ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

山間地域に暮らすなら、"孤独を優しく抱きしめる"くらいが丁度が良い。

写真 2016-05-16 16 15 10

ども、田口(@tagu_h1114_18)です。

以前、こんな記事を書きました。

居酒屋文化にドップリ浸かっていた僕が、里山のぬくもりあるコミュニティーで孤独を感じる理由。|ひろろーぐ 

僕が暮らす地域では、表を歩けば知っている人がいて、挨拶したり冗談を言ったり、一緒に行事や仕事をする。人との関わりはよくある。だけど、都会的な感覚、若者の感覚に引っ張られてたのか、なんだか満たされない…という感覚が以前は強かった。

中心市街地から35kmも離れた僕の暮らす山間地域には居酒屋は勿論ない。いこうと思うと車で中心市街地まで行って、3,000円で飲み食いをし、4,000円でビジネスホテルに朝帰り、もしくは代行運転で7,000円…というパターンなので、一回呑みに行くと7,000円以上の出費は確実。週一回、居酒屋で呑むのは現実的でない。居酒屋に集う的なコミュニティーもないし、同世代の友達と飲みに行くこともほぼない。

 

こんな感覚を持っていた頃から3年の月日が経ち、田舎暮らしにもようやく慣れてくると、この感覚にも変化が…。

 

つながりを強くは望まず、孤独をいかに受け入れていくか。

むしろ、良い意味で孤独を受け入れられるようになってきた。

僕の暮らす地域では80人そこそこしか人がいないし、70%は65歳以上という超高齢社会。こういう環境の中で気の合う友達が身の回りに沢山いるわけがないし、それを望んでも仕方がない。それに、中心市街地で繰り広げられる友達付き合い的、時間潰し的、繋がり欲求的、寂しさ解消的な飲み会というのは、物理的な距離、金銭的なハードルによって機会が激減した。

だけど、同じ地域に暮らす時間を積み重ねてきたことで、山に行けば山菜やキノコが採れるようになったし、田畑も始めた。地域からも仕事を頼まれることが増えてきたし、地域の組織の役割もいくつか担っている。自主事業もある。そうして自分のやること・居場所が徐々に確率し始めると、「寂しいから街場へ呑みにいこう」だなんてという発想が少なくなっていった。

それと、誰かに自分の時間を引っ張られるのも嫌になっていく。おじいちゃん・おばあちゃんらと過ごす時間は楽しいことがたくさんあるけど、一緒に長く居過ぎると愚痴・陰口しか出てこない。そういう時間を過ごすのは好きじゃない。だから仕事が終わったらスパッと帰る。飲み会の時とかにいっぱい話す。誰かといる時間を意識的に切って、一人の世界に帰ることは優しい人であればあるほど心苦しい。けど、そんなことで地域との関係は崩れない。むしろ、約束・時間を守るとか、言われたことをキチっとやるとか、筋を通すとか、当たり前のことを当たり前にやることが大事。

 

日々、ただ目の前にある沢山のタスクや願望を整理し、淡々とこなしていくこと。

やることに囲まれていると、なんだかんだで時間が流れていくし、それが結構楽しい。そうしておじいちゃんになって、死んでいく。

それで良いと思う。

 

いつもは一人。山に入ったり、パソコンで仕事をすることがほとんど。たまにYoutubeを見ながら晩酌をしたりもする。

一週間のうち、2~3日は複数人で仕事をする。誰かと働く楽しさがある。街場にでてプロジェクトの打合せやイベント企画運営なんてこともある。

たまに、友達が来て、飲んで語らう

今はそれで十分だと思っている。

 

あとは、いつも誰かがそばにいてくれると…。なんて望みは、僕の年収ではまだまだ叶いそうにありませんが、まぁその辺は追々ですね。

せば、またの。

-里山ライフ
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