ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

母校を訪れて、『地元』について考えてみた

2014/06/07

大鳥に来てからというもの、あらゆるものをポジティブに捉えてきたつもりでいます。


過疎化が著しいと言っても、自然が豊かだったり、四季を感じることができたりと、今まで見てきた世界とはまるで違うところに立てていることを幸せに感じています。


今でもその姿勢は変わらずいるのですが、いくら一個人が朝日の魅力を発信しているつもりでも若者を中心に朝日から出て行ってしまう現状は変わっていない訳で、そこに対して現時点で何か手立てが出来ているわけでもありません。


なぜ出て行ってしまうのか?


なぜ帰ってこないのか?


なぜ新しい人が移住してこないのか?


そんなことを自分に問いかけた時に出てくる答えはありきたりな答えだけ。

地元に仕事がないから。


学校がどんどんと閉校になって、子育て環境が悪くなるから。


買い物や公共施設に行くのも遠くて不便だから。


そもそも行動範囲が狭くて、地元の事をよく知らないから。

その他、個人的な事情として地元には何もないとか、親との兼ね合いもあるかもしれません。


ありきたりな答えだけに恐らく、間違ってはいないと思うのですが、思慮が浅いも甚だしいなとも思い、反省しています。


まだ何もしていないので、深く何かを見いだせているわけではないのですが、もしかしたら故郷を想うひとつのキッカケというのは、自分の地元の通学路やよく行った場所、母校などを振り返った時なのではないかとも思います。

2013年~2014年の年末年始で、地元である大阪に帰省している時にそんな事を思い立ち、僕の思い出が詰まった母校を訪れてきました。

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前に住んでいた家から徒歩2分のところにある、小学校。

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春になると桜が凄く綺麗なんです。

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グラウンドでは、僕も所属していた地元の野球チームが新年会?をしていました。

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中学校の通学路。この農道で、部活の帰り道にキャプテンとよく語っていました。

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学校帰りにしょっちゅう通っていた、地域密着型のコンビニ。

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店長さんも未だ健在でした。25年もお店で働いているそうです。

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通っていた中学校。写真に収められていませんが、霊園が近所にあって、不気味なオーラに囲まれた学校。

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この渡り廊下には沢山思い出が詰まっています。

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テニスコートとグラウンド。こう見ると、結構広いなー!と思います。

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通っていた高校。合併して学校名が変わってしまいましたが、校舎はそのまま。

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校門に続くキツイ坂道に、幾度となくチャリで立ち向かいました。

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体育館の前に綺麗なジムができていた。合併してお金に余裕ができたのかな?笑

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グラウンド。冬の体育で、幾度となく走らされました。

あと、やり投げでは飛距離41mで、学年一位でした。笑

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裏門?の片隅に、母校の看板が…懐かしい。


今回の訪問では、単純に学生時代の思い出に浸りたいというのもありましたが、実際に通学路を歩いて、校舎を見て回ることで色々な感情、思い出が蘇ってきました。


「夜中に学校のプールに忍び込んで泳いだ」

「通学路の帰り道、バレー部のキャプテンとよく語り合った」

「いつも寄るコンビニでライフガードという炭酸ジュースを買っていた」

「渡り廊下でよく遊んでいた」

「近所の墓地に友達がよく自転車を隠し、チャリ通していた」

「片思いの人と会いたいが為に無駄に待ち伏せしていた(ほぼストーカー…笑)」

「坂道でダッシュしまくっていた」


苦しかったことも、泣きたかったことも、悲しかったことも、怒られたこともありました。

言いたいことも言えず、GTOの鬼塚先生に超憧れていた時もありました。

好きな人がいたのに結局何もできなくて、後悔したこともありました。


地元の友達は本当によく遊んでくれました。

週3回くらいカラオケに行った時期もありました。

夜8時くらいになるまでスケボーに明け暮れていた時もありました。

部活だけじゃ飽き足らず、社会人バレーボールに参加しながら大人の遊び?を教えてもらっていた時期もありました。


未だに地元に残っている友達が沢山いて、「少しは外の世界を見たほうがいいんじゃないの?!」と思っていた時もありましたが、時々Facebookのタイムラインで地元の友達が集まっているのをみると、羨ましくなる。


多くの時間を過ごした地元に行くと、思い出が鮮明に蘇る。

高校を卒業して8年以上経ったけど、中々色あせないものですね。


それと同時に、僕の過ごした豊中のこと、地域のことを全然知らないと思い知らされました。

豊中市の人口は増え続け、今や40万人都市になろうとしていること、中核市に移行したこと、サンマテオ市というところと姉妹都市だということ…

全てウィキペディアで知りました。

11年という長い年月を過ごした土地なのに、覚えているのは道とかお店とか、友達とか…

モノや人ばかり。


今では鶴岡や朝日、大鳥のことのほうがよっぽど詳しいという自負があります。


今でも地元は好き。

けど、今は地元へ住もうとは思わない。

もしかしたら、このさきずっと住むことはないかもしれない。

でも、たまに帰りたくなる場所。

僕にとっての地元は、そんな場所です。


50年後の大鳥や朝日を考えると、個人的にはU・Iターン者大歓迎な姿勢でいますが、まだ受け皿が無いし、そもそもそんなことを考えている人がいるかどうかもわからないし、形になっているものはまだ無い状況。


でも、皆さんも各々、地元に対する思いは違うと思いますが、自分が育った町・村であることは間違いないですよね。

もしチャンスがあれば、通っていた学校やよく行った場所に行き、よく一緒に遊んでいた友達と一緒の時間を過ごしてみてはいかがでしょう?

自分にしかない地元への特別な想い・感情が、湧き出てくるかもしれませんよ。


みなさんにとって、地元はどんな場所ですか?


最後に、校門の前にある坂道を使って、部活の練習でダッシュをしていたのですが、久しぶりに走ってみました。息切れハンパないです。笑

再生時間:18秒

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