ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (3/5)

2017/06/17

この記事は、私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (2/5)の続きの記事となります。


 

○2/9
家の中ではTVをみる時間が増えます。NHKの番組で、地域活動に力を入れて活躍中の好青年をみつけました。今もビックリですが「この青年に助けて頂こう!」と思い、驚く行動に出たのです。
脊髄梗塞という病気が発症してからわかったのですが、病気を知っている方は少なく、治療方法も確立していない、治療生活に対しても法律のくくりから、いろんな問題がある…等を、世の中の人々に知ってもらい、何かを変えられたらなと思っておりました。
しかし、家族のいろいろな問題や体力的にもままならぬことでその思いを封じてきたところがありました。
そんな時に彼を知った時に、どうしてもお話をして力になって頂きたいと思いました。さっそくNHKの局へ電話を入れ相談したというわけです。
数日後、NHKの担当の方から、彼がお話をしても良いとのお返事を頂きました。嬉しくて久しぶりにドキドキしました。この出会いがその後の私の在宅生活に希望と活力を与えたことは言うまでもありません。
それから一週間後の2月16日、勇気をだしてお電話を入れる事が出来ました。病気発症により両下肢不全麻痺となり障害者になったことや、生活面を含めいろいろと苦労していることを伝え、自分のブログを作り、発信したいのだがままならず、協力して頂ける方を探していたこと等を電話で話させてもらいました。すると、意外にも簡単に、無謀な私のオファーにOKのお返事を頂くことができ、年甲斐もなく驚きで震えがとまりませんでした。この日から私のブログ発信がスタートしました。

○2/28
一方で、変わらぬ不安を抱える生活は続きます。今日は定期通院日。夜、眠れないことを訴えた私に主治医は睡眠剤を処方してくれました。加えて、身体障害者になった私を受け入れられない母は、不穏な様子がますます増えていました。
地域包括相談員や母の主治医に相談するのですが、どうもうまくいきません。父も私も睡眠剤の力で夜は眠れるようになり家族一応が疲れきっていました。

○3/1
現実の生活から解き放ってくれるかのように、彼からブログに対してメールにてブログのタイトルを決めてほしいと連絡がありました。家族の幸せと闘病生活が少しでも良い方向へ向うように、そして脊髄梗塞という病気が多くの人に知られ理解を得て、治療に繋がる事を願って”あした天気にな〜れ!”とタイトルを決めました。私は機械オンチなので、彼に原稿の修正とブログの発信を依頼する事になりました。とはいえお互い初対面ですので、間を取り持つ方をお願いしようと思い、私の社会参加の第一歩という理由をもって、相談員の方と三人でお会いする事になりました。人の縁の不思議さと希望を持ち続けることで、小さな力でも大きな力の和に出来ていくらしいと気付かされた日でもありました。
「どうかこれからもよろしくお願いします。」この日、ちょうど私の部屋に大輪のアマリリスのオレンジの花が咲いていました。この花を取り込んだアングルの写真が第一段”あした天気にな〜れ!”の記事の中に。ブログに花を添えてくれました。

○3/3
忙しくなり、ハリキリ過ぎたのでしょうか。右肩を痛めてしまいました。足が不自由なため、移動するのも自分の体重を支えるのも作業をするのもすべて両手、腕が頑張っています。「困った!」特におトイレにいく時が一番「痛い!」ので、湿布を貼ったり痛み止めを増量したりして耐えしのいでおります。人生いろいろ、良い事と悪い事は糾う縄のごとく!昔の人はうまく言ったものです。
※禍福(かふく)は糾(あざな)える縄のごとし:幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだと言う例え。

それより困ったのが父の留守中、母の落ちつけず興奮したような行動でした。医師より薬も処方されていましたが、こばんで服薬したがらない母、世話をしている父とのやり取りにもせつなく思いました。
年を老いて家事等もほとんど出来ない状態の母。そんな時に娘は車椅子姿…。母の病気の症状が出るスイッチが、私の”車椅子姿”を見た時。(電話で話す時はなんでもないのですが。)そしてバリアフリーにリフォームされた見知らぬ我が家。「ごめん、バァーちゃん。」思うようにならぬことばかりで。でも、今日は桃の節句だから…。せめて笑顔でいよう。

○3/18
定期通院ですが、季節の変わり目、天気の変わり目に体がついて行けずにいました。その感覚を『車酔いと、痛みが一緒に体に襲ってくる感じ』とドクターにお伝えると、「それは大変だ」と話されましたが。
そんな時は、痛み止めを服薬してじーっとベットで休むしかありません。それでもどうにか薬を少しでも減らしたい常々思っており、薬の量を減らし、服薬個数を増やしてみました。(1カプセル500mg×1錠→1カプセル250mg×2錠)
痛みが楽になる時は250mg×1錠にするなど、全体の薬の量を減らす方法です。今服薬している薬はすべて必要なもので、通院を重ねる中、ドクターとの信頼で薬のグラム数を減らす調整がとれてきました。「多くのスタッフさんありがとうございます。」

○3/24
 私のブログ作成もゆっくりと進んでいますが、作成を協力頂いている方の紹介で全国脊髄損傷連合の東北支部の役員で活躍されている方とお会いする機会を得ました。驚くばかりでしたが我が家にお越し願い、訪問看護師さんも交え4人でお話をさせて頂きました。
「その節は大変お世話様でございました。」障害をもっていても社会参加は可能なんだな〜とあらためて思ったのですが、まだまだ先のように思ってしまう自分もいます。

○3/29
先日お会いした、脊髄損傷されながら車椅子で自家用車を運転され、社会参加されている方(全国脊髄損傷連合東北支部の役員)の話に刺激を受けたようです。日用雑貨や食料品を購入するため、夫と日曜日の混雑したスーパーへ出かけました。『私の車椅子姿に周囲の人はびっくりしないだろうか?』と不安のままに障害者マークの駐車場に車を停め、夫の助けを借りつつ助手席からプッシュアップで車椅子に乗り移り、店の中へ。意外と大丈夫です。買い物をしているうちに気持ちがハツラツと元気になって行くのを感じました。
食材を自分の目で見て買った品物、少しは美味しく料理が出来そうに思えます。でもレジ待ちをする夫を待つ身は辛いです。まるで『待て!と言われ”ふせ”をさせられている子犬のようです。』

○4/1
エイプリルフール?!最近はこんな”イタズラ”をなさる方も少なくなりましたね。我が家では気持ちがイタズラにすれ違うせいか、申請をするだけの事に一年という月日を有しました。
母の状態が不穏になって行く一方で、介護保険の再申請を試みているのですが、申請書を作ることも出来ないでいました。家族はもちろん。親族、相談員など、多くの方々を巻き込んでも「あ〜、娘の私が至らないばかりに。なさけない。」長い月日が掛かったこのイタズラが、結果的に母の病気を進行させることになったのです。

○4/15
北国の春は、長い冬の間待ち膨らむ心がはじけるように『アッという間』に通り過ぎていく感じです。梅の花と桜の花を一緒に愛でる楽しみもあります。向かいのお家の梅の花を、車椅子のアームレスに手をやり背伸びして眺めておりましたら、「今日は桜の花を見よう。」と夫が花見ドライブに連れ出してくれました。車中から薄桃色の花が流れて行く。「手を伸ばせば届くかしら?」そんな訳あるはずもなく、この体では思い通りにできないことが多くて…。もどかしい思いは重なるもの。少しでも足の痛みの軽減にと鍼灸マッサージを定期的に受けておりました。主治医の同意書を受け、治療費の保険補助を利用する手続きをとっておりましたが、なぜか『補助費に対し不該当』とか。『再申請を』とか…。まったく世の中はキビシイものです。障害によって自分で出来ないことに対して支援を求めているのに申請が通らない。皆様の税金を使わせて頂くのですから仕方のない事なのでしょうか。つい最近まで子育てしながら30年以上アクセク働く毎日。障害者になった途端に世の中は逆転したかのように思えてきます。

○4/20
母の状態はどんどん不安定になっています。通院には父が付き添ってきましたが、見かねた孫である息子が高齢の父母を連れて心療内科へ行くことになりました。本来なら娘の私の役目だったろうに、困った母をもつ息子にも苦労をかけっぱなし。老いた父母に穏やかな生活を、息子に幸せを、と願っているのに私は足手まといです。『バーちゃんは私の車椅子姿がどうにもこうにも受け入れられない。』だから、人が変わったようになってしまったのだろうか。この日、母の入院が決まり、がっかりと肩を落とした父と息子だけが帰宅することに。

○4/24
思い返せば自分の体より、母のことを心配して過ごす毎日でした。母が入院してから何も考えられなくなり、体中が痛くて。心が痛くて…。ベッドで休んでいるだけです。
そんな時に訪問ヘルパーさんが訪問され、私の手をそっと取って下さいました。訪問看護師さん、リハビリさん、相談員さん、療法士さんも、みなさんが暖かな手を差し伸べて下さりました。「ありがとうございます、母にもきっとそんな方がきっといらっしゃる、と。」

○5/5
ゴールデンウィーク中に母の所へ家族4人でお見舞いに行きましたが、母は私のことを受け入れられず会えぬまま帰ることに。涙がこぼれて…。それから一週間後、息子二人が”母の日のカーネーション”をバァーちゃんに届けてくれました。
その夜、家族会議を行い、母のため、家族みなのために今後は母を施設入所することに決めました。父は重くうなずくと休んでしまい、家中が暗い感じです。
「あー、なんでこんなことに。」私が障害者になったばかりに、家族に辛い決断をさせてしまいました。『どうかどうか皆を守って下さい。』家はどうして淋しいことが続くのでしょうか。ニュースではゴールデンウィークの話題ばかりなのに…。

○5/12
耳がポーとしたり、口を開けると耳の辺に違和感があったりと、不調が続くようになりました。息子の付き添いで耳鼻科を受診したところ、耳には異常はないとのことでした。が、足で地面を踏んでいないためか顎がガクガク、耳がポーとして不快です。
脊髄梗塞という病気で両下肢麻痺により骨に過重がかからず、それに家の中での生活、太陽に当たる機会が少ないことに骨粗鬆症になったというわけです。
この季節なっても足が冷たく、血管年齢は90才?100才?かもしれませんね。「どうしたもんじゃろうの〜」花々が咲きほこる日和にもかかわらず、心が晴れぬことばかりです。

○5/15
2013年12月に病気で倒れて以来、勤めていた会社にはずっと顔も出せないでいました。一年半ぶりに重い気持ちのまま、やっと夫の付き添いをもって事務所へ出向くことに。空は晴れ渡っているのに。見慣れた景色も懐かしいのに遠くに感じます。
社員通路口からは車椅子では入れないので、正面玄関から入ります。重い!…夫が車椅子の背中をそっと押して中に入れてくれました。
上司二人と四人でしばらく面談し、傷病手当の切れる8月末をもって会社を退職することに致しました。そんな私に上司は、車椅子の職員トイレも備えてあるからと…。「車椅子使用の職員も最近採用され、仕事を行っているから大丈夫、仕事出来ますよ」と
心優しい言葉をかけて下さいましたが、「本当に長い間ありがとうございました。今までの失礼をお詫びします」とお伝えし、退職を受け入れて頂きました。話が落ち着いたところで職員障害者用おトイレを見たくなり、車椅子をこいで見てきました。
そして勇気を出して仕事場にちょっと顔を出すと、数人職員が笑顔で声をかけてくれます。『嬉しくて、暖かくて。』あー、もっと早く顔を出せば良かった。重い心がすーっと軽くなった気がして。「本当にありがとうございました。お体にお気をつけて頑張ってくださいね」

○5/21
今日は、母のことで入院先のドクターと本人、家族を含めたムンテラ(面談)がありました。久しぶりの母の姿は『なんだか小さくて。』私の車椅子に母の手が一瞬触れそうに…。でもすぐにその手をしまってしまいました。すぐ側にいるのに…。
遠くに感じてしまう母の姿。『どうかどうか穏やかな母の生活を』とただ祈るような思い。夫は正式に母が施設での生活をすることを家族は希望するとドクターに伝えました。「ごめん、私がこんな体になったばかりに…。」今でも病気の母に対応出来ない身がうとまれて仕方ないけど…。


私の脊髄梗塞日記 ~下半身不随で在宅生活を余儀なくされてから一年半。私なりに見つけた身の丈な暮らし~ (4/5)へと続きます。

-転載記事