ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

歩けないわたしが、わたしらしくあるための”脊髄梗塞”リハビリ日記 後編(あした天気になーれ!からの転載)

歩けないわたしが、わたしらしくあるための”脊髄梗塞”リハビリ日記 前編(あした天気になーれ!からの転載)|ひろろーぐ の後編です。

前編より少し長めですが、病との格闘、家族との対話など…。マルさんの身の回りで起きた出来事がツラツラと綴られています。

じっくりご覧くださいませ。

 


○1月8日

静かすぎるほどのお正月休みが、かえって私の心身に虚しさに似た陰を落としたのかもしれません。 リハビリ室へ車椅子で行くには行けども、何も出来ません。ただただリハビリ室の窓の外をジーと眺めているばかり。外は雪が、季節を間違えたかのように、雨に変わっていました。

一日一時間という貴重なリハビリです。40分間、まわりのリハビリを頑張っておられる患者様を背中に感じながら、そのままに病室に帰ることとなりました。それでもスタッフの皆様は、そっと私を持って下さいました。

「ごめんなさい」 どうしても今日は心が折れて何もできません。

 

○1月12日

「あーいやだ!」 今日はいつになく病む!腰~足先までがビリビリ、足がつっぱる感じ。そんな体にさらに針が、数十本も刺されている感じが!薬を増やせば吐き気が…。病んでもムカムカ…。  

「助けて!」 何度も心の中で叫んでも、この痛みは来る日も来る日も、発病からずっと続いている。

治療して一ヶ月が過ぎてもずーっと、そして私の足は動かない!!「リハビリ頑張って!」とみんなが声をかけて下さるけど、頑張れの声がキツイ!自分の為に頑張るほどキツイものはない感じがするのは何故だろう?!

 

○1月14日

「こんな体ではもう家には帰れないかも?!」感覚神経は少しあるけど、運動神経は全くない感じだ…。リハビリでどう変わるのだろうか?! 息子がインターネット等で、私に合うリハビリ病院を必死に探しているけれど…。「難しい!」県外の病院へ、家族の側にいたいけど…それよりそもそも病院が探せない!  

 

○1月15日

友人がお守りをわざわざ仕事の前にもかかわらず届けてくれました。『病快気守り』です。今も私の大切なお守りです。

私が病と闘っている間に、我が家の中も大変な状態になっていました。私には隠していたようでしたが、夫が思わず「ばあちゃん、大変だ↓」ともらした言葉に私は、ハッとしました。母が私の入院中に心配のあまりか認知症様の症状が強く出て家族が苦労していたようです。家族みんなが奮闘していたのでしょう。私がしっかりしないと。。。。。  

 

○1月16日

主治医とムンテラ面談(医師との面談)です。ドクターはおもむろに、そしてしっかりと、現在脊髄梗塞という病気は、大変珍しい病であり知られてもいないところがある。これといった治療もない。私の梗塞は一部取りきれなかった残念だが…。

この病気のリハビリ病院もドクターは、不明との事でした。今後のことを…重い空気が流れていました。私は母の事も心配ですし、これという病院も不明ならば、地元のリハビリ病院への転院を希望しようと思いました。 「あきらめないで!!」と息子は私に言い続けましたが、心だけで充分ありがたい。

その日のリハビリは車椅子に一人で平行移動して移乗する練習を行いました。”トランスボード”という板のような物を使用して練習を行いました。「自分でトイレに行けたら良いナァー」と思いました。

「家族の為にご飯を作ってやれたら良いナァー」とも、その時に思いました。これが、私の目標になりました。   発病43日目位で、血栓予防に入っていた、足の弾性ソックスが外れました。

しかし外れたはずなのに足の感覚がほとんど感じられないような、あるような?そんな折に、気にかけていた混濁尿、血尿が尿管ホーレの管に肉眼でもわかるほどになっていました。リハビリを頑張るほどに、体の働きにホーレの管が刺激されるようです。膀胱洗浄と尿管ホーレの交換を看護師さんからたびたび行ってもらうのですが、私の体は尿管ホーレを異物と思っているのでしょうか…。  

 

○1月19日

昨夜は痛み止めがほとんど効かないほどに痛みました。痛みから逃れるために、やっと眠りへ逃げ込んだ感じでした。

いつも夕方ぐらいから痛みや、なんともいえない体の重みを強く感じるようになります。じーっとクスリが効いてくるのを待っているだけ。

今日は母のことで家族が、地域包括へ相談に行くと言っています。『みんなも頑張っている…私もしっかりしないと』

 

○1月21日

『ダウン↓』体温38度越え。脈が早く打っているのがわかる…。腰が痛い。尿管ホーレが汚れている。『水分いっぱい取って!』と、心配していた尿から発熱が…。 点滴が開始されました。体が重い!痛い!二人の息子が何にも知らずに見舞に来てくれました。私の顔を見るなり、落胆した様子を隠せないでいる。

「ごめん」と私は一言詫びてしまいました。

彼らにとって私の入院したことに驚き、不安の中にいたはず。私は勤めて息子達の前では、笑って明るく見せてきました。母親の日々少しずつ元気になっていく姿を願っていた時だったろうに、重い空気が…。

『抗生剤ですぐ良くなりそうだけどなー』

医学のことは無知なくせにそんな思いが頭を横切ります。主治医は点滴(水分中心)と、私の免疫力での治療を行ってくださいました。これから続くであろうと思われる、私の尿管ホーレを利用した生活。自分の力で病気と闘う体を作る、私へ向け体の免疫力アップのリハビリだったのかもしれません。

ある看護師さんの言葉が心に残っております。

「尿管ホーレを自分の体の一部と思い、管内の汚れ尿をパック内に流すケアーを自分からも行うように。菌への免疫を作るために、食事をしっかり摂り、水分を多く摂るように。それでもダメなときは、点滴で水分を補い体を助けます。今は体に免疫力をつける練習をしているのだと思うので頑張ってください…。」 尿管ホーレを自分の体の一部と思って強い体になれるように…。そんなふうに私は受け取りました。

薬の服用で口が渇くこともありましたが、努めて水分を取る習慣がいつの間にか身について行きました。午前・午後500mlずつのボトルに水やお茶をできるだけ取るようにしております。  

 

○1月24日

体もようやく楽になった真夜中、眠れずそーっとテレビをスイッチオン! 山海教授(筑波大学)による研究の中で、動けない体を、ロボットや電動モーターで動かす!NHKプロジェクト…?もしかして私も歩けるの?-これは夢を見ているのだろうか?zzz…zzz…

翌日のリハビリ室で、担当の理学療法士と深夜の夢の中での話で大盛り上がりとなりました。ドイツでは保険対応、日本では自費で、ロボットで人間の体が動かせるらしいとか、なんとか…。ムニュ、ムニュー…。  

 

○1月25日

入院も50日以上になっていました。少し体が元気になると身だしなみが気にかかりはじめていました。 「良いですョ」と主治医からの一言で、心が躍り、体も不思議に元気になり、病院内の美容室で髪をカットし、カラーまでしてもらう事になりました。

「良いョ」と夫の笑顔に、またもや嬉しくて元気になったのを思い出すと少し恥ずかしくなります。  

 

○1月27日

54日目。リハビリスタッフより兼ねてから進められていた起立台を利用したリハビリがありました。体をベルトで固定して、寝た姿勢から電動で体が起立した状態まで動かすリハビリマシンに乗車するのですが、見るからに恐ろしく思えて乗ることが出来ずにいました。それがあるキッカケで乗る気持ちになったのです。 私の隣にリクライニング車椅子でいらした80才くらいの女性の方が、いとも軽々に笑顔で乗車していたのです。 それを見た私も挑戦。50度→60度?!どれくらい起立したのかは思い出せませんが、思いのほか気持ちが良いというか見晴が良いというか。急に背が高くなった気分です。足に加重をかけることで、眠っている神経、筋肉等に刺激をかけ目をさますために良いらしいとの事。

私には一番のリハビリ効果が期待できるマシンのようでした。このリハビリは、常にバイタル側定を行いながら行われました。実際に心臓がドキドキ。目眩もしてくる始末です。不思議に足のシビレが消えることもわかりましたが、急性期病院のリハビリでは一度だけの体験となりました。

生活リハビリとして入院中の入浴ですが、私は寝たままに入るベッド浴でした。週に1、2度の頻度で、体調を観察しつつ利用できました。座位が安定してきたことから、『姿勢が保てるかも?』と言う事で、スタッフ二人対応で、入浴キャリーでの入浴も体験する事も出来ました。何とか座位保持が保てるようになったようです。

急性期病院での治療も2ヶ月くらい、そろそろ療養リハビリ病院への転院の時期になっておりました。しかし体の痛みはどうしても取れない…。辛いままでした。  

 

○1月28日

地元のリハビリ病院に転院が決まりました。 再度MRIを撮影してもらい、主治医より脊髄の腫れはだいぶ小さくなっている、他に病気は見当たらないからと励ましてもらいました。

「本当にありがとうございます」と心より感謝していました。

 

スタッフの皆様にあらためて、深く感謝を申し上げます。 また、私は病気を極力まわりの方に対し伏せておりました。それにもかかわらず、私の病室にはお見舞いのお花が絶えることがありませんでした。この場をお借りしてお礼を申し上げます。  

2ヶ月間の急性期病院での治療を中心としたリハビリから、本格的なリハビリ中心の療養リハビリ病院へ転院となりました。

次回はリハビリ病院での様子をお送りできると思いますが…。

今朝のニュースに難病ALSDの治療に対し、期待の持てる話題が報道されていました。私たち脊髄梗塞の病にも、病気の解明、治療のより良い改善が出来たならば嬉しく思います。 御参読ありがとうございました。

マル。

 

 

前編はこちらからどうぞ。

歩けないわたしが、わたしらしくあるための”脊髄梗塞”リハビリ日記 前編

 


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リンク:あした天気になーれ! 

 

マルさんの過去の記事は以下のリンクからどうぞ。

「歩けないけど歩きたい!」突如患った難病”脊髄梗塞”と共に生きていく人生(あした天気にな~れ!からの転載)|ひろろーぐ

認知症の母と脊髄梗塞の私の、お茶の間合戦。それでも母に寄り添って…。(あした天気になーれ!からの転載)|ひろろーぐ 

 

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