ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

【幻の塩の道を訪ねて…調査編②】大鳥―山熊田をつなぐ山道、二ノ俣沢~ニノ俣峠(山形-新潟の県境)までの道を見つけてきたよ!

2016/12/08

ども、田口(@tagu_h1114_18)です。 大鳥から山を二つほど越えたところに、山熊田(新潟県村上市(旧山北町))という集落があります。 2016-04-10-01 aa 車が無い時代、大鳥の人、山熊田の人たちは山を越えてお互いの地域を頻繁に行き来していました。ある時は安産祈願で山熊田へ、ある時は大鳥鉱山へ働きに…。大鳥―山熊田の人で婚姻関係を持つくらい、濃い関係性がありました。 昔の大鳥の人は足がとてつもなく丈夫で、片道2時間半で山熊田まで通っていたそうです。(現在も車で海沿いの道を通っても2時間~2時間半はかかるので、車でいっても山道でいっても変わらない…。) 大鳥 山熊田地図 川・二の俣峠入り オレンジ色の道のりですね。直線距離にして8km強。   しかし、山熊田―大鳥間の山道は鉱山が下火になり、パルプのための木伐りの仕事が無くなり、道路が整備されていったことで、およそ50年前から、山道が使われなくなっていったと地元の人は言います。   現在でも、山熊田~ニノ俣峠(県境)までの山道は、山熊田の人たちの力で維持されていて、僕自身も2015年11月に、山熊田の方々が主催するトレッキングイベントで山熊田~ニノ俣峠まで歩いてきました。山道はちゃんと整備されていて、歩きやすかった。今でも地元の人が山菜採りやキノコ採り、もしくはトレッキングのイベントで使っているからだと思います。 ※大鳥と山熊田の位置関係や、交流・交易の関係、山熊田~二ノ俣峠までの道のりについての記事は、2015年秋に山熊田~ニノ俣峠まで行った時に記事に書いたので、以下のリンクからご覧ください。   参照:【前編】幻の塩の道を訪ねて…。大鳥-山熊田をつなぐ山、二の俣峠に行ってきた。|ひろろーぐ 参照:【後編】幻の塩の道を訪ねて…。大鳥-山熊田をつなぐ山、二の俣峠に行ってきた。|ひろろーぐ   しかし、大鳥~ニノ俣峠(県境)までの山道は整備されることなく、藪だらけになってしまっている。 この道をどうにか整備して、大鳥~山熊田を山の道で繋ぎなおしたい。 その為にまず、昔の道がどこなのかを確認しにいかなければいけない。ということで、2016年の春、残雪が残る頃に一度、調査をしに地元の人5人と共に二ノ俣峠を目指しました。   が、この時は残雪が残っていて桧原林道を車で走らせることが出来ず、大鳥の松ヶ崎集落から一つ山を越え、桧原林道に入ってから二ノ俣沢に入り、そこから山に入る…という道のりだったこともあって、時間的に県境にたどり着く事ができなかったし、行った山道も、人が通る道らしくなく、「ここではないだろう…」ということで、終わっていた。 この時の詳細については2016年4月に書いた以下の記事からご覧ください。 参照:つい数十年前まで、ムラとムラは山で繋がっていた。幻の塩の道『二ノ俣峠』の下見に行ってきたよ。|ひろろーぐ   一回目の調査から半年が経ち、木々が枯れ、見通しがつくようになった12月初旬。県境にたどり着く事、山道を確認するという2つの目的を持って、地元の人が中心となって改めて二ノ俣峠に入り、帰りがけの道で遂に、その山道を見つける事ができました。 今回はその調査の様子を綴っていきたいと思います。  

二ノ俣沢~県境までの山道の調査。

%e5%86%99%e7%9c%9f-2016-12-04-8-30-16 朝の8時半頃、大鳥にある桧原林道から二の俣沢へと移動。駐車場に車を止めてからは歩いて登っていった。メンバーは僕も含め大鳥の人が4人、その他有志が3人の計7人。朝露がまだ残っていたが、初冬には珍しく良く晴れた日で、山行きには申し分なかった。 %e5%86%99%e7%9c%9f-2016-12-04-8-51-37 現地にて、地図を見てルートを確認。大鳥在住のベテランマタギさんにその登り口までの案内してもらいました。   脚の達者な地元の人を先頭に、道なき山道を登っていく。柴が刈られていない道は、いくら緩やかな傾斜でもけわしい。時に落ち葉で見えないところにある木で足を滑らせることもあれば、時に両手で柴をつかみ、小股で一歩ずつ、登っていく。   一時間ほどあるいて、一休み。水%e5%86%99%e7%9c%9f-2016-12-04-9-41-33を飲んだり、タバコを吸ったりしながら、10分もすると、「いつまでも休んでたら県境には着かないぞ」と葉っぱをかけるのは地元の人。60歳を超えるのに、本当に足が達者。 来ていたフリースやウインドブレーカーはサウナ状態になり、上着はアンダーアーマー製の長袖とベストだけになっていた。12月でも険しい山道を歩けば、暑くなった。 %e5%86%99%e7%9c%9f-2016-12-04-10-40-32 登る途中に見つけた、木に彫られた文字。なんて書いてあるのかわからない…。   途中、2度ほど休みながら、離れ過ぎないように歩いては、大声で呼んだり、無線機で連絡を取り合い、互いの居場所を確認し合っていた。   県境近くになると傾斜がかなり厳しくなり、傾斜角にして50度もあるような、クライミングに近い状態で目の前の木やシバが腐っていないか確かめながら強く握り、足を滑らせながらやっとの思いで登っていく。 気が付けば山あいには雪が残り、ウサギやカモシカの足跡も見えた。 %e5%86%99%e7%9c%9f-2016-12-04-13-08-49 12時半にもなった頃、山形県(大鳥)と新潟県(山熊田)の県境、二ノ俣峠に着いた。登り始めてから3時間半が経っていました。 2015年11月に、山熊田から県境の二ノ俣峠に行った時と同じ景色。大鳥方面を覗いて真下に桧原林道、左手には荒沢ダムとダムの管理棟が見える。右にはすっかり雪を被った1700m級の以東岳、正面には月山が。幸いにもとても良く晴れた日で、見渡す山々がキレイだった。 疲れた体を休めながらの昼食。 こういう時のご飯は、向かい合ってではなく、みんな山を眺めながら食べる。空気や景色も一緒に食べる…といった具合に。   県境の位置を確かめ合いながら、登ってきた道はとてつもなく急なところもあり、道らしき道も途中では見られたが、途切れていたこともあり、ここではない道ではないか…と。 帰りは別のルートで降りてみようという話になり、スマホのGPSも参考にしながら県境からほど近い尾根を降りてみることに。 %e5%86%99%e7%9c%9f-2016-12-04-13-10-34 帰りがけには、自分たちが歩いた道がわかるよう、ピンク色のテープを枝に巻きながら歩いた。 記念すべき一つ目のピンクのテープは、県境に付けた。山熊田の方々が来年、トレッキングのイベントで二ノ俣峠に来るときは、きっとお目見えするかと思います。   帰りも藪だらけ。かつてはこの辺からパルプの木出しをしていたらしく、切り株が幾つも見られたし、新たに生えてきた細い木々が行く手を阻む。木を運ぶのに使ったであろう錆びついたワイヤーも落ちていた。大鳥でパルプの木出しをしていた頃だから、今から30~50年前のことだろうか…。   帰りがけの尾根沿いの道には沢山の木に、文字が彫られていた。 %e5%86%99%e7%9c%9f-2016-12-04-14-17-51 %e5%86%99%e7%9c%9f-2016-12-04-14-17-22 %e5%86%99%e7%9c%9f-2016-12-04-14-15-49 %e5%86%99%e7%9c%9f-2016-12-04-14-17-55 古くなって読めない字はあるけれど、情報として多いパターンは大体3つ。 ①年月日 ②掘った人の名前 ③何をしにこの山に来たのかという目的。 今回見た中で古いのは、昭和初期のころに彫った文字でした。 途中で電池が切れてしまったので彫られた木の全部を写真にとることはできなかったのですが、結構な数が彫られていた。   行きの尾根沿い、もしくは春に登った時の山道でも文字が彫られている木は何本かあったけど、この道ほどではなかったし、道らしい道もあった。つまりは多くの人が行き来したことが容易に推測できた。距離的にも二ノ俣沢から県境を越える場所までが一番近い尾根の道。   地元の人の話の中では、「ここが間違いなく二ノ俣峠までいく道だ。」と確信めいていた。   大鳥に住む古老たちはかつて二ノ俣峠を越えて山熊田へ行くときには、「ウマノセを通っていったんだ」と言っていた。馬の背のように見える山の形がそう呼ぶようになったのだと言うが、帰りがけの尾根沿いの脇には、沢が流れていて、その沢の名前もウマノセ沢という名前だった。   恐らく、いや、間違いなくでこの尾根沿いの道が、二ノ俣沢~二ノ俣峠まで行く山の道。   2016年の春に行った一回目の調査の時はその”ウマノセ”を見つける事ができなかった。古老によっても情報が違って、「行って確かめるしかない…」ということで行ったのが、この時は県境まではたどり着けなかったし、道の感じからもどうやら違った。 その間にも地元の人から情報を集め、今回の調査でようやくそれらしき道を見つけることができた。 20161207011 今回のルートGPSログ。大鳥と山熊田の位置関係も含めたログ。 20161207021 ログ拡大版。上の道が行き、下の道が帰りで、この道が昔の山の道。 ※自分のスマホが電池切れになってしまって全部を記録できなかったため、同行していた人のログデータを拝借して掲載してます。   夕方3時半頃、全員が無事に下山し、駐車場で思い思いのことを語った。 その時の様子が、本当にみんな楽しそうで、僕自身もとてつもなく楽しくて、何かが湧き出るように嬉しくて…。 どこからか降ってきて、みんなで協力しなきゃけないような事業が終わった時の達成感やその後の飲み会よりも、自分たちで行きたいと思い、実際に足を動かして探し当てた。そこからこみ上げてくる何かがあることくらい、その場のみんなの顔を見ていればわかった。   2014年、30年ぶりにタキタロウ調査をやった時に似た雰囲気というか…。 参照:伝説の巨大魚タキタロウを、大鳥人と全国から集まった仲間たちと調査してきたよ。|ひろろーぐ それを2年ぶりに感じることが出来て、めちゃくちゃ嬉しかった。  

今後に向けて

「昔の山の道を復活したところでなんになるのか。」「どうしてこんな非効率・不合理なことをするのか。」なんて、思われることもあるかもしれない。 だけど、なんていうか、そういうことじゃなくて、僕自身、この昔の道を歩いてみたい。いろんな歴史、背景を持った道を。多くの大鳥の人たちが踏んでいったであろう道を。二つの小さい山奥の集落にとって、とてつもなく重要であったであろう道を。 そして山の道を整備し、歩いて山熊田に行ってみたい。最終的には大鳥-山熊田間をトレッキングするイベントなんかもやってみたい。   内側からにじみ出る何かがあって、それが抑えられないというか…。   地元の人は大鳥で生まれ育っている分、思い入れが僕とは比較にならないかもしれないけれど、多分、似たような気持ちだったんじゃないかと思う。山熊田のこと、二ノ俣峠のことについて話を聞くと、それぞれが経験したことや聞いた話、覚えていることなど、言葉が滝のように出てくる。 「何がモチベーションでここまで来たの?」なんてことは聞かないまでも、一緒に時間を過ごしている中で、感覚的な何かが一つだった気がした。   「この道で間違いない!」と地元の人が確信を持てた時、すぐさま「この道を復旧させるプロジェクトを立ち上げよう!」とみんな盛り上がった。   この時、久しぶりに強く思った。 「事業って、こうして生まれるんだなぁ…」って。   2015年秋には山熊田から山に入り、二ノ俣峠から大鳥を見て、この道で大鳥に行きたいと強く思い、2016年春には地元の人たちと初めて調査に入ったが失敗。そして今回とうとう見つけることができた。 知識・経験・思いを蓄積していくと、「それを形にしたい」という原動力に変わっていく。動いた分だけ、次にどうしたらいいか、という具体的な何かが見えてくる。   そしてこれからは、鳥熊(大鳥―山熊田)山道復活プロジェクト(仮称)と題し、地元を含めた有志たちで、来年度から本格的に山の整備に当たれるよう、関係各所と調整をする予定。   そしてなぜか僕が、このプロジェクトの”スポークスマン”とやらになってしまいました。広報担当の意味らしい。また、金の匂いがしない、楽しい仕事が増えました。笑 精進して頑張ります。   関係各所と調整が取れれば2017年春から山の道の整備が始まる予定。 次回の更新をお楽しみに。   また、今回の山行きに一緒に行った人がブログを書いてくれていたので、こちらも良かったら読んでみてくださいませ。 参照:幻の道を探す山熊田チャレンジ(*^_^*)プロローグ!|山形県鶴岡市あさひむら観光協会ブログ♪   せばまたの。

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