ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

「ただ生きている。それだけでいいんだぞ!」8ヶ月間、一日も欠かさずお見舞いにきてくれた夫に生かされて…。(あした天気になーれ!からの転載)

2015/11/26

マルさん(仮名)から、脊髄梗塞と戦う奮闘記(あした天気になーれ!)の第四弾の記事が届きました。

ども、田口(@tagu_h1114_18)です。

 

今回もマルさんの記事の書き起こし・編集に携わらせていただきました。

前回の『歩けないわたしが、わたしらしくあるための”脊髄梗塞”リハビリ日記(前編後編)』の記事の続きとなります。

今回もかなりのボリュームで、読了するのに10分くらいかかると思いますが、前編後編にはあえて分けませんでした。ゆっくり、じっくり、一気に読んでみてください。

 

同じような悩みを抱える全国の脊髄梗塞患者の方に届けば、嬉しいです。

では、本文をどうぞ。


 

ご無沙汰でございます。
突然の病で両足が不自由になり、2年近くになりましたが、車椅子生活にもだいぶ慣れて来ました。

2015年、大村智さん、梶田降章さんのノーベル賞受賞に感化され、私のおもい体が動き出したようです。無学な私もテレビのスクリーンに釘付け。立ち上がりたくなるほど大喜びしました。
ビックニュースがあると、「何か病気の治療の役に立つのでは!(脊髄梗塞にもしかしたら…)」なんて、下心混じりに少し期待してしまいます…。そんな訳で地球は人間がいなくても存在するが、人間は地球がなければ生きていけない”と訴える方の声にも、なるほどーと感心してしまった次第で…。
人類の発展は地球を破壊する恐れがあると警告しているようで、地球の器の中で、人類は人間の利便性のみ追求してしまったのではないのか?!と。
私にはまったく届かぬ世界のことではありますが。

さて、私の在宅生活が始まって一年が過ぎ、私の心にも徐々に変化が現れました。

『歩けないのに、歩けるようになりたい!』というおっきな目標を立ててみたのですが、これは現実を無視した思い上がりなんじゃないか…。
「身の丈にあった暮らしの中に幸せを見出せば良いのでは…」と考えるようになってきました。

哲学女子を語るつもりはありませんが、最近私は『欲を持つことが良か!否か?!』と迷っております。障害者となった今、国の税金を使わせてもらい生活して行くのですから。私のリハビリ病院での生活記録に目を通して頂く皆様からも高い目標をもつ事が良いのか、否かについてご意見をお聞かせ頂けたら嬉しく思います。

※以下の文章は、リハビリ病院での生活記録を元に、当時を回想して書いています。

○2014年1月29日
リハビリ病院に転院となりました。一般的には介護保険のリハビリ入院と、医療保険を利用した療養型リハビリがあります。私は療養型リハビリ入院となりました。担当、主治医、リハビリOT、PT、看護師、介護員、栄養師、薬剤師、相談員、そして事務局と、さまざまな方が支えて下さいます。
最初にDrからの診察、検査が行われました。その時の私は、堅い表情だったと後で聞きました。急性期病院と同じように、リハビリ病院でも携帯を許してもらえた事は幸いでした。メールを行うことで、少しでも世間とのつながりを持てたと思っております。

○1月30日
転院後、初めての入浴です。(毎週火、金曜日が入浴日)私はストレッチャー浴(トロリー浴)でした。この頃の私の体重は50.4kgで、割と普通の体型でした。入浴前に尿側を、一日2500ml廃棄したと記録があり、水分の摂取率も多かったようです。

○2月1日
良く晴れた日。会社の上司と友人のお見舞がありました。今も大切にしている本や、おいしいケーキを頂き、嬉しかったのを思い出します。その後もお見舞の方々が大勢みえ、多くの再会があった様子が、日記に 記してありました。しかし、実際のところは、痛み止めの座薬を挿入し、痛みをこらえながらもなんとか笑顔を作り…。やっとの思いでやり過ごしていました。

○2月4日
血圧が150~160台。『高いのー!』夕方は特に痛みが激しくなり、痛み止めの薬の他に、例の座薬を挿入してもらっています。転院してまもなくは、何かと慌ただしく時間が過ぎていきました。その日の夕方、相談員が今後の生活について話を切り出したかったのか顔をみせて下さいましたが、何も話さずに帰って行きました。多くの方々が、私のことをに考えて下さっていたようですが、当の本人の体力が中々ついて来てくれなくて…。

○2月5日
ものすごい吹雪の日でした。リハビリ病院に毎月一度、水曜日に県外からいらして下さるリハビリ専門医師がみえました。私は運が良かったのか、その医師に退院間際まで回診して頂くことが出来ました。Drからは、脊髄を病めたために、起立性のめまいがあるようだから体力を、痛の調節、排泄手段と調節、薬の調節等…。そして自立のためのリハビリを。『ながーい年月がかかりますが、みんな協力しますから、改善して行きましょう!』と、しっかりとした口調、それでいて暖かなまなざしで話して下さいました。少しずつ心がほぐれていったことを覚えています。
翌日からは薬の調節が行われ、徐々に痛みが楽になるのを感じました。その頃の私は、体が動かない事よりも、痛みから少しでも開放されることを強く希望しておりましたので、Drをより一層信頼し、回診を心待ちするようになっていきました。

○2月9日
ソチ冬季オリンピックが開催されて、世間はその話題で活気づいていました。冬季のムードは、東京にも大雪を運んで来たようで、交通マヒのニュースが流れています。マヒといえば、その頃の私は、周囲の目を拒むようにベッドの回りのカーテンを閉め切って過ごす毎日。相変わらずベッド柵もほぼ全柵のままで、両足の動きだけでなく、人との交流をもマヒさせておりました。そんな中、カーテン越しから、夫の足音が…。『あれ?顔が赤い…。』お酒の臭いをプンプンさせながらも、わざわざタクシーで面会しに来てくれました。こんな日は特別。普段は自家用車で、毎日のように私の元へ来てくれていました。
夫の都合がつかない時は、息子が、それでも無理な日は、高齢の父と母が、顔を見せてくれました。私はそれを、何よりも楽しみにしておりました。家族って大切だなぁ…。ありがたいなぁ…。しみじみと、そう感じていました。

○2月10日
肝心のリハビリの方はどうでしょうか?!私が発病した脊髄梗塞という病は珍しい病気のためか、治療、リハビリマニュアルのようなものがなく、私の体の調子をみながらの、対処療法的だったと思います。
手足の屈伸運動、体幹を鍛える体操、移動を行うための腕を使ったプッシュアップの動作、筋肉・関節に力をつけるための起立台でのリハビリ、車椅子の操作など。リハビリの種類は多岐にわたりましたが、痛みの緩和を目的としたマッサージが多く取り入れられていたようです。この日は起立台でのリハビリ。台の上に横になり、ベルトで体を固定。機械の力を借りて、体を起立した状態にし、体の筋肉・関節に働きかける起立代を、なんと、10分以上も行うことが出来ました!足がプルプル、ビリビリしています。しかしこの痛みは筋肉痛の類なのか、苦痛は感じず、かえって体が楽になりました。

○2月11日
発病して67日目。ベッドに腰掛け、足を床に落とし、端座の形でオーバーテーブル(:介護ベッドの上で食事や各種作業ができるよう作られたテーブル)をセットして食事をとることがようやく出来るようになりました。こんな当たり前の姿勢が、この頃の私には難しかった。両足で体を支える力が無いため、体を前に倒す動作はそのまま頭から床に落ちてしまう危険がありました。現在も、どこかに手をつかないと前のめりは出来ません。体感を鍛えることで、体のバランスを保つことが出来るようになって来たようです。

○2月13日
次は排泄の問題です。尿管ホーレを抜き、自分の力(自尿)で尿が出せるか、様子を見ることになりました。尿量を何度と測定。残尿の量も機械を使って測定します。急性期病院でも一度、チャレンジしたことがありましたが、その時はできませんでした。今回は、リハビリで排泄に関わる筋肉を鍛えることができたのか、腹圧をかけて自尿を出すことができました。3ヶ月が経ち、何とか尿管ホーレを抜き、生活ができるようになったのです。これは私のビックニュースでした。

○2月15日
日本中、世界中でもビックニュースが流れていました。オリンピック、男子フィギュアスケートで羽生結弦選手が堂々の金メダルを獲得したのです。
病室のテレビ画面を食い入るように見ておりました。(同じビックニュースにしてしまって、ごめんなさい。)

○2月16日
病院の療養型リハビリは、基本的に土、日が休み。そして今日は日曜日。お休みムードの中、またもや太平洋側は大雪です。「大変だなー!」
と、よそ事に思っていた私にも大変なことが…。頻尿で困っておりました。1人で排泄動作ができないので、もよおしてくると、ナースコールを押してスタッフさんに来てもらいます。気付けばナースコールが14回以上にも…。スタッフさんの走る足音がします。それでも私の前ではいつもニコニコ顔で対応して下さいます。『ありがたいなー』
ナースコールは、病院内では24時間鳴り響きます。いつもスタッフさんの忙しそうな足音がします。特に消灯前と、朝方の忙しさときたらー!気の毒になります。

○2月17日
お恥ずかしいお話が続きます。頻尿のため、何度もお尻をずってしまったせいか、お尻が赤くなり、皮が剥けてしまった?(表皮剥離?) 患部は自分では確認できませんでしたが、ヒリヒリ痛みます。脊髄損傷の人には良くある事ことだそうです。基本両足が使えませんから、両手の力と、体感を使い、プッシュアップで移動します。尿意の度にそうしてお尻をずってしまう…。看護師さんから、Uテープという保護テープを貼ってもらいました。
ちなみに、余計なお世話かもしれませんが、看護師・介護員に向けて…。褥瘡(じょくそう:床ずれ)は主に、血流不全と摩擦からくるのですが(※特に摩擦)、私の場合、血流をよくすれば褥瘡ができにくいと実感したし、摩擦をなくすればより早く改善すると思います。

○2月18日
ついにスタッフさんの底力を実感する事となりました。私のために大掛かりな環境整備が始まりました。病室移動、ベッドマットの交換、ポータブルのセットの見直し等々…。私の身体と動きにトコトン付き合い、滑り止めの位置の一つ一つを合わせて下さいました。周りの患者の皆様からもご協力して頂きました。『ありがとうございます。おかげでお尻の傷もだいぶ良くなったようです。』

○2月19日
周りのスタッフの皆様の思いが通じたのか、にぶい私の体も、ようやく動き出しました。『トイレ、自分1人でプッシュアップ。両手の力を上手に使って…。出来る!やった!』今日は8回も、自分一人の力でポータブルトイレを利用することができました。

○2月20日
とうとう、排泄問題が改善に向かいました。一人でポータブルトイレを使って排泄を行って良いと許可が出ました。そこで自宅への外泊OK!も。3ヶ月ぶりの自宅です。『あー、長かった!』スタッフ、皆様ありがとうございます。心から感謝致します。

○2月22日
そんな喜びに輪をかけたように、オリンピックのフィギュアスケート女子代表選手の姿に感動していました。メダルは惜しくも逃しましたが、それ以上とも思わせる活躍ぶり!私、フィギュアスケートが大好きで、テレビで放送されると知ればチャンネルを合わせておりました。選手に向けて書いた記事、詩を友人が書き写して下さいました。その詩が心に響いて涙が止まりませんでした。『いっそ大きく凹もう。いつか多くを満たす器になるのだ』時に金メダルより美しいものに出会うから五輪観戦はやめられない。(2014.2.22.読売新聞)(詩・伊東柚木)

○2月26日
以前入院していた病院に通院後、とうとう自宅に外泊しました。82日ぶりの自宅です。『空気がピーンとしているようで、それが気持ち良い。匂いが心地よく、静かで―。』体は何にも動けないのに、心が自由です。
我が家は畳づけの日本家屋です。バリアフリーとはほど遠く、排泄手段は、やもえずオムツを使用しました。以前、入院一ヶ月くらいで耐えられなくなりオムツを外してしまったのに、今日はそれも気にならない。
また、夕食を息子が準備してくれました。私の入院中に覚えたとか…。「みそ汁のなんとおいしいことか!」布団の上に座り、お盆をのせて、家族みんなで夕飯を食べました。そしてその夜は、夫と一緒に眠りました。病院では痛みで眠れない日々が続いていましたが、3か月ぶりにぐっすりと。ふかいふかい眠りにつきました。翌朝、スッキリした私は再びリハビリ病院へ…。
雪景色に包まれた帰りの車内で、一つの思いが私の中で確信的になっていました。
『私は今の状態では、自宅での生活は無理。自宅をバリアフリーに改修?私が生活していくためにリハビリが必要なんだなー!』と。

○2月27日
主治医は、そんな私の気持ちを察したのか、自宅から帰った私の様子をうかがいに病室に入ってこられました。そしてホッコリするような、たわいのない世間話をして下さいました。『ありがとうございます。できるだけリハビリ頑張ります』

○2月28日
今日は入浴日。今度はスタッフの皆さんが、涙が出るほど笑わせてくれたのです。肌のお付き合いでしょうか。皆様の温かい心遣いが身に沁みて…。病室に帰ってカーテンを閉め、声を殺して泣いておりました。
こんなふうに、心が何度と折れそうになりながらも、病院のスタッフの皆様、ご友人、親類、家族に支えられていく日々が続きました。

○3月1日
短期、長期目標が作られ、月に一度のモニタリングあり、評価、今後の検討相談を行いながら、治療、リハビリが行われて行きました。今日はモニタリングの日でしょうか?評価表が届きました。
3月に入り、白鳥の鳴き声が聞こえてくるようになりました。大きな集団をつくり、北へ帰るのでしょうか。名残惜しいかのように「グァーガァー…」と鳴く声がします。
病室の窓からは、雪におおわれた山並みが見える。よく晴れた夕方、白い山並みが秋の山を思わせるくらいに赤く染まって見える日がありました。今日もそんな夕映えで、白鳥の鳴く声も、ねぐらに帰るのか…春を迎える支度どきか。

○3月2日
何ともないことですが、足をベッドの下に落とし、足をバタバタと動かしてみました。「バタバタ出来る!」車椅子に移る時も、プッシュアップでスイッと乗り移り、姿勢も安定してきました。『普通のトイレに座って用が足せたらいいな…。』この頃は、足の先からふくらはぎまでの装具を用いていました。膝が安定してきたのですが、トイレで用をたすことが出来るようになるのはまだまだ先のこと。

寺田真理子さんの本を、会社の上司が届けて下さいました。
『生きているだけでいい…』と記しています。この文にどれだけ助けて頂いたことか。
動けなくても、歩けなくても、体中が痛くても”生きているだけでいい”そう言っているようで…。何とも奇遇ですが、同じ言葉を夫がいつも私に言い続けていました。
「お前は生きているんだぞ。それだけでいいんだぞ」とー。気恥ずかしいのですが。夫は私が退院するまでの8ケ月間、ほぼ毎日のように往復1時間弱の道のりを通ってくれていました。わずか3分間で帰ってしまう日もありましたが。(その帰りでの寄り道は私の知るよしもありませんけれども?!) たくさんの人に支えられていること、心から感謝しております。

○3月3日
リハビリ病院でも、栄養師さんが患者一人一人に栄養指導を行っていました。そんな中、今日は女の子の節句ということで、特別メニューのちらし寿司が出ました。さらに、厨房の方々が折ったであろう折り紙のひな人形のおまけつき。私は子供のように喜び、面会に来た夫に見せようと病室に持ち帰りました。
しかし、夫がひどく疲れた様子でいるのを見て、申し訳なく思えてきました。夫は毎日忙しい仕事の合間を見ては、家族の食事を作ったりしていました。夫ばかりでなく、息子は家の掃除、洗濯を。父は母の面倒を。家族みんなで協力し合って生活していたようです。

○3月5日
昨日は病院の相談員と面談を行いました。「自宅での生活が出来るように目標を考え、みんなで協力していきましょう」と。今日は月に一度、遠方からみえるDrからの回診です。ポータブルトイレが自立出来たことに対し、お誉めの言葉を頂きました。これも周囲の支えがあってのこと。やっと私も、少しばかり前進してきました。とはいえ、私は神経の病のためか、周りのご高齢の方々に比べても回復がゆっくりゆっくり進んでいるようでした。

○3月6日
先日は私に言い出せなかったのでしょうか?!再び相談員との面談です。普常リハビリ病院の入院は3ヶ月ぐらいですが、脊髄梗塞という病気では、発病から6ヶ月がたつと障害手帳の申請ができるとのことで。入院は6ヶ月間ですが、手帳の取得は手続き等が大変なために、申請から3ヶ月ぐらいかかるとか。手帳を取得することで、いろんなサービスが受けられ、自宅での生活が不自由な体でも可能になるとお話して下さいました。
優しい口調で、丁寧な説明でしたが、私の心は重く…。『障害者になったんだ』と現実を思い知ることになりました。障害手帳が手元に届くまで、少なくとも後4ヶ月以上は入院しなければいけないことも、この時に伝えられました。その日は布団を頭までかぶり、眠れない一夜を過ごしました。

○3月7日
こんな夜でも、次の朝はやって来る。朝食後まもなく、入浴の誘いがきました。今日は、毎月一回の体重測定の日。48kg…。一ヶ月1kgずつ減っている体重が気にかかります。ダイエットは全くしていないし、できるだけ食べるよう努めているにもかかわらず減っていくのです。両足は細くなり、筋肉が落ちたのがよくわかります。
『リハビリしているのに。もっと起立台でリハビリ頑張ろう!』と。
今日でソチパラリンピックも終わりです。障害を持ちながらも活躍する彼らに強く感心させられます。『すごいー!』選手の皆様はどれほどの努力を積み重ねてきたことか。爪の垢でも煎じて飲みたいものですが…無理だなー!

○3月10日
入院中の楽しみは読書、美しい野山を眺め、鳥の声に耳を傾ける毎日。お友人、親戚の方々がいろんな本を持ってきてくださいました。今でも感謝しております。難しい本はお手上げでしたが、中でも不良の事故で脊髄損傷者となられましたが、詩画集等を多く輩出されておられる”星野富弘氏”の本が好きになりました。大先輩ですが、同じ痛みを感じるからかもしれません。

○3月13日
木曜日は定期の回診日で、主治医が回診してこられます。先生は優しい方でしたが、ご自分から患者様の気持ちに寄り添う努力をなさっているように見えました。私が迷っていることを感じとっていたのかもしれませんが。最近、親戚の方々から中央の大学病院での診察(セカンドオピニオン)を何度も勧められていましたが、なんにも伝えることができませんでした。
季節の変わり目で、足がつった感じや、ビリビリした痛みが強くなっておりましたが、特別なお話しもしないままでいました。

○3月15日
土曜日で、リハビリも休みです。入院して知ったのですが、休日は静かです。意外や面会の方も平日の方が多いので、休日は静かすぎて、私はどうして時間をやり過ごそうか、と思うのでした。今日は嬉しいことに、看護師さんが、院内を車椅子で散歩してくださいました。気分が楽になります。たわいのないお話をして過ごしました。『ありがとうございます』

○3月18日
今日は、前に入院していた病院内にある美容院に外出しました。リハビリ病院には、床屋さんが来てくださるそうですが外出が唯一の楽しみで…。お彼岸中でもあり、墓参りをかねてお寺様まで車を回してもらいました。車中で手を合わせて、短い外出から病院に帰ったしだいです。

○3月20日
同室の方が退院され、すれ違うように別の方が入院されてきました。相変わらず4人部屋の皆様は、私の母と同じくらいの80~90歳の方々ばかり。夜ともなれば、力強い寝息がリズミカルに合唱されます。「どうかお手やわらかに…。宜しくお願いします。」

○3月22日
お彼岸の3連休中、ご自宅に帰られた方もおられ、病室がガランとしています。静か過ぎて心が沈んでいく感じです。院内での集いの場にも、その頃の私は参加できないままでした。社会性に欠けているとの評価も受けましたが、どうも…だめです。
それでも自分なりの良いことを一つ、見つけてみようと…。
『あ!膝が曲がった』自分の力で、少し膝を曲げることが出来ました。この頃のリハビリで、プッシュアップの力をつけるため、腕の筋力アップの練習が取り入れられていました。体は繋がっているのですね。不思議なことに。足の膝に力がつきました。
『いつも感謝と希望と、あきらめないこと』と心が折れそうなたび、先輩が送って下さったメッセージを思い出し、口ずさんできました。膝は曲ったけど、心は折れずにすみました。

○3月24日
週5日、午前・午後一時間ずつのリハビリが始まりました。起立台、上半身を鍛える体操。下肢の屈伸を手助けしてもらい、動かす体操をリハビリOT、PTさんから施してもらいます。
身体の痛みを和らげるためのマッサージのようなことも、私は他の患者様より多くしてもらったと思います。「今日のOTさんからのリハビリは心のリハかな?!」リハビリ室でお茶のお誘いがありました。その日、私は4ヶ月ぶりの大好きなカフェオレを口に。心までも和らぎました。

○3月25日
今日は朝から頭が重く、身体中が痛みます。日々体調の変動があるのも、私の病状の一つでした。
春目いた暖かい日ですが、季節の変わり目のこの時期に体がついてこられません。脊髄を痛めたせいもあり、自律神経の不調のような?火傷をしたかのように両足がヒリヒリと強く痛みます。

○3月27日
微熱も続き、ベッドに横になる日々が続きます。ポータブルトイレに移ろうと上半身を起こしただけで、頭がフラフラ。面会に来た夫も心配そうですが、「あきらめんな。」と一言いって帰って行きました。年度末のせいか、周りがいそがしそう。『私も頑張らないと…』

○3月28日
『あら!気分が良い』今朝は体が楽です。私の身体にも春が来たかしら?!と思ったのもつかの間。先日検査に出していた血液検査の結果が出ました。困ったことに、白血球の値が低いらしい…。薬の影響、脊髄を病めたから?!頭がザワザワと、気にするなと何度も自分に言い聞かせて『希望を持って、あきらめないで!』と心の中で何度もつぶやき、その日は疲れたのか眠っていました。

○3月29日
「ピィーピィー。」鳥のさえずりが春の風を運んで来ます。私はこんな日も窓ごしで、小鳥が飛びかう様子を眺めておりました。「あー、春だなぁー」と。それでも相変わらず、私は身体のバランスを保てずにいました。血圧が130~160台を上下します。心臓はドキドキ、足はヒリヒリ痛む。自律神経をコントロールできず、病気と苦闘しているようです。
リハビリも停滞気味。ベッドの中で出来るマッサージや屈伸運動を少し。

○2014年3月30日
今日は何とか、車椅子に乗って過ごすことが出来ました。今できることは、ベッドからポータブルトイレに移動。ベッドから車椅子に移動。両手で面をプッシュアップして、上半身をスイっと浮かせて移動することです。車椅子の操作もちょっとだけさまになった気がします。でも相変わらず、身体の調子はコントロールできない。
今日も、夕食の痛み止めの薬を待てずに服薬してしまったりと、足の痛みとも苦戦しています。発病から4ヶ月間が経ちますが、リハビリ病院から自宅へ帰る道のりは、まだまだ先のようです。
『いつも感謝と、希望と、あきらめないこと』―私にも春がやって来ると、信じたいです。

追伸
人間以外の生き物は、命を繋ぐだけに一生懸命に生きています。ですが、私は無謀にも病からの快気を望む者で、脊髄梗塞という病を世の中の皆様に知ってほしいと思っています。そして病気の原因、治療法を確立して欲しいと強く願う者です。この頃では癌治療の研究が目ざましく進んでいます。“癌”も怖くない時代が来るかもしれません。かつては”希”で”未知”であった癌が、ここまで解明されてきたように、脊髄梗塞という病気もきっと…。まず、広く知って頂けたら嬉しく思います。

在宅生活も1年2ヶ月間。もう秋も深まり、雪のたよりもチラホラと。
リハビリ病院での入院記録は残り4ヶ月分。これは後編へと続けていきますが、今も体の痛み、体の不自由、不調と戦っておりますので、作成時期は未定。
細々と作成しますのでお許し願います。

2015年10月27日 マル。


 

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リンク:あした天気になーれ!

 

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「歩けないけど歩きたい!」突如患った難病”脊髄梗塞”と共に生きていく人生(あした天気にな~れ!からの転載)|ひろろーぐ

認知症の母と脊髄梗塞の私の、お茶の間合戦。それでも母に寄り添って…。(あした天気になーれ!からの転載)|ひろろーぐ

 

歩けないわたしが、わたしらしくあるための”脊髄梗塞”リハビリ日記 前編(あした天気になーれ!からの転載)|ひろろーぐ

 

歩けないわたしが、わたしらしくあるための”脊髄梗塞”リハビリ日記 後編(あした天気になーれ!からの転載)|ひろろーぐ

 

せば、またの。

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