鶴岡ナリワイプロジェクトとの思い出。
遡ること2年半前。僕自身、ナリワイという複数の仕事を掛け持ちして暮らすライフスタイルを知り、月3万円ビジネスを提唱する藤村先生が主宰の『地方で仕事を作る塾』に参加しながら、ナリワイ作りに少しずつ挑戦し始めた時期でした。
ワークショップ、物販、講話、ブログ…。
自分が経験したことを姿・形を変えてアウトプットしてきましたが、今も続いていることはブログや、時たま講和の依頼を頂くくらいか。
自分の好きなこと、得意なことを仕事にできたら、これほど嬉しいことはない。けれど、そんなに甘くないことも知った。マーケティング的には◎だとしても、ボランティアに近い稼ぎで続けるのは苦しい。「駆け出しはそれも仕方ない」と割り切るのもいいが、続けていく中で、自分が前のめりで取り組めていないことを感じたときの、お客さんに対する罪意識は、とんでもないものだ。この時、僕は28歳だった。
今思えば、この経験ができて本当に良かったと思う。改めて機会を頂けた方々には感謝したい。
鶴岡ナリワイプロジェクトが発足する前年、名ばかり講師だったが、取り組んでいるナリワイや、その考え方をお話させて頂いたことがご縁で、鶴岡ナリワイプロジェクトにも微力ながらお手伝いをさせて頂くことになった。
ゼミやフィールドワーク。コマ数は少なかったが、僕にとっては苦い経験でもあり、良い経験でもあった。
前に出て話すことは、そんなに嫌いじゃない。協力隊として大鳥に来てから、講演・講和を頼まれることが謎に多くて、パワポ資料作り&練習で徹夜をすることが何度もあり、そこで一つずつ積み上げてきた。
都会には経営・マーケティング・営業などのノウハウや思考方法を教えてくれる会社がある。AIDMAの法則や、マズローの五段階欲求など。そのどれもが本質的であるが、その会社に携わる人の多くは恐らく、ノウハウ提供や言葉選びは上手かもしれないが、腑に落ちないまま誰かに指南することがまかり通っている。そして、僕もそれに近いことをゼミでしていたんじゃないかと、振り返って思ったことがあった。
自分の経験をありのままに話すことはそこまで難しくない。けれど、伝わる形で披露するには、一苦労も二苦労もする。とかく骨が折れる。自分の経験を抽象化して伝える手法として、東京界隈のビジネス塾や経営セミナーなどでよく使われる言葉を多用した。それに、『地方で仕事を作る塾』で藤村先生から教わった言葉を使った。それが仇だった。身になっていない言葉を使うと、自分の経験から出る言霊から離れていく。論理的に結びつけるのが難しくなっていく。それで、ゼミの資料を作るのはかなり苦戦した。これは本当にいい勉強になった。背伸びをしないということ。これはホントに大事だ。
ゼミが終わって暫らくしてから、自分で自爆して苦しんだことをナリワイプロジェクト代表の井東敬子さんに話した。正直失望されると思っていたし、次は無いだろうとも思っていたが、敬子さんの反応は違った。むしろ、違う方法で学びの場を提供してくれないか?という前向き且つ建設的な話し合いに変わっていた。「こんな僕でいいのかな…。」という気持ちが強かったが、また前を向けた。
大鳥という自分のフィールドで、フィールドワークを開催したのが2016年の6月。人に仕事を振るのが苦手な僕は、受け持った仕事の責任を果たそうと、準備を一人で進めているつもりだった。だけど、気が付けば集客にはナリワイプロジェクトの事務局みんなが手伝ってくれた。当日も敬子さんや智子さん、蕗ちゃんやあきのちゃんが手伝ってくれた。単発のイベントだったけれど、地域おこし協力隊を中心に10人近く集まり、楽しい一日を過ごせた。だけれども、”背伸びせず、ありのままで”とお客さんを待ち構え過ぎるのも間違いで、学びがあるように、楽しんでもらえるようにと、事前に設計し、現場で配慮することが大切なことを教わった。ナリワイプロジェクト事務局メンバーは、山暮らしを少しかじったくらいの僕を圧倒するほどの導きを見せてくれた。
僕が関わらせてもらったナリワイプロジェクトの活動は、ゼミとフィールドワークのみ。
多くの参加者からすれば、田口?そんな人いたの?くらいの認識だと思うけど、僕からすればナリワイプロジェクトは短く、小さな関わりであったが、良き学びを沢山いただいた。この場所で出会った人の中には、今も時たま会えば楽しく話せる人もできた。
今の僕の暮らしは、仕事にしても暮らしにしても”大鳥”ばかり。僕個人としてはナリワイというカナカナではなく、生業という言葉で表現したいのですが、土木の仕事、自然体験学習の仕事、山小屋管理の仕事等である程度まとまった現金を頂きつつ、年賀状を作ってあげたり、事務をしたり、お茶のみサロンを開いたり、ブログを書いたり、狩猟・採集をしたり、大鳥の民俗調査をしたり、山の道を復活させようとしたり、大鳥音楽祭の事務局をしたり。とにかく季節によって暮らし方が変わって、仕事も変わっていくなかで、一年間というサイクルがとてつもなく短く感じる。気が付けば30歳になった。どんなに小さな仕事でも、自分ができることが一つずつ増えていくことが、今は楽しい。
ナリワイプロジェクトに関わり始めた頃から、根本的な考え方は変わっていない。固定費や支出を下げるよう工面をし、お金を使わなくても楽しめるような遊びを見つけ、前のめりになって取り組めることへの時間を大切にすること。そこにプラス、少しずつ大人になっていって、約束した時間を守るだとか、雇われ仕事は雇い主が喜ぶような働きをするだとか、自由と責任の両方を背負って自主事業を取り組んでいくとか。そういったことを日常の中で淡々とこなしていくことが出来るようになった。その全てが、ナリワイプロジェクトのお陰様だとは言えないけれど、血肉となった何かは確実にあると思っている。
偉そうな口をきける人間ではないが、やっぱり文章を書くのが好きなので、ここに鶴岡ナリワイプロジェクトの思い出を残しておきたくなった。
鶴岡ナリワイプロジェクトのみんな、ありがとうございました。
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