてくれます。今まで落ちて行くばかりの体重でしたから、嬉しい日になりました。
○5/27
最近予定が立て込んで、夫も私も慌ただしい感じ。夫が付き添ってくれ、普通自動車免許の更新手続きのために警察署へ行って参りました。更新出来るのかと不安でしたが、”障害者マーク”を受け取り手続きは意外にスムーズにできました。後日、講習が必要です。
午後からは訪問リハビリさんが訪れて、足の補装具のことで相談しました。以前から硬装具(膝下から、指までの装具)を長く装着していると足が痛くて、辛いとOT(作業療法士)さんに訴えておりました。今日は足首を固定するサポータータイプの軟式装具を試しに使ってみて下さいと、持参して下さりました。「いつも親身に私の話に耳を傾けて下さり、ありがとうございます」なんか良い感じです。
○5/31
補装具の事を考えていた折に通院リハビリ。この時を待っておりました。そして病院に時々訪れる装具技師の方とも相談でき、”プロペクター”という軟式装具を購入することにしました。新しい装具の購入が決まり、ウキウキした気持ちが2,3日後にペチャリ!へこんでいます。車椅子に毎日座っているせいか、ロホクッションが壊れたみたいです。空気が抜け、クッションの一部が凹んでいます。「あー、こんな時に出費が増すなぁー。」福祉用具店担当の方にすぐに電話をかけ、取り急ぎの代替品と修理をお願いすることに…。「いつもすみません。でも壊れやすいクッション…?」足は痛いし、お尻は痛いし、ふところも痛くなりそうです。
○6/4
忙しかったりトラブルがあったり。その上天気はムシムシと…。イライラが募っていたようです。かねてから車の運転を一番の目的で通院リハビリを始めました。自動車免許の更新手続きをしている中、夫に私の運転の事で話を持ちかけましたが、夫は忙しくうわの空。話を続けると「おれが何処へでも運転して連れていってやる。車は危ないし、お金がかかりすぎだ。第一、車椅子持ち上げられるのか?!」と…。実はこれまでに何度もこの話をしておりましたが、はぐらかされて…。イライラついでに二人は口げんかに…。私の本心は”自分の事は自分でやる!” 『車椅子生活には車を運転して外へ』が必要だと思っておりましたが、家族はそう思ってはいなかったのです。母は有料老人ホームに入所、次男は病気と戦う身。我が家には私の我がままを通すだけの余裕がないのです。ならば介護タクシー利用を。でも、タクシー代+介護費では自由に障害者が外に出るには出費がかかり過ぎ。ならば自分で働いて費用を…。体がついてこない。どうしたものかと調べて行くと、介護タクシーを運転してくれる人も、運営費も足りていない等で利用しにくい問題等もわかってきました。
世の中、特に地方では高齢者の運転による交通事故が問題になっています。若年障害者も同様に、買い物や通院手段は自家用車を運転することで賄っているのです。子供たちにはスクールバス、高齢者・障害者には便利バスがあったらいいのに。”たすけ合い”という移送サービスが私の町にもあるのですが、充分な活動がなされていないようで。余談になりますが、高齢者の車の免許返納が快く受けられる社会環境にも力を入れ頂きたいものです。明日は我が行く道、他人事ではないと思います。
夫との口げんかはどんどん広がっていく感じですが、車椅子生活の私。いつも誰かの手助けがないと何もできないのが現実です。しかし世の中には障害をものともせず意欲的に活動されている方々がいらっしゃるのに。情けないです。
○6/13
気象庁が梅雨入り宣言をしましたが、梅雨の晴れ間を見ながら車の免許更新講習会が明日となり、ソワソワしております。元々近視があり前はコンタクトを利用していたのですが、メガネに変えていました。というのもコンタクトレンズには3か月ごとの定期検診があり、一人での外出が大変ということで遠近両用メガネを新しく購入したいと思っていました。だから夫とのやり取りにも、また何をするにも夫の都合を確認しつつ一緒に行動するしかありません。お互いにいろいろ思うところがあるようですね。
○6/14
新しいメガネをかけ、”自動車免許更新講習会へ”。夫は連日、私のために時間を割いてくれています。「ありがとう。」と心の底から思っているのですが、最近の自分は素直になれずにいます。車椅子の私は会場の一番後ろの席に着けられました。30分間の講習会は健常者も障害者も同じ手続きで、5年前と同じように終了。自己責任、安全運転…。ゴールド免許で通してきたけれど、運転できる日が来るのでしょうか?!
○6/15
連日予定が入りますが意外と元気です。脊髄梗塞を発病して以来、3年間シャワーしかできていなかった私を思い、夫と息子が何とか温泉に入れたいと計画を立ててくれました。『バリアフリー温泉で家族旅行』(旺文社 著者:山崎まゆみ)という本を購入して見つけました。
蛍の里…。風情豊かな小さな宿。静かな一部屋がバリアフリーで、車椅子でも利用できる素敵なお部屋でした。畳の上に椅子とテーブル、そして襖を開けるとベッドルーム。もちろん車椅子で入れるおトイレ、洗面台の下には空間があり、車椅子がスムーズに入り込め、使い易くて良い感じです。一息ついた夜6時頃、お宿と契約されている介護ヘルパーさんが私たちのお部屋に訪ねてきて私の入浴介助をしてくれる…。『なんてステキなプラン。』エレベーターで2階から1階へ降り、貸し切り状態(時間で)の大浴場へ。気兼ねなくお宿の入浴キャリーを使用させてもらっての入浴です。ヘルパーさんとは初対面でしたがスグに心が和み、楽しく温泉を満喫させてもらいました。温泉を楽しんだ後はお待ちかねのご馳走です。「美味しい!旨い!」と家族5人で思う存分にお腹を満たしました。『あー、生きていてよかった』と思いがけない言葉まで漏れてしまったほど、父も夫も息子たちも、この数年間こんなに心の底から笑い、旨いお酒を呑んだことはなかったのでしょうね。「ありがとう、本当にありがとう」と…。
翌朝、朝食後には私の体力を気遣って帰路へ。道中、頻尿で困っている父と私のために高速道路のパーキングで2時間置きに休憩を取りつつ、夫と息子が協力し合って安全運転のドライブ。小雨が降ったりでしたが、心の中は家族みな清々しいしい気持ちだったと思います。『私は歩けなくなったけれど、暖かくステキな家族があります。母は一緒ではないけれど、みんなの心の中にはバアちゃんがいます。』この2日間は一度も飲み忘れしなかった薬をバックの中に隠しておきたくなるぐらいに元気でしたが、帰宅後はそのツケがまわり寝込むことに…。でも(^_^)です。
○6/22
九州・熊本地方は大雨になり、大きな災害に見舞われていますが、ところ変わえば身勝手なもので、自分のことで頭が一杯なのが恥ずかしいです。『自分で車を運転すること』については結局、費用がかかり過ぎること、女性の力では車椅子が重すぎるし安全面に心配が大きいこと、女手のない我が家では家事を出来る範囲で担って欲しいと思っていることから、夫から反対されています。今日のリハビリは、その旨を担当のPTさんにお話ししながら足のマッサージと平行棒を利用して10分間ほど立ち、骨密度を高めることに専念。そして軟式ベルトタイプの”プロペクター”という装具を18,020円で購入。補助を頂くために、市役所で申請を行うことにしました。私は重度心身障害者医療費を受け、医療費は一割負担。月一度の受診や訪問リハビリ等で約2万円ほど、入浴の為の訪問ヘルパーの利用と障害サービス補助で約1万円弱かかり、計3万円が私の支援費となります。そこへ生活費が上乗せされていくのです。
○6/23
今日は風が強く、曇ったり雨が降ったりと体にきそうなお天気です。だからと言うのもなんですが、足、腰が痛く、体中がギシギシと…。胃の辺りまでがビリビリし出し、吐き気がするのが常。いやな事は重なり、面倒な手続きの通知が送られてきました。毎年の事といえばそうなのですが、人の手を借りないと何も出来ない身。これがシンドイ!です。
1. 補装具の支払戻し申請 2.(介護給付)障害福祉サービス更新 3.(医療費助成)重度心身障害者医療証の更新 4.参議院選挙(期日前投票をしようと思う)―――!「あー、また夫に負担をかけてしまう。ごめん…。」一人で外に行くことが出来ないもどかしさ…。またもや車を運転できたら…と、頭の中で堂々巡りが始まり出して。『困ったものですが、私の一番大切なものは、家族の幸せですから…。』と飲みこみます。それに申請は、私の生活を支える大切なものですからこの通知は大事です。
○7/1
「いたっ!」夕食中にとうもろこしをガブり。右顎が外れた!その後、思いっきり力を入れて噛み締める。「ガクッ!」と音がして”征服”する。これがすごく痛いのですが、こんな事が体のあちらこちらで。特に足の関節は「ゴォリ!」と嫌な音がよくするのです。ですから私の体に初めて触れるリハビリ療法士さんは決まってビックリするのですが…。足の「コキ、ゴォリ」という音に私はもうビクビクしなくなりました。私の体は変な所だらけです。動けないのに微かに動くのでリハビリを続けていますが、何より「痛み」がこの先もずーっと思うにつけ、嫌気が刺します。私のブログに”痛みに耐えることが仕事だ”といったようなコメントを頂いたことがありますが、その通りだと思うのです。
一方では家族も離れていくよう。母は施設入所し、次は長男が家から出てアパート生活を始めようかなー…とつぶやくように話します。核家族化の中にあって我が家は6人家族が自慢でしたから、ひとり、ふたりと食卓に空席ができるのは悲しいものです。『母は息子たちの幸せだけを願う』もののようです。私の代わりに家の掃除をしながら話す長男に「ありがとう、ふ~ん、良いと思うヨ」とつぶやいた…。本当は離れてほしくないけど。
○7/5
今日は予定が一杯です。夫の都合の良い日に市役所へ。期日前投票に補装具の払戻し申請、自給者書の申請も行いました。その足で通院リハビリの受診を。もう3ヶ月が過ぎ、通院リハビリには新たな目標が必要とのこと。ドクターとの相談になりましたが、「私の希望はリハビリの継続です」と伝えたところ、「体力維持を目標として月に1、2度程度行っては。」と、病院側の誠意に深く感謝し、リハビリ室を退室する際は一礼して帰りました。
○7/9
(公益)全国脊髄損傷者連合会に入会することを決めました。かねてから東北支部の役員でご活躍されている方からの紹介でした。入会の際も我が家に車椅子で、自家用車を運転され訪問して下さいました。そして障害者からのご相談を親身になって協力なさっている姿にも感心させられます。先輩の皆様のご苦労、ご活躍に勇気やお力を頂いたことが入会の理由で、そのお礼をこめて『あした天気にな~れ!』私のブログを協会へ紹介させて頂きました。そうしたところ、『6月号の脊損ニュースに連載されるかも』と大きな驚きを得、恐縮してしまいました。未熟な私ですが、どうぞよろしくお願いします。(『脊損ニュース』(公益)全国脊髄損傷者連合会が編集した冊子が発行されています。内容は活動報告等が主で、会員からの原稿も掲載されます。ちなみに『脊損ニュース』は1、2ヶ月前の事が載るで、7月に6月号というのもよくあります。、)
○7/17
『○○さん大変ですヨ!』(NHKの番組”所さん!大変ですよ!”をお借りしました)
その日は日曜日のくもり空、ムシ暑い真昼の出来事です。夫、次男と共に近くのスーパーで日常品、食料品を山ほど買いこみ帰宅。その時、事件が起こりました。
私は車の助手席からプッシュアップで車椅子に乗り移り玄関のスロープへ。私より先に次男が玄関の引き戸近くにいて、夫は私の後方、車の近くにいました。二人はお互いに夫は息子が、息子は夫が私を見ているだろうと思い込み、見守っていたそうな。結局私は一人でスロープを登って行くことに。我が家のスロープは3~4mほどの長さですが幅が狭く、その上車道に直に面していることから、急な登り坂となっています。更に玄関は外戸、内戸の2重戸のために、車椅子で戸外を自由に移動している方からも『この坂は急だし、戸が開けずらい』と言われていました。
スロープを半分ほど登ったところで、車椅子の前輪が浮き上がりました。とっさに体を前に倒して安定させるべきで私も前屈しているつもりでしたが、坂道で体が後ろに反り返っていることに気付かず、ハンドリングを精一杯こいでいます。そして体は突然、”宙を舞う”。 お向かいのおばさんまでも思わず…。皆「あ!」という声、一瞬の沈黙。事故はこうして起こるのが常なようです。車椅子ごと後ろに一回転!サーカスさながらに、生まれて初めて車椅子バック転というものを成功させた。神業です。最初に右膝をコンクリートに打ち、ゆっくりと横座りに体が落ちた!落ちた!一瞬、何が起きたのかわからず、気が付けばコンクリートの上に横座りになっています。不思議なことにどこも痛まない。ふと我に返ると、いつもの痛みシビレがあるだけ。間をおいて青ざめた夫が「大丈夫か!」と駆け寄って来ました。この3年間、車椅子とベッド、リハビリ台にしか座ったことがない私が、コンクリートに座っています。そして夫がヒョイと車椅子に私を乗せ、転倒したことを無かったとでも言いたいようにスタスタと家の中に入れます。「あー、神様、不幸中の幸い。膝に少しの擦り傷だけで済みました。助かりました。感謝します。」と手を合わせたことを今でも思い出します。私は一人では外に絶対出てはいけないと夫にキツく言われ、車の運転をするどころではなくなってしまったようです。
○7/23
暑い!夏真っ盛り。蝉も元気一杯です。6月号脊損ニュースの冊子が送られて来ました。ページをめくると私のブログ『あした天気にな~れ!』の第一段目の文章が載っておりました。気恥ずかしいけど嬉しいです。まずは多くの人々に私の病気(脊髄梗塞)を知って頂く良いチャンスです。ブログ制作に協力して頂いているTさんにメールでそのことをお知らせし、お礼を伝えました。
嬉しいと言えば、この頃我が家にも生活のリズムが出来つつあります。父はイソイソと母の待つ施設へ足を運んでいる様子。私は午前中に食事の準備と洗濯物をたたんみ、午後からはサービスを利用しております。リハビリを継続しているおかげか体力がつきましたし、主治医をはじめスタッフさんとの関係も良好です。『感謝』ですね。
○7/24
ようやく長男がアパートを借りて生活し始めましたが、食事はなぜか我が家に帰って食べるという。二重生活といえば変ですが、少しずつ自分の生活を探しているようです。でも、今思えばそれは私たちの生活を心配しての行動だったようです。高齢者と病を持つ障害者世帯、顔を見ないこともそれはそれで心配だし、家に帰ればご飯があるー!良くも悪くもうまく考えたものだと思います。そしてそれは、季節が進むにつれて回数が減っていくのですが。『頑張ろう、お互いに』少しさみしいけれどもー。
そんな夏の昼下がり、姪とオチビチャンたち皆さんで遊びに来てくれました。子供はいつ見ても元気をもらえるものですね。アッという間に時間は過ぎます。「バイバイ」と「また来てね、ありがとうね。」玄関で手を振ってさよならしましたが、”キャッキャ”と弾んだ声が後を引きます。
○7/26
この日も暑い日でした。TVニュースを観ていましたが、耳を疑いました。相模原市の障害者施設での事件。19名殺傷、27名が怪我を負う悲惨で残酷な事件が起きました。20代男性、元施設の職員が起こした事件でした。「障害者は不幸を作る…」など、信じられない言葉を発していたとの事。私は他人事には思えず、その晩は眠れない夜を過ごしました。『なんと痛ましい、悲しい』事件でしょうか?!我が身と家族、社会と障害者がおかれている隔たり、何より命の尊さを!叫びたいほど悲しく…。『障害者は不幸を作るのではなく、そう思う歪んだ心が壁を作るのではないかと―。きっと痛かったはず。同じ人間ですから!』
○7/27
昨日の悲しい事件、朝が来ても暗い雨です。私の心は泣いていたのでしょう。障害をもっていても同じ人間。何か小さな抵抗をしたかったのだと思います。今日は定期通院日でしたが、初めてタクシー券を使って、一人で通院しよう!と電話を入れたところ「車椅子の方には、介護料金が発生します。急にお電話を頂いたのでヘルパー対応の運転手の手配が出来ない状態ですが…」と。病院の予約時間に余裕はなく、やむをえず普通のタクシーでお願いしました。家の前の急なスロープ、一人で下りれるかな?!ドキドキしていると、有難いことにタクシーの運転手の方が親切に寄り添い、下りることが出来ました。そしてタクシーの後部座席にプッシュアップして乗り移り、車椅子をトランクに納めて頂きました。『あー良かった。』そこへ、夫が自家用車でやって来ました。夫と私は車の運転をする、しないで口げんか中でしたので、今日は通院だと知らせずにいたのですが…。「診療終わったら電話くれ」と夫から言われ―。帰りは迎えてもらうことになりました。
こうして”初めての通院”はスタートしました。意気込んでもこんなことしか出来ない自分にもガッカリ。せめて病院内は自分の力で…。しかし一人、車椅子でいるのは心細いものでした。朝の強気な自分はどこに行ったものやら。私の本気はこんな小さなものなのかと。昨日の障害者施設での悲惨な事件に、障害者だって本気を出せば色んな事が出来ると思ったのに、夫の力を借りないと何も出来ない。脊髄梗塞発病から3年たてども歩けなく、痛いまま何も変わらない。本気を出してもこんな小さな抵抗しか出来ないし、何かアクションを起こせば周囲を振り回すだけで…。
○8/7
世間はリオオリンピック開催と、猛暑。本当に暑い夏です。気温は34度、エアコンのついた部屋から離れられずにおります。体温調節のしにくいこの体、ヘルパーさんとの入浴後は汗でグチャグチャですが、エアコンの下で涼む私は贅沢ですね。明日、母が10か月ぶりに自宅に帰ります。施設では生ものが食事に出ません。「せめて家に帰ったら活きの良いお魚を!」と思っていたら、夫が「お寿司をとろう」と言い出しました…。『きっと自分が食べたいんだゾォ』と思いましたが、せめてそのくらいの贅沢をさせてやりたい。父も私も、心なしかソワソワしております。
○8/11
リオオリンピックでの日本選手の連日のメダルラッシュに興奮ぎみです。水泳、卓球、柔道と…。体操競技は特に目が離せません。内村航平選手の活躍に胸躍らせております。「カッコイ~!あの筋肉!美しい体操!」絶賛です。「あの筋肉のカケラでも私にちょうだいできないかしら!」そんなことを思ったり。私の体は、上半身はMサイズ、筋肉の落ちた下半身はSかSSサイズですから。
○8/13
ご近所がやけに賑やか。お盆休みで帰省した家族連れ、明るい声が窓越しから響いて来ます…。一方我が家は父、夫、息子までもお盆礼に出掛けて留守。私一人で静かすぎる日中を過ごしております。外の楽しそうな声と、蝉の声が羨ましい感じで…。そんな日でも「こんにちは!」と明るい声でヘルパーさんが訪問に来て下さりました。『あー助かったー。』いっぱいおしゃべりしながらシャワー浴を楽しみました。有難いですね。
○8/17
この日、太平洋側は台風7号により大荒れ雨降りですが、東北地方の日本海側は小雨で静かです。帰省客も帰られたのでしょうか。今度は我が家にお盆礼に皆様が訪ねて下さりました。車椅子生活も3年目でだいぶ慣れたのか、お客様の応援にも焦りがなくなったように思います。でも本当は、皆様の思いやりと配慮のおかげでなんとかやれているのだと思います。有難いですね。こんなふうに月日は流れて行き、淋しい日も楽しい日も人は生きて行くのでしょうね。
○9/10
相模原市障害者施設殺傷事件が起きて以来、病気や障害、障害者への社会の偏見などで苦しんでいる多くの人々が頭に浮かんできます。ブログ6段目の原稿は、今まで心の奥深くよどんでいたものを吐き出すような作業でした。『脊髄梗塞により障害者』というより、『一人の障害者』として社会にメッセージを綴ってみようと思います。この頃から障害者全般の苦悩、周囲の方々の苦労されている中で、”障害者の自立”を本気で考えるようになっておりました。原稿は思いの丈をツラツラと書きなぐることに精一杯で、ブログ制作にご協力頂いているTさんには今までにないほどのご苦労をかけてしまいました。何度も何度もメール等で意見を交換させて頂き、修正は数えきれないほどになりました。「本当にありがとうございました。」あとは信頼しておまかせします。
○9/16
この頃、大型の台風が多いですね。つい天気予報が気になります。今日も台風16号が沖縄沖合に発生したとか。離れた東北地方に住んでおりますが、こんな時期から体の不調を感じたりします。気のせいかもしれませんが、天気で体の痛みが強くなったり、ムカムカ吐き気がしたり。時にはドキドキして脈が速く感じたりする日もあります。精神的に反応するのでしょうか。”変な体”です。”変”と言えば、私が入浴時に使用している入浴キャリーの前輪から黒い雫がポタポタと…。補装具として購入して3年、ガタが来たのかも?!
介護保険には福祉用具に対しリースが適応されます。リース料の中には点検費も組みこまれているため、定期的に点検がなされます。しかし、障害者自立支援にはリース適応がありません。私も在宅生活を始める際に多くの福祉用具品を購入。それらを自分で全額支払い、その後申請をして9割が払い戻される仕組みなので、定期点検はないとのことでした。障害者にはそれ以上の負担をかけられずに、サービスの追加がしにくいそうです。”変ではないですか?!”障害者の多くは補装具を体の一部として自力で生活を行っている方が多いはずです。補装具に不具合が出てから修理を行う現在の流れでは障害者にとって大変不都合ですよね!お世話になっている福祉用具店でも点検サービスがないと言われてたのですが、入浴キャリーの不具合を期に点検をお願いしてみたところ、「入浴キャリーの前輪のネジにゴミ等がからみ、錆びた為に黒い雫が流れたのでは?」と言われました。「その節は無理なお願いをしましたが、ありがとうございました。」
○10/11
ブログ6段目「あした天気にな~れ!」がようやく発信されました。その後、ブログの内容についてTさんと直接お会いしてお話をすることに。病気、障害者のいろんな思い、もちろん”障害者の真の自立”について爆発トークになりました。この時の会話からの書き起こし文をTさんのブログ記事にするということで原稿を目にするやいなや自分の浅はかさを痛感。すぐに文章の修正をメールでやり取りすることになりました。結果、ほとんど訂正を加えるということになり、Tさんに大変な失礼をおかけしました。心からお詫びを申し上げます。”口は災いの元”ですね。そう考えると、ネットでの発信は便利ゆえにすごく恐いです。それでも私は脊髄梗塞患者、多くの障害者の生の声を発信したいと思っております。未来、10年後、20年後の脊髄梗塞患者、多くの障害者様に何かお役に立てたなら嬉しいから。
○10/25
気温は10~13℃と、体にこたえる寒さになりました。今日は受診日です。病院へ向かう車中、夫と私は無言でした。『もうリハビリは終了かも…。』リハビリは制度上6か月が目安になっているからです。ドクターにはまだ車の運転はハードルが高いことを伝えておりました。その上で、私は外出が少ないので『体力維持を目的としたリハビリ』をこれからも定期的に受けたいとお願いしました。有難いことにドクターより月1、2度ほどの通院リハビリならばなんとか出来るとの返答を。病院、ドクターの寛大な配慮に心より感謝しております。そんな思いもあり、今でもリハビリ室から退室する際に一礼して退室させてもらっております。「本当にありがとうございます。」
○10/30
今日は秋晴れ。夫の運転で少し遠出することに。脊髄損傷者連合東北ブロックの支援相談者(ピアマネージャー)研修会に初めて参加させてもらいました。この研修会は、障害者同士が相談や意見交換をし合い、助け合い、よりイキイキとした生活を送れるようにと組まれた研修会です。少しバチガイと思いましたが、元気に仕事をしていた頃のことを思い出して、思い切って参加してみました。そこで驚いたのが、参加なさっている方々のハツラツとした姿。特に目を惹かれたのが、他県からいらした車椅子の方が介助犬を連れて車椅子と一体になって活動されている姿でした。それに、ご自分で車の運転をして会場入りされ、サラッと物事をなさる様には感心させられました。その方にとっての障害を取り除けば、健常者と同じように活動できるんだと思わせてくれます。私はそれに比べればまだまだ未熟ですが、貴重な体験ができました。会場は熱気に溢れ、活発な意見交換もなされ、講師の方からかえって勉強になりますとの感想も出てくるほどでした。研修会は二部構成になっていましたが、残念ながら時間オーバー。夫との約束は明るいうちに家へ帰るとの約束でしたので、講演の半分を聞いて帰る
ことにしました。
○11/8
季節の変わり目、先日の試み(研修会への参加)の余韻も消えぬうちに不調です。昨日から、いや最近から目がモヤモヤして”飛蚊症”が悪化した。(以前から飛蚊症だった)急に糸くずのようなモヤモヤが大きくなったり、めまいがしたりと体調がすぐれません。病院に電話で相談したところ、一度眼科を受診するようにと言われます。息子に頼んで付き添ってもらい、バリアフリーの眼科を探して受診しました。(以前通っていた眼科には段差があって断念。)突然の初診でしたが、丁寧に検査・診察して頂くことが出来ました。結果は飛蚊症が大きくなったとの事と、季節の変わり目で体調のバランスがすぐれないのかもと…。気にしないように…。しかし、右目に2~3㎝の糸くずがフワフワ見えます。私の目はそんな大きいはずもないのに。不自由な体がますます不安定です。それに老化も気になる年齢になりました。
○11/23
寒いと思ったら、雪が窓をパチパチと叩きます。そんなおりに脊損会で知り合った男性からお電話がありました。「今使っていないスポーツタイプの車椅子を使用してみませんか」と…。驚きです。突然でもあり、「少し考えらせてください」と返答しましたが、ドキドキしました。後日、夫の休日に合わせて我が家に車椅子を運んできて下さりました。チョー軽快なレベルの高い車椅子。まずは乗れるか練習してみます。「ありがとうございます。私のブログを読んで車椅子のことを気にかけて下さったのですね。」
○11/29
福祉用品は数えられないほど製品がありますが、補装具となれば障害者一人一人特別なオンリーワンです。しかも、その方に合った補装具として作られたとしても、使用の目的は勿論、体の変化やその人が置かれた環境でも変わっていくようです。ご厚意で貸して頂いた車椅子も私にはハードルが高く、練習を行えどうまく乗れません。そもそも私の動き方とその男性の動き方は違うようです。私はフットサポートを羽上げし、床に足を置いて、少しばかり動く足と腕の力で移動しております(プッシュアップで移動)。しかし、お借りした車椅子は羽上げが出来ません。車椅子の大きさは丁度良いと思っていたのに、残念でした。
福祉用具店の担当の方やリハビリ担当の方らにも見て頂きましたが、「合っていないのでは?」と言われてしまい、周囲の方々にご迷惑をおかけしておりました。補装具選びは本当に難しいということでしょう。しかし、アームレストの上を乗り越えるだけの力があることがわかり、現在のアームレストの羽上げ式の形からステップアップも可能でしょうとも言われました。また、背もたれの高さが50cmぐらいと背中全体を覆う形から、その半分位でも姿勢を保てる力もついたのではないかとも言われました。車椅子をお借りしたことで多くのことを学びました。お貸し下さった方に感謝です。「ありがとうございました。」
○12/9
年の瀬だというのにいろんなことが次々に起こります。目の周りがむず痒いと思っていたら、お猿さんのように赤くなっております。しばらく様子を見ても良くならず、口角の辺りまでカサカサと…。またもや息子に通院介助をしてもらうことに。『いつも迷惑かけっぱなし、ごめん。』子供のような母親と思われたかもしれませんね。エアコンの暖房で乾燥しているし、メガネの縁取りにそって赤いことから金属アレルギーも考えられると言われましたが、原因は不明。(以前、ネックレスでかぶれたことがあった。)処方されている薬の手帳を確認した薬剤師さんからは、「アレルギーを起こしやすい薬を多く服薬しているので、少しの刺激でも反応が起こるのかも…」と。保湿剤を頂いて帰りました。今度はメガネのフレームも買い替えしなければいけないかも…。
いやはや、迷惑ばかりかけている自分が嫌になってきます。でも、夫も息子も私には病気に対して何一つ小言を吐くことはありませんでした。『病気(脊髄梗塞)で両下枝が動かず車椅子生活だけど、私ほど大切に思ってくれる家族を持っている者は、そうそういないんじゃないかと』思うのです。せめて家の中では笑顔でいよう…。意外と難しい時もあるけれども。
○12/18
穏やかなお天気、ステキな日となりました。午前中は旧友二人が突然見えて驚きました。30~40年間、年に1、2度会えるくらいの間なれど、会えば月日など何も感じさせないのが旧友の深さでしょうか。3人で他愛のないお話をあれやこれやと…。外に出ることが難しい私のために忙しい時間を割いて下さったのでしょう。「ありがとう、いつも、いつまでも…。」友達は良いものですね。
旧友が帰った後、お借りしていた車椅子を返しに、挨拶がてら夫と出向くことに。夫の運転する車は海岸を見下ろせる小高い場所にあるお宅へ。「あー、ここなら北国でも雪が積もらないかも?車椅子の方でも、冬も運転できそうだな~」と思ったりして。その方は私たちの来るのをわざわざ外で待っていてくださいました。車椅子を乗りこなせず申し訳なくて心が重かったのですが、その方のお母様が中へと招き入れます。玄関で失礼しようと思っていましたが優しく手招きなさるので少しばかりと…。「この度は大変お世話になり、ありがとうございます。それなのに残念でした…。」とお詫びをし、夫と私は初めて個人宅に上がらせて頂きました。『なんて居心地の良いお宅だろう。』それに加え、義母様と紹介された方の気さくで暖かなおもてなしに感心させられました。車椅子のまま上がってることすら忘れて一時間以上も話しこんでしまいました。『とてもステキなご家族、ステキなお宅ですね。』これまでどれほどのご努力、ご苦労なさったことでしょうか?!ここには健常者も障害者もないただの人々がおられました。私はまだまだ努力が足りない。『愚痴を吐く間に少しでも先へ進む努力をすべきだヨ』と言われたようにさえ思えてきます。
バリアフリーといえば、環境整備に目が行きがちですが、実際は人々の間のバリア(心のバリア)を外せば健常者と同じように障害者も生活が出来ていくように思います。その方のお宅は、バリアがほとんど感じられないほど心の中もフリーで暖かでした。「ありがとうございました。」
○12/24
クリスマスイブ。今年は自分自身にプレゼントを購入しようと思います。私は膝下から指先までの両足補装具を使用しており、履いたり脱いだりする行為が大変難しいので靴選びに苦労しています。実は、外出用の黒い靴を購入するだけのことで半年ほど悪戦苦闘しておりました。その末、クリスマスのこの時期にようやくお目当ての品が手に入ります。『これでなんとかなるかな。』以前、お葬儀の際に『今の体で履く黒い靴がなく失礼では?』と思ったことがありました。夫からは「不自由な体なんだから気にするな」と慰めてもらえども…。どうにか足元のおしゃれ、正装ができるでしょうか。できるだけ軽く、足先まで大きく開いてマジックテープで楽に脱ぎ履きが可能な黒い靴を、と吟味した末にサンタさんが運んで来て下さりました。まずはこんな些細なことでも良いんじゃないか、自分で出来ることからステップアップしようと思うのです。
○12/29
2016年の年の瀬、最後まで何が起こるかわかりません。大変ですヨ!「ブク、ブク…。」おトイレから変な音が―。そして「ググーッ」と音がして水がポタポタと垂れる感じで。「ヘェ~~~!」”断水”こんな暮れの夜ふけに?!何も連絡がなかったけど?!こんな夜に限って夫は夜の町へ…。頼りになる人がおらず困っておりました。父と私は頻尿で、おトイレの水が流れないとすごく不便。夜9時過ぎに突然、「「こんばんは、近くの道路の水道管が破裂して…。明日の昼ごろまで断水になります」と。水道局から来たというその男性が5Lほどの水が入ったポリタンクを玄関に置いた。少し恐かったのですが、「すみません、ポリタンク重いので私車椅子で…」と玄関の中に置いてもらいました。そういえば、夜にも関わらず外で変な音していたっけ―。「困った!」夜はふけ、気にすると余計におトイレが近い。息子に電話を入れ来てもらい、風呂の水をバケツで汲み、トイレに置いてもらったしだいです。私は大きな災害が起きた時どうなるのでしょうか…!水が止まった、それだけで困っております。
○12/30
なんとか夜が明け、朝です。家族みんながバタバタと外のコンビニ等で用を足している様子です。私といったら…?!一人バケツの水でなんとか用を足して悲しくなっております。自由に出歩けないって本当に大変です。食事の準備もできずに冷蔵庫の中の物や出来合いのお惣菜で昼食をとりました。無力です。なさけないです。日を跨ぎ、15時間以上の避難生活の練習のような気分を味わい、水のありがたみを痛感させられました。水がブクブクと音を出してようやく流れ始めた頃、ポリタンクと頂いたはずの5Lの水を受け取りに水道局の職員の方が全身汚れた服のまま訪ねてきました。あまりに水が大切に思われて、頂いた5Lの水を使えずにそのまま返すことになったしだいです。それにしても師走の夜、水道局の方は最後まで大仕事納めをなさったのですね。「お疲れ様でした。」
この一年もまたしても波乱万丈の幕閉めとなりました。3年前(2013年)の12月に突然、脊髄梗塞により両下枝不全麻痺となり、激痛に苦しむ年月。2014年8月にやっと退院してからというもの、苦戦続きの在宅生活でした。2016年はちょっとずつ屋外へと飛び出してみました。悪戦苦闘は続くようですが、少しずつではありますが前へ進んでいると思います。『あした天気にな~れ!』と願いをこめて1年遅れにようやく出せた8段目の便りは、自分の可能性と身の丈を手探りで探し続けた2016年、一年分となりました。北国の空は灰色で、風が下から雪を舞い上げます。時の光のように通り過ぎて2017年も終わり、障害者として5年目に突入。2018年がやってきました。ご傾読ありがとうございました。
2018年1月吉日