ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

自分がこの場所に何しに来たのか、を何度も何度も問い直す。

6年前、僕は山形県鶴岡市大鳥という場所に移り住んだ。

地域おこし協力隊という制度を利用したものだった。

 

キッカケはヒッチハイクだった。7年前のゴールデンウィーク。なんとなく興味があってやってみたヒッチハイクは自宅付近で捕まらず、海老名サービスエリアまで歩いたり、電車やバスを使ってたどり着いた。何時間粘ったかわからなかったが、そこで拾ってくれたのが見るからに優しいおじいさんだった。

それから、おじいさんが持つという山小屋へ遊びに京都の福知山の山奥へ行き、山の暮らしの断片に触れた。沢から水をくみ、薪を割り、灰を取り、タケノコを掘り、ワラビを採った。山に生かされた暮らしは街場を目指す若者には引き継がれず、間もなく無くなるだろう、という寂しさも聞いた。

 

山暮らしを体現したい。自分が山暮らしを体現すれば、他の若い人も示せるだろう。

これこそが、僕の地方に移り住む動機だった。

 

この言葉は、今まで何度となく唱えたし、講話を頼まれるたびに話しをしてきた。

 

6年経った今、それはどうなっただろう。

狩猟もする。山菜や茸も多少はわかる。農作業も経験した。草刈りや雪下ろしも人並みには出来るようになった。周りから求められることも増えてきた。

現在は、事務をしたり、役場との取次をしたり、会議の進行をしたり、野良仕事をしたり…。狩猟や採集は、生活の中に組み込まれていない暮らしになってしまった。

自分でもわかるが、そこまで山仕事に向いていない。

多分、自分の役割はそこではなかったのだろう。

むしろ、この地に暮らす人々の姿を記録に留め、後世に伝える事だろう。

 

川の水は痛いほど冷たい。

吹雪の杉林は恐ろしい。

熊の生命力はすさまじい。

 

山の人たちが当たり前に持つ感覚を、どうにか伝えることだろう。

 

暮らしの経験の中で、僕の目的は形を変えていった。

でも一つ、自分の中にあるものは追いかけていきたい。

-雑記

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