ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

本当の意味での”自立支援”はどこにあるの?多くの障害者にとってバリアがあり過ぎて、法律も街も仕事もお金も、手も足も出ない。(あした天気にな~れ!からの転載)

2016/11/11

ども、田口(@tagu_h1114_18)です。

マルさん(仮名)から、脊髄梗塞と戦う奮闘記(あした天気になーれ!)の第6弾の記事が届き、今回も記事の書き起こし・編集に携わらせていただきました。

マルさんから届く文章は、いつもは自身の経験を元にした日記調なのですが、今回は社会へと向けたメッセージ。

自分の経験で、自分の言葉で、自分の考えでモノゴトを語るのは、そんなに難しくない。「あの人はこういう考えなのね…」という見方で受け止めてもらえる部分があるから。

けれど、法律のこと、制度のこと、サービスのことなど、それらに日々取り組んでいる方々にも関わることをモノ申すのは、力もいるし、何より大きな意志がいる。

どんな言葉が飛んでくるかわからない。

 

だけど、言わずにはいられない…。

 

自分も含め、障害者の方々は本当は苦労しているのだけど、モノを申したいけれど、常日頃から多くの人にサポートされていること。家族に大きな負担を掛けていること。申し訳なさと感謝の気持ちからか、なかなか言葉として、表に出すことが難しいのだろう…と。

そんな方々の代弁者とまで言えば言い過ぎかもしれないけれど、今回の文章を書くのにはマルさんには強いの覚悟があったことでしょう。ご本人も、「これが一つのターニングポイントだと思っている」と、言っていました。

 

改めて自立って何なの?

"障害者自立支援"って言葉では言うけれど、本当はどんなことが求められているの?

 

そんなことを考え直すキッカケになれば嬉しいです。

 

長文ではありますが、じっくりと読み進めて頂きたいです。

※この記事に関するインタビュー記事を追加しましたので、こちらも合わせてご覧ください。ー2016年11月11日

参照”あした天気になーれ”vol.6 ふくろとじ。障害者自立支援の現実について、脊髄梗塞の障害を持つマルさんに伺いました。|ひろろーぐ

以下、本文。


第6段は、脊髄梗塞による車椅子生活だけではなく、多くの障害者の一人としてメッセージをお届けします。

オリンピックは世界中に響き合い、人々のバリアを外し、勇気と幸せを運んでくれます。リオデジャネイロ五輪に、紛争地域の難民選手(ROP)が参加された事に、強い感動を受けました。連日の日本代表選手の活躍も驚くばかりで、毎日がワクワク、ドキドキの感動でした。2020年の東京オリンピック、パラリンピックのさらなる快進撃が楽しみですね。

そんな折に水をさすようですが、7月26日に起きた相模原市の障害者福祉施設での殺傷事件には強い衝撃を受けました。19名死亡、27名が重軽傷を負われるという前代未聞の凶悪事件。どんなにか皆様が悲しまれ、残念に思われたことでしょうか。

容疑者は、『不幸を作ることしかできない。いなくなればいい…』などと語っていたそう。精神疾患も疑われ、薬物反応もあった。容疑者は勤めていた介護員を退職させられ、精神科に拘置入院、その後退院し、四ケ月後に事件におよんでいた。

ある精神障害者が、つぶやいています。

「またこうやって精神病だと、世の中の人から悪く言われるんだ。恐ろしい!」

『障害者は不幸を作る…』という悪口を連呼されているようにも聞こえる…と。

『障害者を支える立場にあった元職員が、職務の苦労の末に?!』と一瞬思ったのだが、私には容疑者が持つ障害者への、ねじれた思い込みで殺人鬼となり、幾重にも悲しい事件を起こしてしまったように見えました。

人は等しく、いつか老いと向き合う日が来ます。誰もが一生のうちに、いろんな形で他人の支えを受け、一生を終えていくものだと思います。健常者も、障害者も懸命に生きている中で、それは何も変わりないと思うのです。強い人とは、心の強さであり、他者を思いやり、相手の尊厳を受け入れられる人のことであり、守ることが出来る人だと思います。

『あした天気にな~れ!』第一弾のブログで、

“障害の有無にかかわらず、命は皆が等しく尊い!

自由に生活を楽しみたい!

可能性をあきらめたくない!

皆の笑顔が見たい!”

と書き出し、

ノーマライゼーション!

だれもが等しく、人間らしい生活を。

その精神を呼びかけて行きましょう!!

と結んだ。

参考:「歩けないけど歩きたい!」突如患った難病"脊髄梗塞"と共に生きていく人生(あした天気にな~れ!からの転載)/ひろろーぐ

あの時の思いは、在宅生活が始まってから二年過ぎた今も変わってはいない。

※ノーマライゼーション:障害者などが地域で普通の生活を営む、福祉の基本的な考え方。昭和56年国際障害者年~施設から地域へ。

 

突然の病気発症(脊髄梗塞)から、車椅子での在宅生活に至るまでに、多くの方々のお力、ご支援を受け、感謝しきれぬ思いがあります。また、介護が必要な障害者となった今、支えて頂いているスタッフの皆様、家族の苦労は並大抵ではないと思うにつけ、申し訳ない思いをいつも感じております。環境が整わないと身動き出来ない障害者となってしても、社会人として自由に生活を楽しみたい。家族の一人として、少しでも皆を笑顔にしてやりたいと思う気持ちを忘れてはおりません。

ですから、体は不自由なところがあっても健常者と同じ思いで生きているつもりなのです。『障害者は、不幸を作ることしかできません…』などと、思ってもらいたくありません。

 

障害者にとっては金銭面も仕事面でもサポートが足りてない。国が言う、『障害者への合理的な配慮』って何を意味してるの…?

平成28年4月~施行された『障害者差別解消法』では、障害のある人もない人も共に生きる社会をつくるとあります。障害のある人への合理的配慮とは、聴覚障害の人へ筆談などの対応。視覚障害の人に対して、書類を読み上げて内容を伝える。身体障害の人に、移動しやすいように扉を開けたり、車椅子を押したり、段差にスロープを用意するなどの手助けをする。知的障害のある人が理解しやすいよう書類にふりがなを付けたり、わかりやすい表現をする。障害のある人が働きやすいように、職場の配置や環境、勤務条件などを柔軟に変更する…等。

しかし身体障害者となった私は、有りがたい法律が出来たと手ばなしで喜べないでおります。それよりも、今になって常識を高らかに掲げる段階にあることに驚きます。そして、この政策をどのように世の中に浸透させていくのかが、見えないような…。
社会には、辺りかしこにバリアが張り巡らされ、外出さえも難しい。特に地方はバリアフリー化が進んでいません。車椅子生活の私を例に上げてみます。家から出るためにスロープを作りましたが、その先は?!地方は車社会ということもあり「自分で車を運転して出ようか!!」とも思いましたが、車椅子は重たくて運べませんし、車を用意するにもお金がかかり過ぎる(車一台・ハンドルに手動用操作器具・軽量車椅子を新たに用意。車の免許はあっても、実際に運転を指導してくれる所がなかなか…)。補助費20万円ではまったく足りません。自立はお金次第ということでしょうか。家族にこれ以上負担をかけないよう自力で外出したいけれど、車の運転はハードルが高い。ならばと移乗サービスの利用を考え、調べていくと多くの制限があるよう…。私の住んでいる街で介護タクシーを利用すると、ワンメーター690円+介助料510円となり、私が通院に出かける為には片道1,740円が掛かります。高い!市からタクシー券を頂いたけれど、月一回の通院(往復)を、5回分しかまかなえません。というわけで、私は”家族”に通院介助を頼むことに。家族がいるだけ恵まれていると思っております。

※私の住む市からのタクシー券は年に一度申請が出来て、500円分が最高36枚までもらえる。

国は財政難ですが、働く人には何らかの支援を行うそう。しかし、”働かぬ者食うべからず”は、障害者といえ同じです。(平成18年4月~『障害者自立支援法』障害者及び、障害児が自立した日常生活を営むことができるよう、必要な障害福祉サービスに関わる給付、その他の支援…。個性を尊重し安心して暮らせる社会と、地域社会の実現へ…。)

外出が出来なければ働くことも難しくなっています。障害者としてスキルを上げて就職している人もいるでしょうが、全ての人がそうはできない気がします。重度・中途障害者は、何らかの介護を受けなければ生活が出来ません。

※中と障害者(人生半ばにて、ある日突然病気や事故等により障害者になった人)
※重度障害者(障害等級が1級・2級の人)

 

国は、生活保護の人を削減しようと、障害者雇用を進めてはいても、環境整備などの合理的配慮が進んでいないこともあり、可能性がありながらも職や介助なしに自立して生活している障害者は、まだまだ少ないと思われます。むしろ、福祉施設等で介護を受けざるを得ない障害者も増加しているようです。しかし、介護員不足が深刻化していることもあり、障害者にとっては介護難民の不安もあるでしょう。障害者が今後ますます弱者になるような気がしてなりません。年老いて介護状態となり、障害者として介護を必要とされる方はやむを得ない部分もありますが、生まれつきの障害児、中と害者等の若年障害者を同じように、”介護状態”にしないで欲しいのです。(障害者の中には、工夫しだいで(環境整備、リハビリ等で)生活が自立し、社会復帰され自活できる人もいるのに、残念ですが十分な支援が(資金、人力、法律のくくり等)出来なかったせいで、介護されないと生活出来ない人もいる。介護には後々まで多くの問題(当人が受ける苦痛、財政難、医療介護不足など)を残すと思う)

繰り返しにはなりますが、国が施行した『障害者差別解消法』の具体的な形が私たち障害者には感じられません。実現的な政策を作り、実行して欲しいです。私が障害者になり退院間際になった頃に地域生活支援事業(平成25年4月~『障害者総合支援法』)が改正されました。障害者個人一人一人在宅においても相談員がつき、在宅計画書も作られるようになったので、何でも相談して下さいと!!その前までは家族や身の回りの人が市役所の福祉課に行って手続きをしていました。

障害者自立支援とは言うけれど、法律の枠によってやむを得ず退院させられてしまうし、その後のサポートにも手を伸ばすけれど、壁だらけ。

介護保険は平成12年度に運用し、一般的にも、高齢者社会に浸透しています。それに比べ、若年障害者への支援は遅れていると思います。運用開始は戦後にもかかわらず、きめ細かな、充実した制度には思えません。特に、障害者個人や家族の負担努力が大きいのが現実だと思います。(平成15年以前は障害者に対し行政措置で、その後は支援費制度となり、利用する側が行政に申請し サービスを選択するようになってきた経緯がある)

私は、8ヶ月間の入院治療をしていましたが、法律の枠により平成26年8月8日に退院しなければならず、その後は在宅生活に入る他はありませんでした。当時の私を知る人からはよく、「顔色がすぐれず、辛そうだった」と言われます。痛みに耐え、動かぬ両足のままに、家がまだリフォーム中にも関わらず退院し、台所・自室・トイレへの往復だけの生活。入浴はヘルパーさんの訪問を午後に受け、一日おきに一時間ほどのサービス。午前中は、家族の助けを借りつつどうにか食事の支度を行うがままならず、ベッドに横になって生活する日が多くありました。それでも歩くことを諦められず、主治医に書いてもらった紹介状を持ってリハビリ病院に申込みをするが、法律のくくり(私の病気が、難病、特定疾病に認定されておらず、法律上のリハビリ期間が終了していた)、病院の都合(病気で入院期間が決まっているし、入院を待っている方もいる。入院する理由づけが必要で厳しく、かりに利用できたとしても、病院側の利益にはなりにくい)により、断られ続けました。自宅での訪問リハビリが週に1時間と、訪問介護のサービスを利用しての生活が続きました。

そうして通院リハビリを願い続けること3年あまり、念願の週一回一時間の通院リハビリが最近ようやくできるようになりました。が、送迎が必要で、家族に負担をかけております。家族への負担が重い中、夫は常に『おまえは生きているんだぞ。それだけで良いんだぞ』と言い続け、月に一度の半日を要する通院介助を、仕事の合間に付き添ってくれています。

また、一番大変だったのが、重度心身障害者医療証、地域相談支援受給者証の申請、身体障害者手帳の再申請。自分自身の補助を受けるためとはいえ、生きるために大切な申請を得なければならず、市役所に何度も足を運びました。発病し入院生活、在宅生活へ繋ぐ間の私の生活費用は、傷病者手当一年と半年分でした。その後、2年の歳月をかけてようやく申請が通り、障害者基礎・厚生年金を取得することが出来ました。申請に明け暮れ、嫌気がさすほどの苦労を、相談員のお力を借りつつも家族に担わせ続けており、感謝しきれません。
それでも家族の助けを借り、生活出来ている私は恵まれているほうで、障害者の多くは経済的・人力的にも余裕が持てず、社会の片隅でなんとか生きていこうと、もがき苦しんでいると思うのです。

同じ人間なのですから、当たり前の生活を送る権利を有するわけで、ただ普通の暮らしが欲しいだけなのです。障害者個人、家族の自助努力だけでは、社会参加は難しいです。ただ法律を作って呼びかけるだけでなく、きめ細やかな次に繋がる具体的な支援を強く望んでおります。

先日、電車を待つホームで、視覚障害の方がホームから転落し亡くなられる痛しいニュースがありました。誤って足を踏み外し転落する前に、周囲の人々が手を差し伸べたり、ホームに何らかの細工が施されていたならば防げた事故だったかもしれません。過去にも似た事故が起きていたにもかかわらず、繰り返された悲しい事故です。
障害は一人一人異なり、障害者に適合した環境整備は簡単なことではないでしょう。しかし、生きていくための最小限度の配慮を、せめて公共施設だけでも義務付けを!それがなかなか難しく、古い建築物、特に地方の公共施設、交通網は遅れています。財政難を理由に、改善されぬままでは事故を防げないでしょう。

また、病気・事故の症状で入院し、障害の度合いで転院した際には、リハビリ期間が決められ過ぎている。あとは本人、家族の自己努力で、可能な範囲で、生活して下さいと言わんばかりに、在宅生活が始まるという感じです。在宅を訪問されるスタッフの方々だけではマンパワーが限られます。地域のコミュニティー、公共の力を連携して、一人の社会人として障害者の自立を図るべきだと思います。私の地域では、本人の同意を得て、医療期間内で患者のネットワークがある。その為に連携がスムーズです。しかし若年障害者等に対して地域福祉センターはまだ力強さにかけ、その為に医療、福祉、役所との連携がとりにくいと思われます。私のように声に出すことが出来れば、何とかなるかもしれませんが、一人暮し、寝たきり、引きこもり等の声に出せない方達は、陰になりがちです。

実際のところ、障害者を何らかの介護が必要な者と、頭から決めつけられている感じがあります。そして市役所、医療、福祉の各組織(しかし現場に携わる方々は、皆精一杯に努力されていると思う。感謝してます)も横の繋がりが弱く、連携が取りにくいようにも思えます。そうなると困るのが障害者と、その家族になるんじゃないかなと…。マイナンバー制度ができたので、1~2度位の手続きで申請が出来たらよい。役所等にも、休日窓口があって欲しいです。

 

みな、健常者と同じ目線での自立をしたいんじゃないかなって、思うんです。

障害者の自立を、広い意味で、『その人らしい自立』(能力を引き出して、その人らしい生活をする。)を指すことが多いようです。もっともな意見ではありますが、本当に望まれいる自立は、健常者と同じ目線での自立だと思います。例えば、たとえ寝たきりでも、その方が精一杯に生きていたら、その人らしい自立だと。しかし本当にそれで幸せなんだろうか?ベッドをギャッジアップしてもらい、窓の外の景色を眺めたかったかもしれない。自分の手で食事を取ってみたかったかもしれない。それが健常者と同じ目線だと私は思います。私は言葉にしませんでしたが、入院時車の運転をして、外出をしたいと思っていたことがあります。しかし、限られた資金のなかで優先順位を考え、今可能性の高い自宅での家事(食事の支度)をしたいと目標を立てました。周りの支援と家族の協力があって車椅子でも入り込めるキッチンにリフォームし、体調を見ながら家族の食事の支度をするうちに1年位で家事が何とか出来るようになっていった。私も健常者と同じ目線での、自立への一歩となりました。世の中の若年障害者はどうだろうと調べていると、ある調査で障害者の4割が就労を希望されているのに、1割ちょっとの方しか就職していないとのことでした。最初は、作業所への通所から始まるようですが、就労に繋がる方は少数のようです。支援の難しさから社会参加には、多くの壁が伺えます。
ですから、身心のリハビリ、環境整備を推進する人たち(支援員・医療スタッフ・障害者本人・家族等)が健常者と同じ目線での自立を前提とした方向性を持つことが大切です。特に、若年障害者に対しては介護を極力必要としない生活を目標とし、そうなるまで国がバックアップを行ってくれることを望みます。まだ自立が期待できるとあれば、リハビリを継続する等の柔軟なシステムも必要と思われます。

むろん法律の枠は必要ですが、ほとんどの方が自立へ向けたリハビリの中場で中断せざるをえず、間を飛びこえて在宅生活・就労支援を進められても、自立には繋がるとは思えません。むしろ介護の必要な障害者が増加し続けています。それでも努力され障害者が就労移行に向かい就職された方もいらっしゃるでしょう。しかし就労支援の内容には力強さにかけ、多くは継続した就労に繋がっていないのが現実です。障害者の社会参加には、多くの壁(バリア)があり引きこもりがちな若年障害者も少なくありません。その結果、支援 介護員の不足、医療福祉費の増加は歯止めがかからず悪循環から抜け出せないでいます。(専門的な立場、努力されている方々に対し、失礼をお詫びします。)

相模原市の障害者福祉施設での事件では、重度障害者だけを標的にされています。介護がより必要な方々でした。社会の中でより弱者ではありますが、やむを得ない介護状態の障害者です。必要ない命は、一つもありません。障害者でも介護を必要とせず、しっかりと自立した生活ができていたなら…。そういった方々が増えていくとしたらば、より重い障害をもった方々の力にもなれる気がします。

障害をもっていても、社会の一員として生きているはずですから、障害者に対して、障害者は不幸を作るしかない…などと言った間違った思い込み、考えを持ってもらいたくないと思います。

障害者が不幸を作るのではなく、不幸に思うゆがんだ心が障害(バリア)を作るのだと思うからです。

相模原市の障害者福祉施設で起こったような悲惨な事件が、二度と起きませんようにと願っております。

 

終わりに…

車椅子生活を余儀なくされた私ですが、今一番の喜びは、家族が変わらず”我が家の、かぁーちゃん”として接してくれていることです。突然の病気発症(脊髄梗塞)で、歩くことが出来ない障害者となりました。私達はいつ、どこかで、どのように(病気・事故等で)障害を負うやも知れません。障害のある人も、ない人も共に生きる社会をつくる!私が健常者のころは、理解できておりませんでしたが、今は「そうか」という思いがしております。人は我が身に降りかからないと、気付かぬことが多いようですが。
そんな中、最近は社会福祉事業の効率化に向けて社会をよくするインパクト投資という働きかけもあるそうです。(一人の力は小さいかもしれないが、多くの仲間が集まれば、何かができる。貧困層支援などの社会福祉事業へ政府も推進し、広く民間へ働きかけを行っているそうです。)毎日いろんなニュースが起こる中で、障害者福祉施設での事件も、人々の記憶の片隅に追いやられ、忘れられてしまいそうな気がします。それと同じように障害者は、世の中の片隅で、じーっと心を閉ざしてしまうのではないかと心配になるのです…。障害者本人の努力では、乗り越えて行けない壁が多くあいます。が…負けないでください!

障害者本人の努力だけでは、乗り越えられない壁もありますが、特に若い障害者には、明るい未来を作ってもらいたいのです。ですから多くの支援者のお力は、私達障害者の一筋の光です。この光が、さらに多くの光の和を広めて行くことを願っております。私のつたないこのメッセージが、少しでも多くの方々に、響き愛(合い)、共存し合う社会参加出へ繋がることを強く願っております。

 

追伸―学識経験者の目線から見て、至らぬ文面があると思われますが、あくまでも一人の障害者からのメッセージとしてご指摘下さいますようお願いいたします。

 


 

 

感想・ご意見があれば、ぜひメール・コメントを頂けると嬉しいです。マルさんへは僕の方からコメントやメッセージを転送します。

マルさんが文章を書く励みにもなると思うので、ぜひぜひよろしくお願いします。

元リンク:あした天気になーれ!

 

※この記事に関するインタビュー記事を追加しましたので、こちらも合わせてご覧ください。ー2016年11月11日

参照”あした天気になーれ”vol.6 ふくろとじ。障害者自立支援の現実について、脊髄梗塞の障害を持つマルさんに伺いました。|ひろろーぐ

 

せば、またの。

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