ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

里山で自給できる超多様な食材たちを駆使しながら年間80日を働くことで、ぼくらはもっと自由になれる…かもしれない。

2015/01/29

お盆で子供・孫さんが帰省する時期に気合入れてごはんを作りすぎるのか、地域の方々からおすそ分けを頂くことがほぼ日課となっていました。

 

ども、田口です。

 

前々からブログでもちょこちょこご紹介していたことなのですが、里山には本当に多様な食材・資源があります。

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里山に住む人たちは食の豊かさを暮らしの中でかなり体現している。自分たちが生きていく分の食料は十分に自給している。

スーパーなどへ買い物に行きにくい場所というのもあるけど、買い物に行く必要もあまりないように感じます。僕も春~夏の時期は食料を買いに行くのは月3回くらい。食費は5,000円/月 程度。

身近なおじいちゃん・おばあちゃんは年齢的なこともあり、里山でとれる資源を活用・販売+年金で生活を送っていますが、里山の暮らしを働き盛りの若者に置き換えたとしても、『里山の食材を自分の暮らしを守る盾にし、自分のやりたいこと、仕事に時間を割く。』という絵が描けるような気がする。

 

ということで今回は里山の圧倒的で多様な自給力をご紹介しつつ、その自給力を身につけて得られる暮らしの可能性について綴っていきたい。

 

里山の多様な食料たち

現時点で僕の知る限りの大鳥で活用できる食材をご紹介すると…

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もはや『里山スーパーマーケット』という名前をつけてもいいんじゃないか…。笑これが僕の住む人口100人以下の小さな小さな里山でとれる資源です。ここに上げただけでざっと82種類。

 

特にお米・野菜や山菜・キノコは地域内で消費されることが多く、食生活は本当にに贅沢!

食事に誘ってもらって家にお邪魔すると、食卓が本当に豪華なんですよね。食べきれないくらいの食材が並んでくる。こんな光景を何度も見ると「田舎の人の方が都会の人よりよっぽど鮮度が高く美味しいモノを食べているな…」といつも思う。笑

 

とれる食材は季節によっても地域によっても異なるので一概には言えませんが、大鳥と同じような里山であれば山・川・畑や田んぼがあるから、多様な食材がとれるはず。

 

高齢化がハンパなく進んでいる里山だからこそ個人レベルの自給ができるチャンス。

里山の農業は付加価値をつけて販売することは可能だと思うけれど、現代の大規模農業を奨励する流れに食い込んで専業で稼いで生きていける可能性は無いに等しい。

僕の住む鶴岡、ないしは庄内平野では大規模の農家さんが沢山いて、見渡してみるだけでも「物量では絶対に敵わないなぁ~」と感じます。

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鶴岡にある金峰山の頂上から撮った庄内平野。田んぼがとにかくいっぱい。

 

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僕の住む大鳥。庄内平野に比べものにならないくらい小さい。

 

農家として生きて行こう。もしくは農家である程度の稼ぎを生み出そうと思うとそれなりの物量が無いと厳しいと思うのですが、自分だけ、もしくは自分の家族だけを賄う分には里山にある畑・田んぼで十分すぎます。

 

しかも今は、幸か不幸か、里山地域は圧倒的な高齢化で担い手不足になっている。社会的には深刻な問題になっているけれど、その地域に飛び込み、自給できるくらいの小規模な畑や田んぼを借りることは割とたやすいと思う。

現に僕は、畑や田んぼを地域の人から無償で貸りている。本当にありがたい限りです。

自分が一年間に食べるお米の量を知れば、機械が無くてもお米が作れるよ。2050年に世界的な食糧難になるかもしれんが、そんなの関係無しにお米くらい自給したほうがいいんじゃない?|ひろろーぐ

 

勿論これは、人間関係が前提としているので誰でも農地が無償で借りられるわけではないと思いますが、人間関係がある程度できていると仮定すれば、例えば農地を無償で借りる代わりに作った作物をおすそ分けするといった交換条件にすれば互いにハッピーになるんじゃないでしょうか?

 

ツテも繋がりもない人が里山に飛び込むにはかなり勇気がいることかもしれませんが、今は地域に飛び込む手段として地域おこし協力隊や、緑のふるさと協力隊新・田舎で働き隊がある。全国にパーマカルチャー的な生き方・思考を好む人が集まるトランジションタウンもあるし、高知県のいなかパイプとか、福岡県の津屋崎ブランチも素敵な取組みをしています。

また「いきなり地域に飛び込むのはちょっと…」という人は、手始めに定住促進イベントなどに参加してみるのもありじゃないかな~と思います。

地域活性化センターが定住促進のイベントをしたり、全国の定住関連の情報を取り扱っています。

 

終わりに…

自分が自給するだけの食材を畑や田んぼで作るなら、ほんの少しの農地で十分だと思います。田んぼの場合、一反歩あれば少なくとも5人くらいを一年間食べさせられるくらいのお米が採れる。山に行けば無償で山菜やキノコ、薬草もとれる。川に行けば魚も釣れる。

自分の命を守るために絶対必要な食を自給することができれば、本当に強力な盾になる。

 

けれど、攻めが無い守りには意味がないと思う。

 

食料を自給することは食の究極の透明性を再現しているし、自分が作っているので安心・安全は間違いない。

けれどそれは、生きる上で絶対に必要なモノを自分で作る・生み出すことができるようになっただけで、自分を表現すること、お金を稼ぐことには直接的に結びつかない。

言い方を変えれば、最悪会社を首になっても、働き口が無くなってもある程度は生きていけるから、あとはひたすら自分のやりたいことをしたり、自分を表現したり、鍛練を積んでお金を稼いだりすることもできるだろう。

 

だから、守っても、守りすぎることはない。多様な資源を盾にできれば、後は攻めるだけ…。

 

僕は今、ヘンリー・D・ソロー著、今泉吉晴 訳の『ウォールデン 森の生活』(1854年)という、アメリカはマサチューセッツ州にあるウォールデン池の湖畔でソローさんが実際に自給自足的に暮らしていたことを綴ったという本を読み進めているのですが、その本で衝撃的な一文が書いてありました。

私は、五年を超える歳月を自分の手で働いて生きた経験から、一年につき六週間ほど働けば、暮らしに必要なありとあらゆる代価をまかなえることを発見しました。つまり私は、その程度働くだけで、冬の日の全てと夏の日の大部分を自由にし、研究のために空けることができたのです。

※ここで書かれている『暮らしに必要なありとあらゆる代価』とは、食物、避難場所(住居)、衣料、燃料のこと。

 

自分自身で体現していないのでわからないのですが、里山という住環境に身を置き山・川・農地を駆使し、年間で6週間、日数にしてたったの42日を働けば、あとは自分の活動にフォーカスできると思うとめちゃくちゃワクワクします。笑

 

更にはこんなも文面もあります。

私はというと、日雇いの肉体労働の仕事こそ、どんな仕事より独立を保てる仕事であることを発見しました。私は、この仕事を年に30日から40日すれば暮らせるどころが、気に入っています。肉体労働者の仕事は太陽が沈めばおしまいで、後は解放され、したいように過ごせます。それに比べ、肉体労働者の雇い主は、毎月、仕事の手配をし、年中忙しく、ほんの一時も休めません。

これは固定費が圧倒的に安く、生活コストが殆どかからないことが条件だと思いますが、たとえ自分で仕事を生み出して稼げなくたって、年間30~40日を日雇いで稼げば暮らしていけるらしい。

幸運にも僕の住む大鳥にも農作業手伝いや草刈、雪下ろしなどの日雇い仕事があって、恐らく年間で40日は普通に働ける。大きな固定費を削ってしまえば協力隊が終わってもとりあえず大鳥で生きていくことは出来そうです…。笑

 

これが 仮に実現できたとすれば、暮らしに必要なモノの自給する日数と合わせても年間で80日働けば生きていけます。

残り285日は自由時間。スゴイですね。

 

けれど、この本は今から150年以上前のアメリカでの話なので時代背景があまりにも違う事と、僕にとってネット環境は必須だし、家賃とか電気・ガス・水道代を考えると+20日くらいは働かなきゃいけないかもしれないな。(苦笑)

 

一年間で自分が食料を自給できた量や、自分が食の自給に費やした日数を把握できたら是非ともこのブログで紹介したいですねー。(来年の春からスタートさせたとしても、最低一年かかりますが。)

 

『ウォールデン 森の生活』の中には資本主義社会を忌み嫌う表現が節々に見られますが、農的暮らし、里山暮らし、田舎暮らし、半農半X、地方暮らし、パーマカルチャー、トランジションタウン、エコビレッジなどのキーワードが引っかかる人にはかなり刺さる内容だと思いますよー。

 

少々お値段が張りますが、気になった方はゼヒ読んでみて下さい♪

せば、またの。

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