ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (1/5)

脊髄梗塞は、いつ、誰が発祥するかもわからない。

今こうやって淡々と文字を書いている僕も、この文章を眺めはじめたあなたも、なるかもしれない難病なのです。

ども、田口(@tagu_h1114_18)です。

最初から少し重たい内容なのですが、今回の記事は突如脊髄梗塞となり、入院生活を経て、リハビリをしながら在宅生活をされているマルさん(仮称)の日記をご紹介します。

脊髄梗塞という難病は、あまり聞き馴染みのない病気だと思います。

脊髄梗塞とはwikipedia先生いわく…

脊髄梗塞(せきずいこうそく、Spinal cord infarction)とは脊髄の虚血性壊死である。全脳卒中の約1%を占める比較的まれな疾患である。  wikipedia より

ということでした。これだけじゃよくわからないのですが…。

そのマルさんの症状は、大まかに言えば下半身不随。腰から下が動かず、日常生活は車椅子。自分一人で自由に買い物などもできず、家族に助けてもらいながら生活を送っています。

今でも治療法も確立されておらず、行政からのサポートも中々追いついていない様子…。

 

それでも、自分の経験してきたことを発信すれば、同じようなことで苦しんでいる人にも届くかもしれない。何か、自分の経験を参考にしてもらえるかもしれない。という想いで、ブログでの発信を始めました。(ブログ:あした天気になーれ!

 

僕は2年ほど前からこの情報発信のお手伝いしていて、今までも6本ほど記事をこのブログに転載してきました。

「歩けないけど歩きたい!」突如患った難病"脊髄梗塞"と共に生きていく人生(あした天気にな~れ!からの転載)

「ただ生きている。それだけでいいんだぞ!」8ヶ月間、一日も欠かさずお見舞いにきてくれた夫に生かされて…。(あした天気になーれ!からの転載)

認知症の母と脊髄梗塞の私の、お茶の間合戦。それでも母に寄り添って…。(あした天気になーれ!からの転載)

歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記 (1/5) あした天気にな~れ!からの転載

本当の意味での”自立支援”はどこにあるの?多くの障害者にとってバリアがあり過ぎて、法律も街も仕事もお金も、手も足も出ない。(あした天気にな~れ!からの転載)

歩けないわたしが、わたしらしくあるための”脊髄梗塞”リハビリ日記 前編(あした天気になーれ!からの転載)

 

今回は7回目の記事。

入院生活を経て、在宅生活が始まってからの一年半を綴った日記となっています。

25,000字越えとかなりの文章量になっているので、5記事に分けさせてもらいました。時間の許す限りじっくり読んでみてください。

同じような悩みを抱える全国の脊髄梗塞患者の方に届けば、嬉しいです。

では、本文をどうぞ。


”幸せの青い鳥は何処にあるのだろう?!”いつもどこかで今の生活(病気、不自由な生活)から抜け出したいともがいている自分がいます。
青い鳥を探すほど…。結局は身の回りのすぐ側にあるものらしいと気づく。今は家族と日々の生活を送れていることに感謝し、希望を持ち続ける事で、少しでも喜びに変えて行けたらなら幸せと思うが、それも容易なことではありません。
背髄梗塞を発症2013年12月5日〜入院、リハビリを経て2014年8月8日退院し在宅生活へ。

背随梗塞「あした天気にな〜れ!」在宅生活編


日記より

○2014年8/9
 退院翌日は、疲れと体中の痛みに一日中ベッドの中で過ごすカッコ悪いスタートです。
息子二人から、片付けやら食事の支度をすべてやってもらう始末。結局入院中と同じようにベッドで食事を摂ることに。先が思いやられる。
この様子に母は「困った!」と気にかけていたらしい。母もまた、『要支援1』と認定されていました。退院してすぐに母の体の異変に私は私で心配しておりましたが、何もしてやれるわけもなく…。家の中がリフォーム中のため雑然としており、母の頭の中が混乱している様子が伺えます。ベッドで横になりながら、何も出来ない我が身が疎まれてしかたありません。
荷物の整理も出来ない。母の事も何も出来ない。家事も出来ない。会社へも行けない。出来ない…。」「やれるのは自分の排泄の始末と三度の食事を摂ることぐらい…。前途多難です。入院中から考えをめぐらしていたけれど、多難で…。生活レベルのアップ(ADL)を考えたのですが、受け入れてくれるリハビリ施設も見つからず。そうこうしている内にリハビリ期間が終了(6ヶ月で)。週1時間の訪問看護、訪問リハビリを利用するので精一杯でした。
あとは障害自立支援サービスとして週3回、一時間ずつのヘルパー訪問利用で入浴介助をお願いすることに。「きっと家族は混乱するするだろうなー。」家の中に他人が介入する事にも心配がありました。どうなるのでしょうか?

○8/11
複雑な思いを抱えたまま在宅生活初めての入浴日です。ヘルパーさんより主治医の同意書を頂き、契約書へのサインを求められました。サービスを受ける全ての事にも今後手続きが必要になると思われます。やっとスタートですが、気が重いです。

○8/13
そうこうしているうちにお盆です。夫の車に乗せられお墓のそば車椅子で入りこめるギリギリまで行きましたが、遠くからご先祖様に手を合わせてきました。今後、冠婚葬祭等があっても失礼せざるを得ないことが多くなるのでしょうか…と思うにつけ気持ちが沈みます。「あ、それにしても蝉の声の威勢の良いこと」そんな昼下がりでした。

○8/17
親戚がお盆礼に次々と見えます。皆さん一様にとまどいを隠せない感じです。膝の上にお盆をのせ、その上にお茶菓子を載せ、運びます。次は冷たい飲み物を…。『あ!こぼれる!』そんな姿を見かねた父が運んでくれました。「あーまいったな〜!」苦笑いしてごまかすのですが内心は必死です。皆さんそっと笑顔で包むようにして帰られました。「ありがとうございます。」夕方は、疲れてベッドで休んだまま何も出来ませんでした。家族も疲れたのか、だれ一人声を発することもない我が家でした。

○8/19
今日は午後から、病院の通院日でした。半日を要してしまうため、病院のベッドで横にならせてもらいその場をしのぎました。相談員も見え、鍼灸マッサージ治療、訪問看護、リハビリ、訪問ヘルパー等の主治医からの同意書を頂く手続き等もあり、クタクタになる始末。私一人の事で多くの方々のお力を頂くことに感謝です。「でもシンドイ!」

○8/22
本日は福祉用品店の担当の方がオーダー車椅子の件でお見えになりました。私の車椅子は舗装具の部類になり、手続きが大変とのことでした。まず市役所に申請し(身体手帳を用いて約3ヶ月かかる)その申請が通ったら寸法や動作にあった型等を業者に依頼します。そこから出来上がるまでに3ヶ月〜半年を有するとか。代金は一括で支払い、後日公費から9割支援されるそうです。
私の元に車椅子が届くのは12月頃の予定。その間は福祉用具店の車椅子をお借りすることに。有りがたい事ですが、ずいぶん手間が掛かるのですね…。

○8/27
ここ2~3日痛みが強く、足がむくんでパンパン。心臓がドキドキ…。ついには吐き気まで。「あーシンドイ。」昼過ぎまで横になってしまう日がよくある私。日によっても、一日の中でも体が変動して安定していないようです。今日は午後から訪問リハビリ。足をマッサージしてもらい少し痛みが楽になりました。様子を見ながら机に手をつき、後ろから支えてもらい、腕力を使って「よいしょ!」と立ってみた。「あー気持ち良い!」スーッと体の血のよどみを流してくれるようで、痛みが和らぎます。『でも、どうしてだろう?!』訪問リハビリさんが帰ると、2時間ほどまた横になる。いつも体がもたず、すぐ横になってしまいます。『今ごろ皆様は忙しく働いていらっしゃるだろうな〜メンボクない』です。

○8/29
今日は少し体が楽です。息子に頼み、背負われて2階へ。「なんと幸せなことか」初めて子供から背負ってもらう。少し気恥ずかしいけれど嬉しいです。「ありがたや。ありがたや。」
私の部屋は元々2階にあり、ほとんどの荷物が2階に置いたまま、「あれ、あそこにあるからもって来て…。」と頼めども「わからない!」の連発。らちがあかず、結局買ってきてもらう事にも困っておりました。
「荷物の整理や使いたい物が取れた。ありがとう」やっと念願叶い、自分で少し整理が出来ました。
そんな情けない様子を見ていた母が、戸や襖を「バン、バン、ピシャン!」と開けては閉める音がして、「ない、ない…!」と叫んでいるよう。どうしたものか、母も苦しんでいるのだろうか?!『ごめん』と心の中で詫びるばかりです。
外では家のリフォーム中の大工さんらの作業する音が「ギーン、ギーン、ドン」と響きます。息子がブツブツ言うところを頼みこみ、リフォームで移動したいろんな物を、母のために出来るだけ元に戻すことに。
結局、一日中家の整理に付き合せてしまいました。『大切な休日をありがとう』
『元に戻す!』私の入院で一変した家の中が、私の退院を期に少しずつ落ち着いてくると、この頃の私たち家族は信じていました。そして、母の不穏な様子も落ち着いてくると信じておりました…。

○8/31
「へんだな〜?!」最近、尿量が少ない気がします。そのせいか足がパンパンで、ムカムカ吐き気もあり、痛みも強く、キツいです。足は動かぬまま月日が流れ、秋の気配が。夜は虫の鳴く音もする一方で、蒸し暑い日も多い。「シンドイ、痛い…zzz」

○9/1
今日は少し楽かな?慌ただしい日となりそうです。母の相談員の方がみえ、二日後から母のデイケアー利用(週一回ペース)が決定したようです。そこへ、家電の取り付け工事に電気屋さんも来てひとまず終了。
夫と私は病気退院のお印で、お世話になった方々に内祝いを届けに回ります。『あーこの祝いが病気完治ならどんなに嬉しかっただろうに…』
それにしても入院、家のリフォーム、福祉用品、何やかんやと散財をかけっぱなし。父と夫にはー。『本当にすみません』でも口に出すことさえできず、なさけなくて。
夫が察したのか、「皆でなんとか暮らせてる、だからいい!」と言い切ってくれました。「ありがとう」😊

○9/10
疲れが出てきたのか、イライラが家中にただよっています。母はデイケアーに出かける朝はあんなにニコニコしていたのに、帰宅後は険しい顔で周りにあたり散らしています。『気をつかって来たのかな?』手が付けられず、家中黙り夕食は無言で食べました。
父も気を遣い、疲れきった様子。イライラは家中に伝染し、息子から私も「どいて」と言われ、部屋で休んでいます。さすがに退院してから一ヶ月という不慣れな生活パターンにみんなの疲れも絶頂かも。
私の訪問サービスに対しても家族が落ち着けない理由になっているようです。そして家のリフォームも大詰めのところで材料が震災の影響もあり、届かず中断!秋なのに毎日暑い日が続くし…。ようやく在宅生活がスタートしましたが、前途多難です。

○9/17
月に一度の通院日です。夫の付き添いで神経内科ペインクリニック(麻酔科)を受診しております。麻酔科のドクターより(痛み専門医)「痛み止めの効き目が悪いと思われる。」と言われ、薬の再確認が行われるとのこと。「どうか痛みが楽になりますように。」と願い、薬(痛止め)が大幅に変更されましたが、慣れるまで大変かもしれませんね。

○9/22
通院が続きます。今日は歯科通院。息子が車での送り迎えの介助をしてくれました。私は一生こうやって家族や周囲に迷惑をかけ続けて行くのだろうか?!困った母親です。歯科治療は入院中から(左下奥歯)の治療ですが、まだまだ掛かりそうです。「今日もありがとう、そしてごめん。」

○9/24
一日一日の生活を送るのに精一杯。にもかかわらず、夫は『出来ることは何でもして、希望をもとう』と言い、鍼灸マッサージも利用することになりました。痛みの穏和神経に刺激をして…。期待をしているのです。
本日が初の利用日。夫が仕事を調節して療法士の送迎を担い、我が家に訪問してもらう事になりました。私より年上の女性の方が治療を施して下さいます。不思議に体が楽になり、痛みも楽になります。次の予約を入れさせてもらい、夫が送って行きました。「ありがとうございます」

○10/1
今日は薬の変更があったこともあり、再通院してドクター(麻酔科医)に体の調子と薬の効き目を確認してもらいます。前回、薬のチェック表を渡されて朝、昼、夕ごとに痛みの度合い等を記入しておりました。ドクターより評価してもらい、次の治療へ繋げていきます。主治医(神経内科)からは国立リハビリ病院でのリハビリをお願いする紹介状を頂き、病院の相談員を通して手続きが始まりました。何だか少し将来に希望が持てそうですが。

○10/3
世の中そんなに甘いものではありませんでした。国立リハビリセンターからはリハビリの受け入れは無理とのこと。「キビシ~!」落ち込みを隠せないでいる私の元に、会社の同僚から励ましのメールが送られてきました。そこへ他の友人までも顔を見せて下さり、ほっこりする他愛のないお話をされて。『あきらめないこと、いつも感謝を忘れないこと』皆様の暖かなお気持ちが身に沁みます。

○10/4
最近は涼しさを通り越して寒い日もあります。虫の声もピタリと聞こえなくなりました。こんな夜は昨日の痩せ我慢も失せ、いろんなことを考えて情けなくなってきます。
この頃は社会保険でしたので、医療費は3割負担でした。私が医療保険の範囲で利用できるサービスは訪問看護、リハビリ、鍼灸マッサージ。その他、支援費で訪問ヘルパーのサービスを利用できました。夜間のトイレには安全のためにポータブルトイレ(Pトイレ)を使用し、自分で始末が出来るようになると使い捨てトイレ用品を使用(災害用トイレグッズ:1ヶ月4,212円)していました。休職中の私が、会社から傷病手当を受けられたことは、本当に有りがたいことでした。『何もできないくせに負担ばかりかけて、お荷物だな〜。』いろんな事が頭の中をめぐります。せめて『体の調子すぐれない日でも、痛くて体がシンドい日でも、家族の食事の支度と、お洗濯ぐらいは頑張ろう』と思うのでした。
「痛くても、吐き気がしても、フラフラでも、食事の支度と洗濯は一日中かけてもやるぞ!」。それから1週間後、生活費の心配をしていたところに”医療者受給書”が届きました。医療費がなんと3割から1割に減税されるとのことです。休職中の私にとって本当に助け船でした。

○10/10
我が家も少し元気づいたのでしょうか、息子ら二人で家中の大掃除です。私が元気な頃は、休日は掃除・家事に明け暮れたものだけど、「ありがたい」です。私がトイレの中に車椅子で入ったあと、台所へ移動する姿を見てか、長男はいつもおトイレだけは『ピカピカに!』と、それはそれは念入りに掃除してくれます。たまの外出の際、玄関で車椅子のタイヤをアルコールペーパーで拭くのですが、玄関のマット等も頻繁に交換して清潔を保ってくれています。「本当に有りがたいです。」
次男は、自分も病気障害を持ち闘う身ながら、素人ながら私に毎朝リハビリを施してくれています。私の動かない足を動かしてくれ、朝の強ばった体がじんわりほどける感じがし、体が楽になります。「いつもありがとう。」夫は毎朝早く起きて、朝食の準備をしてくれています。
日中の仕事もキツくなってきたのであろう60才近い体。それでも私が倒れてからずーっと台所に立って来たのでしょう。「苦労様、ありがとう」我が家もリズムが出来てきたのでしょうか。
しかし、母の病気が進んでいる様子は、他人から見ても感じられるほどです。私が歩けなくなり、ベッドで休み休み生活している姿母はどうしても受け入れられず、苦しかったのだと思います。父も心なしか猫背に…。「ごめん、私がこんな体になったばかりに苦労をかけっぱなしで…。ごめん…。ごめん…。」


私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (2/5)へと続きます。

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