僕がハンターになったわけ~銃社会ではない日本で、銃を持つということ~
2015/01/29
2013年7月下旬に狩猟免許の講習を受け始め、2014年1月下旬に、ようやく狩猟免許と銃所持許可の両方を手にすることができました。
ここまでの道のりは半年以上。
長かった…
これらは誰でも気軽に取れるという資格では無く、狩猟免許と銃所持許可を取得するだけで8万強。それに銃を購入したり、付属品を揃えたりすると、合計で25万は下らない。
幸いにも、僕のいる山形県や鶴岡市で補助金があったり、元々狩猟をしていた地元の人に譲ってもらったりして、金銭的な負担はかなり助けてもらいました。
ありがたい限り…。
晴れて、猟銃を持つことを国からも認められたわけですが、銃や狩猟免許を所持し、狩猟を続けるのも結構大変なんです。
毎年猟期に入る前に狩猟者登録をするのですが、狩猟者登録として毎年18,000円かかるし、猟友会に入れば保険込みでプラス15,000円くらいかかる。
更に、自動車免許更新のように銃も更新が必要で、3回目の誕生日ごとに一丁につき20,000円ほどかかる。
社会的責任も、金銭的な負担も大きいし、猟場にいけば獲物が取れるなんて簡単なモノではない。現代では毛皮やジビエの肉を販売することも難しくなっていて、狩猟で稼いでいる人など極わずかだということも事実。
この免許を持ったからといってスグに生活を支える糧にはなり得ないし、今まで狩猟に感心のなかった僕がなぜ、そこまでしてハンターになったのかについて少し話してみたいと思います。
銃社会なんて遠いお国のお話。世界一安全な国、日本
一般人が猟銃を持てるようになるまで、金銭的にも時間的にもこんなにも苦労するのは、日本が世界一と言えるほど治安の良い国だからかもしれません。
夕方のニュースを見れば、死亡事故や殺人事件が連日報道されていますが、フィリピンやタイに行ってきた自分からすれば日本ははるかに安全な国。
フィリピンに留学していた時なんて、ルームメイトはストリートチルドレンからスリに合うし、近所のバーは夜中に強盗に襲われ、窓ガラスがバリバリに割られていた。
スーパーの警備員はショットガンを普通に持っているし、更にはスーパーの中にショットガンが2万円程で売っている…セブ島のコロンストリートというところは地元の人が通う激安商店街であるが、拳銃を隠し持っている人もゴロゴロいると聞いた。
カルチャーショックなんてレベルの話では無く、日本からの旅行者や留学者もまた身の危険を感じざるを得ない現実がそこにある。
そんなところでの一ヶ月滞在を終えて成田空港に降り立った時、空港にいる警察の数が尋常じゃなく多くて「日本は守られているなぁ~」と素直に感じた。
事実、日本にいるときの僕は無防備。
財布を駅近くに落としたときも警察に届けられていたし、カバンをそのへんに置いておいてしばらく放置しておくこともしばしば。
でも、盗まれていないし、殺されかけたことも無い。
法律が守ってくれているからという話ではなく、世界的に見れば日本はかなり恵まれていて、格差が広がっているとは言えど、そこから抜け出す手段として人を襲うということが日本人のモラルには殆ど無いのだと思う。
そんな国、他に無いんじゃないかな。
だからこそ日本で銃を持つこと、動物を撃つことに抵抗を持つ人が沢山いるのだと思います。
事実、僕もそうだったので…。
銃は怖いし、自分が持つなんてまっぴらゴメン!
元々銃に興味を持っていたわけではありません。
むしろ、こんな恐ろしいモノをまさか自分が持つとは…というのが正直なところ。
2011年2月、フィリピンに語学留学に行っていたときのこと。
セブ島と橋で繋がっているマクタン島のとある場所で銃を撃てる(Gan Shootingが出来る)と聞き、興味本位で拳銃(マグナムとベレッタ)を撃ちました。
凄まじい音と同時に銃口から火花が見え、瞬く間に的があるところに銃弾が到達する。
一発撃つごとに上半身に大きな反動を感じ、体と心に疲労が蓄積されていく。
恐ろしいほどの破壊力で、当たれば人間なんかひとたまり無いことくらい想像するのは容易かった。
一発撃つごとに、「怖い…怖い…」という言葉が小さく口から漏らし、「これは二度と持つことは無いな…」と一緒に行った知人に言ったことを思い出します。
その当時の僕はやたらとの海外のノンフィクションのドキュメント映画にはハマっていて、Innocent voiceやホテル ルワンダ、City of Godなど、南アフリカや南米の実際にあった悲惨な虐殺を題材にした映画に涙を流していた時期であった。
映画の中でも度々出てきた拳銃やマシンガン…
世界中で時に人殺しに使われてしまうような銃を持つことに恐怖や違和感しかなかった僕ですが、その後自ら銃を持つ日が来ることになるなんてその時は思いもしませんでした。
大鳥にあるマタギという文化との出会い
地域おこし協力隊として2013年5月に山形県鶴岡市大鳥に赴任して間もない頃、狩猟を行っている集落の長から声をかけられた。
「ここに来たからには猟銃を持たねばなんねぇよ。」
半ば強制とも思えるような話し方に戸惑いを覚えながらも、狩猟・マタギの文化が大鳥にあることをその時初めて知った。
銃を持つこと自体に違和感を持っていた僕にとって、その話には抵抗があり少し頭を悩ませていたが、頭ごなしに拒否するのではなく、狩猟についてもう少し詳しく知ろう思い、集落にいる人たちに話を聞いて回ると、思わぬ答えが返ってきた。
「狩猟?ここの男どもは皆やっていたよ。今は歳になって辞めた人も多くなったけどね。」
「昔は生活の為、狩猟をしていた。特に春先に獲るクマからとれる熊の胆(胆嚢)は万能薬として重宝され、一個100万くらいで取引されていた。今も高値で取引されるみたい。」
「今ではウサギやクマの数も減ったし、毛皮も昔に比べ全然売れない。有害駆除の役割が強くなってきているし、狩猟する人も減っているが、現在も何とかマタギ文化は維持している。」
生活の糧としての狩猟。
伝統文化としての狩猟。
それまで『銃を持つこと=殺人兵器を持つこと』という単純な思考回路で結論づけていたことが、人の生活の根本を見直すことに変わっていった。
釣りも猟、狩りも猟。生き残るための手段。
日本が大陸でつながっていた遥か昔、日本人は農耕民族では無く、狩猟民族。
モリやヤリのような、今では考えられないほど貧弱な道具でナウマンゾウと闘い、勝ったモノだけがその肉を食し生き残ることができる、まさにサバイバル生活。
現代においても、その生活に近しいことを題材にしている映画があります。
現代版ロビンソン・クルーソーと言われるCast Awayという無人島で生活することを描いた洋画がありますが、主人公のトムハンクスが無人島に流れ着いた後に移す行動は、生き残るための狩猟と採集。
つまり、ヤシの実を採り、モリで魚を突き、森で薪を拾って火をおこす。
動物を採って食べるシーンこそありませんでしたが(動物愛護団体との絡みか?動物がいない設定の無人島だったのか?)、生き残るためには例え原始的だとしてもそうするしか無いというのが、仮に無人島に流れ着いてしまったに誰もが遭遇する現実なのでしょう。
農耕文化が伝わってからは、日本人は農耕民族となり田畑を耕し生きてきました。
田んぼでお米を作り、畑で野菜を育て、牛・豚・鶏を育てる。
これらは安定的に食料を確保するために人が手に入れてきた成果の賜物ですが、それと同時に農作物への被害を与える鳥獣(サルやシカ、イノシシなど)との闘いは、現代においても終わっていない。
そういう意味で、近年の日本において狩猟は、『肉を食べる・毛皮を利用する』ということよりも、『生態系の調整・農作物被害から守る有害駆除』という意味合いが強くなってきています。
意味合いが変わったことで、狩猟できる鳥獣は種類も数も限りが設けられ、猟ができる期間も決められてはいますが、ハンターが獲った獲物を自らの手で捌いて食べ、毛皮を利用することは今も昔も変わっていません。(毛皮においては価値が殆ど無くなってしまったので、毛皮の利用は減っていますが…。)
普段スーパーに並ぶお肉は全て、加工場で捌かれたものですが、元を辿れば家畜であろうと野生であろうと生きた肉。
狩猟の本質は田んぼや畑で作物を育て食べることと同じで、生きる手段として食べることにあるんじゃないかな。
山暮らしと狩猟、マタギの精神
東北の限られた数箇所の山間部で、農業や狩猟を職業としてきたマタギ。
僕の住む大鳥も例外ではなく、春先になると集落の人たちは集団で熊狩りに出かけます。
特に高値で取引されるクマの熊の胆(胆嚢)を昔のマタギは大きな収入源としていたみたいですね。
ここまでの話だと、熊狩りを生業とする人たちのことをマタギと思われてしまいそうですが、狩猟ができない期間は山菜もキノコも木ノ実も採る。農業だってする。狩猟もクマ以外も狩るのがマタギです。
でも、僕が狩猟を決意したのは単に狩りをしたいからでも、有害駆除などの社会的責任を真っ当したいわけでもなくその奥深い精神世界にあります。
山で暮らす人たちは常に山からの恵みを受けている。
沢水を山から引っ張り、洗濯物や野菜を洗うために使ったり田んぼに水を入れたり…。
木々を切って薪にしたり炭焼きをしたり、小屋を建てたり。
春になれば山菜を採り、秋にはキノコを取る。冬にはウサギやサル、イノシシ、シカなどを狩る。
でも、今年は山菜が沢山取れるからと言って「とれるだけとってしまえ!」なんて欲深いことはしません。一箇所から根こそぎとってしまうと、そこからは山菜は生えなくなってしまうことを知っているからです…
狩猟する動物においても同じ。
狩りすぎてしまうと数が減り、生態系が乱れてしまう。だから山が動物を育て、増えた分だけ頂く…。
※熊狩りには、子連れ熊や小熊は狩ってはいけないというルールがあります。
山のモノを頂かないでは暮らしていけないが、欲を出しすぎても自分の首を絞めることになる。そういうこともわかった上で、恵みを頂きに山に入るということは凄く大切なことのように思えます。
また、山は人間の力ではどうにもできない、自然の力が息づく場所。
「今年は山菜が沢山取れて欲しいなぁ~」と思ったところで、沢山採れるものではありません。秋にキノコ狩りをしていて野生のクマと遭遇することだってある。
自然環境に大きく左右されるからこそ、山の恵みが今年も受けられることに感謝し、山で災いが起きませんようにと祈る。大鳥には『山の神』や『悪魔払い』といった伝統行事があるのですが、それがまさにこの感謝と祈りの儀式に当たります。
自然保護や調和を考え、時に命をも脅かす山と謙虚に向き合う姿勢こそが、マタギの精神。
マタギと言われる方々が、現在もこのような精神を全て心得ているかどうかはわかりませんが、先輩を見習いながら自分自身、少しでもマタギに近づきたいと思った。
が、狩猟やマタギに関して考えたり、こんな綺麗事を沢山並べてばかりいても何にもならないので、狩猟をすることに決めました。
これから経験を積んでいく中で、自分の中で狩猟やマタギ、山のことを深く考え、感じていければなと思います…
これから狩猟をしていくにあたって
狩猟免許と銃所持許可証、散弾銃を手に入れたことで狩猟に出られる準備は整ったのですが、あいにく今年の狩猟期間は2月15日で終わってしまいます。
狩猟者登録&猟友会加入で3万円ほどかかるので、今年の狩猟期間は見送る予定。
2月15日以降の有害駆除期間にも猟に参加できるかどうかがまだわからないので、春先の熊狩りにも行けないかもしれません。
規則で決められていることなので仕方がないのですが、春以降でも山でできることはある。
2013年の振り返りと、2014年のテーマ、抱負。という記事も触れましたが、今年のテーマは山の生活を深める…ということで、山に行きまくります。
山にあるモノを覚え、自分の暮らしに活用していく中で、マタギに一歩ずつ近づけていけたらな~と思います。
あと、以前のエントリーで紹介したハンター漫画の山賊ダイアリーがめちゃ面白いです。
マタギについては触れていませんが、狩猟に興味ある方はぜひチェックして下さい!
ハンター志願者必読!『山賊ダイアリー』がかなり有益かつ面白い!ハンター漫画『山賊ダイアリー』が中々面白い | ひろろーぐ