ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

地域づくりの本当の意味は、地域の維持を前提として変化させていくこと

2015/01/29

ども、田口(@tagu_h1114_18)です。 地域おこし協力隊として鶴岡市に来て一年半。 『地域おこし』という名がついているからなのか、特に一年目は「『地域おこし・地域づくり』について講演して欲しい!」と何度も言われ、僕もその度に「地域おこし・地域づくり」ってなんだろう・・・と考えていました。   僕が住む大鳥地域にも、地域づくりに熱心な人もいれば、ただ毎日、山の生活を楽しんでいたいだけ・・・という人もいて、その姿勢も様々。 地域づくりに熱心な人は「もっと地域の人に協力してほしい!」とか、「みんなで地域を作っていきたい!」という思いを持って活動しているけれど、ある人にとっては、「山で山菜採ってきて、畑をいじって暮らしていければいいよ。」という人も。 一見、バラバラなように見えるのですが、ある時にふと、「みんな『地域づくり』をしているんだな。」ということに気づきました。 地域づくりの本当の意味とは、地域の維持を前提として変化させていくこと。   これが僕の答えです。  

地域づくりとは何か?

一般的に言われる地域づくりというのは、地域の人が主体となって衰退した経済力を盛り上げたり、人口を維持・増やしたりするために行われる活動のことだと思います。 もう少し具体的に言うと、買い物難民の支援する事業や、地域資源を活用し販路拡大、空き家を開放しU・Iターンの促進、婚活など。   日本全国の里山・漁村・離島の殆どは人口減少&少子高齢化のダブルパンチを喰らっていて、そんな現状を何とかしようと、「地域づくり」という名のもとに活動している地域・団体が全国にあり、成功事例もたくさん出ていて目を引くものがある。 神の子米を作った石川県羽咋市や、葉っぱビジネスの徳島県上勝町、サテライトオフィスの徳島県神山町空き家から始まる商店街の賑わい創出プロジェクトnanodaの長野県塩尻市など…。 しかし、忘れてはいけないのは、メディアに取り上げられ世間から注目を集めることでも、経済効果を上げることでも、人口を増やすことでもなく、もう一歩深く踏み込んだ「地域を維持させる」という視点。  

地域は無くなって当然…というところから再出発する。

地域には何百年も前から続いてきた歴史があります。今となっては積み重ねてきた伝統や文化の蓄積にとてつもない価値があり、それに土着意識が強いことや近年では日本全体が成長し続けてきたことが背景にもあって、減ること・失うことをやたらと恐れる。 しかし、そもそも里山や漁村・離島という場所は、人が暮らしていくのに都合が良いから切り開かれた場所であり、現代においてはそこに住む必要が殆ど無くなってしまったので衰退に向かっている。それだけのこと。 会社組織と同じことですよね。世の中から必要とされなくなった会社は淘汰され、潰れる。自然なことだと思います。 ※このことについては以下の記事でもう少し詳しく書いています。 参考:「毎日楽しく生きていたいだけ…」という生きた言葉が胸に響いた~希望と刹那に包まれた超限界集落、大鳥地域の10年後を見たい~|ひろろーぐ   けれど、このそもそも論を飲み込んだ上で地域を残したい、維持させていきたいと望むのであれば、人の手に作った地域を人の手に維持させる以外に方法はない。 地域コミュニティーの適正な規模を把握した上で、時代に合わせて地域のあり方や事業を変化させ、世の中から必要とされなければいけないと思います。  

地域の適正な規模感を把握するための基準の軸は「限界」と「帰属意識」。

「人口が減っているから人口が増えたらいい…」という声は聞きますが、「じゃぁ、何人ぐらい増えたらいいですか?」という質問に対する答えが、数字で語られることはほとんどない。 これは、規模感を考える時の基準の軸がわからないし、教わっていないからだと思います。(偉そうなことを言っていますが、僕も教えてもらった人間です・・・。)   地域コミュニティーの人口数の基準の軸となるのが『限界』と『帰属意識』。   昔は地域の自然環境・耕作面積に応じて地域を形成し、人口を構成してきた。自然の恵みを活用して暮らすと言うことは、資源に限りがあることを知ることと同義なんですよね。 日本の場合、ベースに四季の循環があり、季節によってとれる恵みが異なります。けれど、乱獲をすれば来年からとれる量が減るし、一年の中である一定期間の間にしかとるチャンスが無いので採れる量に限界はある。 また、無限に広がっているように見える森や海も、人が介入できるエリアはそんなに広くない。田んぼだって沢水・川の水が無いと成り立たないので無限に耕せるわけじゃない。効率を考えると居住エリアだっておのずと限定されてくる。 自然に囲まれた環境で暮らしているのであれば、人の手が介入できる限界がどのくらいで、最低何人いたら地域が楽しく維持できて、何人以上いると資源の奪い合いが起こるのか…、という風に考える軸が一つ。   もう一つの軸が、帰属意識を感じられる地域コミュニティーの範囲。 地域コミュニティーの規模感の指標は、明治大学の小田切徳美先生が言及しています。 小田切先生は新フレームと言う表現をしますが、一つのコミュニティーの規模感は300~400人だそう。これは大字(おおあざ)の単位に近くて、お互いのことをほど良く認識でき、帰属意識を感じられる範囲だといいます。 マスメディアからの情報や市の広報などは、情報として自分の耳には入るけれど、自分事として捉えるのは難しい…。けれど、会社の方針や担当部署のこと、所属するサークルには関心があるので行動に変えることができる。それは帰属意識があって、自分事と捉えられることができるからですよね。 地域コミュニティーも同じで、ひとつの集落では小さすぎて息苦しいかもしれないけれど、距離感をほどほどに保ちながら、いくつかの集落を束ねて少し広域にくくり直すことで、風通しのいいコミュニティーになるかもしれない。その中で福祉的なサービスなどを展開していけたらいいんじゃないかなーと思います。  

時代に合わせて変化させていくこと。

いつの時代も、どうにもできない大きな力や価値観に僕らの暮らしが左右されていくしかないのだろうか? 国産の炭や木材から、海外から輸入する石油へとエネルギーシフトされたとき、輸入する会社が儲かって、里山で炭焼きや林業をする人たちは損をした。東日本大震災の時は地域に住んでいる人やそこで事業をしていた会社には大ダメージを受けたが、建設業界などは復興需要で潤った。 国の政策や世の中の情勢がガラッと変わると、損をする人も出るけど、得をする人も出てくる。影響をほとんど受けない人もいる。こういうことは普遍的に変わらなさそうで、今後も同じようなことが起きてくると思う。   けれど、こういうアンコントロールで回避不可能なことの結果、地域が衰退していく姿を見て、時代のせいだの国策のせいだのと愚痴をこぼすのは違う。 社会情勢やルール・価値観が大きく変わった時に、得をする側にいられればラッキー。だけど、そうじゃない人が殆どなんだから、自分や地域を維持するために、現在や次世代に必要とされるよう変えていくしかない。 少なくともビジネスの世界では、世の中の誰かに必要とされること=存在意義であるから、地域が必要とされるようなことを誰かに提供していかなければ存続することはできない。   里山の資源は乱獲しなければ毎年狩猟・採集できるのだから、とれた資源を今であればネット販売したり、マルシェに出店したりして販路を広げてみるのもいい。村民制度を作って都市農村交流を増やし、都会の人にとっての第二のフルサトとしていくのもいい。里山資源だけでは難しいのであれば、クラウドソーシングもサブ的に活用するのもアリだと思う。   たまたまなのか、今のご時世に「もう一度地域を見直そう!再発見しよう!」という若者の小さな動きが全国で乱立している。外の若者が地域に入り、時代の流れや都市の人が求めている価値観を共有できると変化が起きやすいので、いい流れだと思う。   全国的に人口減少と言われているけど、人口が減ることが本当に間違っているのか?人口構成も含めて循環させることが本当に正解なのか? 行き詰まった今こそ、地域の在り方を再定義し、変化させるタイミングなんだと思う。  

終わりに…

時代に合わせて変化させていくことは、地域を維持させていくにはとても大事なこと。 けれど、見失ってはいけないのは、地域として核となるモノ、本質。   山ガールが流行っているから、お金をかけて登山道を思いっきり整備して、山小屋も増やしたらいいのか・・・というとそれは違う。日本一の高さというブランドがある富士山や都心からアクセスしやすい高尾山だからそれをやるべきなのであって、アクセスが悪く認知度が低い山では同じ戦略を打つべきではない。 ブームが去れば閑古鳥がなくようなモノに目を奪われるのではなく、地域の歴史や文化を深く掘り下げた時に滲み出てくるものを基軸に考えていくべきだと思う。   例えば、マタギ文化。 山の神への信仰心からくる狩猟文化で、独特の山言葉や山に入る人数にルールがあり、知れば知るほど興味を掻き立てる。 熊猟を中心としたマタギ文化も、現在では熊の毛皮や胆嚢、熊肉が売りにくくなってしまい、生業とならないために存続の危機ではあるが、文化としてはすごく価値があり、変えるべきモノではないと思う。(とはいえ、猟具が変化したり、無線機を使うようになって猟の方法は変化していますが。) この変えざる文化を核として、「マタギと歩く冬山ツアー」や「タヌキの皮なめしワークショップ」、「獣害対策コンサル」のような、現代の人の潜在欲求にぶつける事業をやっていければいいかもしれない。   変えるべきところと変えるべきでないところをしっかりと見極め、変化させていくことから地域の維持が始まっていくんだと思います。   最後に、冒頭で「一見、大鳥の地域の人はバラバラだけど、みんな同じ方向に向かっている…」とお話しました。 ここで伝えたかったことは、
地域づくりに熱心な人は今あるモノを時代に合わせて変化させようとしていて、ただ毎日、山の生活を楽しんで暮らしている人たちは地域の暮らしや文化の維持に貢献していて、結局は地域の攻めと守りをそれぞれが担っているから大きく見れば、地域の維持と変化に繋がっている。
ということでした。   偉そうなことを散々書きましたが、昨年に講演やセミナーで学ばしてもらったことが未だに頭に強く焼き付いていること+大鳥を見てきて考えたことを文章にしてみました。 これが正解ではないかもしれませんが、考え方の一つとして何か参考になれば嬉しいです。   ちなみに印象に残っているセミナーはNPO上越後山里ファンクラブの関原専務理事のお話と、明治大学の小田切徳美教授のお話です。このお二人のお話は本当に深く、核心をついているので、チャンスがあればゼヒ聞いてみて下さい。 参考:『かみえちご山里ファン倶楽部の講義&朝日の可能性を探るワークショップ』を主催しました!|ひろろーぐ   せば、またの。

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