ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

僕の師匠は延命と言う名の監禁生活よりも、自由な死を選んだ。

2016/11/04

ども、田口(@tagu_h1114_18)です。

今年に入ってから、僕が山の暮らしをしようと思ったときのキッカケをくれた人が、突然亡くなりました。ガンだったそうです。

 

2016年2月。

大鳥の輪郭という民俗誌を制作していたのですが、とんでもないほどに納期に追われ、一日中パソコンに向かっていた頃。

スマホにLINEが届いて、「なんだろ?」と思って開いたら、1か月前くらいに師匠が亡くなったということを、娘さんが知らせてくれた。

 

手が止まった。

 

すぐにでも行きたかった。

 

気持ちはとてつもなくあったんだけど、納期まで既にスケジュールが押しまくっている。このまま形にできないのは…。

葬式はもう終わっているだろう。きっと嫁さんも気が動転しているだろう…。

 

そんなことを思い、行きたい気持ちを抑えて過ごしていた。

 

あれから半年。

 

10月末に、大阪に行く機会ができ、師匠の家へと行ってきた。

 

ようやく行けた。

朝の9時から2時間ほど、嫁さんからゆっくりと亡くなった時のお話を聞かせて頂いた。

詳しい話は覚えていないが、死因はガンだったそう。

 

不調になって病院で見てもらった時には手遅れといいほどガンが進行・転移をしていて、

主治医は当然のように入院の手配をしようとしたところ、師匠は断った。周りに言われても聞かなかった。

 

 

奥さん曰く、管を繋がれ、ベッドの上で生きながらえていくのが嫌だったんじゃないかなって。

それから、痛くなったら病院に連れていくということを条件に。漢方を呑み、調子が良いときは山小屋に通っていたそう。

 

けど、ある時、「おれ、あかんかもしれんわぁ…」と嫁さんに言った。

 

「なにゆうてんの、あんた。」いつもの調子で冗談っぽく言っていたのか、それを信じたくなかったのか、奥さんの思いは複雑だっただろうけど、そう答えるしかなかったのかもしれない。

 

その晩、普通に寝静まって。

 

あくる日、師匠が起きてこなかったから、起こしにいったら、帰らぬ人になっていた。

2016年の1月の出来事。

 

 

僕と師匠の出会いは4年前。

当時、社会人2年目だった僕は、やったことないことをやってみたくて、一人ヒッチハイクを試みた。5月のゴールデンウィークに神奈川の海老名サービスエリアで休んでいる人たちに声をかけていた。初めてなこともあって、恥ずかしいこともあって、5時間経っても誰もつかまえられずにいた僕。

オンボロの2トントラックの前でエコーを吸っていて、明らかに変なおじいちゃんがおるな。だけど優しい目つきをしてるなぁ…って思った人に声を掛けたのが始まりだった。

 

「大阪までなら乗せてあげるよー」

と言いながらも、途中からハンドルを僕に預けるくらい気さくな風来坊。

 

普段は大阪で植木屋さん、時間があるときは京都にある山小屋で悠々自適な暮らしをしていると聞いた僕は、その足でゴールデンウィークの最終日迫る日に、山小屋へ遊びに行った。

その辺に生えているタケノコ、ワラビを採ってきて、沢水で洗い、アク抜きをして、その場で食べる。という、生きることに直結する暮らし。

 

そこでの体験と、山から若者が降りているという話を聞き、そして地域おこし協力隊という制度の存在を知ることができ、僕は現在に至っている。

一度、弟子入りを申し込んでみたけど、嬉しそうに断った師匠。

※なので、今更ながら師匠とは呼べる関係ではないのですが、勝手に呼んでいます。

 

徳島の阿波踊りにも連れてってもらいました。

岡山県の西粟倉にも一緒に行きました。

協力隊になる前に、師匠の山小屋に遊びに行きました。僕が帰る時、涙を流してくれたこと、忘れません。

協力隊になってからも一度、大阪へ遊びに行ったことがありました。

 

風来坊のような師匠は、とってもキレイな死に顔だったって、近所の喫茶店で大阪のおばちゃんが言っていた。69歳でした。

…にしても、大阪のおばちゃんは本当に良くしゃべるね。

 

テクノロジーとか医学の進歩とか、僕もそういうので生かされているのはわかっているけれど、死ぬまでのことも、生きていることと同じくらいに、自分で選んでいきたいと思う。

 

最近のヘルスケアの商品ってのはとにかくすごくて、イスに座るだけでその人の気分とか調子がわかるものがあるの。そして、リラックスする音楽とか匂いとかが出てくるの。

AIとかロボットとか、そういう技術の進歩で、ますます人間の健康管理をし、生きながらえさせるための道具は出てくるんだと思う。

 

だけど、僕らは生身の人間なのだ。どっかで死ぬのだ。ヨボヨボで生きながらえるなんてことは僕は想定していないのだ。だから、生きたいように生きるのだ。死ぬときは死ぬのだ。

 

大鳥のおじいちゃんらなんか、そんな最先端のヘルスケアアイテムを使わなくても、今日も元気に山に行っている。動かないやつが元気に、健康でいられるわけがないだろ。そんなことを言わんばかりに…。

自分のことは、自分で管理している。自分の体を誰かに、何かに任せるなんてことは、そんなにできないのだ。衣食住を、生きる足元を知れば、そんなことは当たり前なのだ。

 

90歳になる僕のおじいちゃんは言っていた。

「ひろき君とは、会ったときに今回が最後だ…という気持ちで会っている」と…。

 

僕もその気持ちで、会っています。

 

せば、またの。

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