ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

僕の背中を押す遠い空からの手紙 ~新聞社でボツとなった88歳のおじーちゃんの投書~

地域おこし協力隊の初任者研修の先輩事例の発表ということで3日間程、東京近郊にいたのですが、鶴岡に帰る前におじいちゃんの家に寄った。

 

ども、田口(@tagu_h1114_18)です。

 

大鳥地域のことはそれなりに調べ、少しずつ詳しくなっている一方で、自分の家系のことを全然知らずにいた。他人の足元を掘るのもいいけど、自分の足元も掘ってみたくなった。

ルーツを知るってやつです。

 

88歳になっていた僕のおじいちゃんは、家からあまり出かけない暮らしを続けていながらも、話しぶりは以外と元気だったように思える。

 

コーヒーを片手に話し始めて数分。

おじいちゃんはおもむろにファイルを取り出し、僕の取組みが掲載された新聞の切れ端などを取り出した。

その中には、汚い紙だけど、おじいちゃんが手書きで書いた文章がまとめてホッチキスでとめてあった。

 

僕のおじいちゃんは定年を過ぎてから書き始めた。その文章は、新聞社に投書しては度々掲載され、一冊の本が出たほどの腕前。

 

今回はどんな文書を書いたのかなぁ…とよくよく目を通させて貰うと、書いてあるのは僕のことだった。

僕が庄内で掲載された新聞記事の切れ端を実家に届ける度に、父親が僕のブログ文章も添えておじいちゃんにコピーを持っていっていた。その文章をちょこちょこ見ていたらしく、僕の情報は知っていたらしい。

そんな情報を元に文書を書き、孫の活動を知って欲しいと東京新聞、朝日新聞、毎日新聞に投書してくれていた。

 

昔に比べれば、字も汚くなった気がしたし、情報が不十分だったのか、ライターのような書き方をしたことがないからか、文章も以前見たものよりはあまり上手ではないように思えた。

 

投書した結果は全てボツだったらしい。

 

けど、嬉しかったなぁ…。

 

昨年9月におこなったタキタロウ調査以後、僕はローカルメディアを中心に取材されまくっていて、「大したことを成し遂げたわけでもないのになんで俺が?」というちょっとした自己嫌悪に陥りながらも、今年度はメディアに出ることを極力控えようとしていた。

けれど、遠く離れた、60歳も離れたおじいちゃんの元にも届いていたんだと思うと、取材してくれた新聞社さんやテレビの人たちにとても恩を感じる。

 

僕が元気でやっている頼りを、遠い空で見てくれている祖父。

見えない繋がりが、僕をここまで奮い立たせてくれる。

 

僕にすごく響いた文章を、新聞社には掲載されなかったが、せめても僕のブログでご紹介できればと思います。

 

以下、おじいちゃんの投書文章。


しばらく顔を見せなかった長男の孫が、春先にひょっこり挨拶に来た。

「山形の鶴岡市が公募した『地域おこし協力隊員』に採用された。会社を辞めて、四月から派遣される大鳥地区に移住して働くことになった」、と言う。

私は突飛な話に驚いた。26になる孫は大学を出て、二年前から都内の電子工業メーカーに勤めていた。

 

孫の話では、同市が国の制度を利用して募った都市の若者を新たな担い手となる隊員として、高齢、過疎化が進む大鳥地区へ派遣する。隊員はそこに定住し、イベントや農林産物のPRなど様々な地域おこしへの協力活動に1~3年従事するらしい。

「地に足のついた暮らしをめざし、新天地の地域おこしに役立つよう、精いっぱい頑張りたい」と、孫はほおを紅潮(こうちょう)させて力説した。

 

先日、孫から第一報が届いた。

任地の山里に住みついてひと月。ここは世帯が47戸、人口90人の内、高齢者が68%という過疎の寒村なのだ。着任一週間で30世帯を巡回して50人の方々と出会い、何方から歓迎してくれて感激しました。人をつなぐのが得意な私は、様々な力を持つ地域の人々と連携して新たな地域おこしへ誠心誠意励みたい。

また、地元紙にも大きく紹介された掲載紙のコピーが同封されていた。紙面の写真に、激励する視聴と握手を交わす晴れ晴れとした孫の姿に目頭が熱くなり、心の中で<ガンバレ!>とエールを送った。


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小一時間くらいしかおじいちゃんとは話せなかったけれど、昔から何度も言われていたことをまた、言われた。

 

「続けること。」

 

「頑張ること。」

 

世間では使い古された言葉すぎるけれど、シンプルで伝わるモノがありました。

 

僕はまだまだ、子供かもしれない。

けれど、そんな孫の姿を遠い空で応援し、見守ってくれるおじいちゃんがいることに、安心をした。

 

「俺は90歳までは頑張って生きるけれど、その先はわからない。もしかしたら比呂貴くんは山形にいるかもしれない。その時は忙しいだろうから、葬式も来なくていいから。」、と言われた。

 

「そんな訳にはいかないだろ、じーちゃん!」と心の中で叫びながらも、僕はその言葉を噛みしめ、心温かくなり、ニヤニヤしながら次の場所に向かった。

 

ありがとう。

 

僕もいつ死ぬかわからないけど、それまでは精一杯生きます。

 

せば、またの。

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