地域のおじいちゃん・おばあちゃんがつける日記には、日常のアウトプットの他に2つの意味がある。過去の事実を見て自分の行動計画を立てることと、曖昧な記憶から自分を守ること。
ども、田口(@tagu_h1114_18)です。
僕の暮らす大鳥地域には、日記をつけている人が結構な人数がいます。
70歳を超えるおじいちゃん・おばあちゃんなのに、毎日日記をつけているとは恐れ入りました。94歳のおばあちゃんも書いています。
かれこれ20年以上も日記をつけているんだとか…。超強者です。
自分が感じたことや経験したことをアウトプットし、書きためておくというのは本当に大事だと、ブログをやっていて強く感じるので、地域のおじいちゃんおばあちゃんがそれを何十年もやっているなんて…と、一人で驚愕していました。
だから大鳥には素晴らしい人が沢山いるのか…。
なんて一人で納得してしまいました。
とは言え、どんな風に日記をつけているのか気になったので、「大鳥の人って結構な人数の人が日記をつけていて凄いですよねー!」みたいな話を地域の人にしたら、地域の人が書く日記には僕が考えるアウトプットの場という意味の他に、2つの意味が込められていることがわかりました。
地域のおじいちゃんが日記をつける2つの意味。
直接、地域の人から日記を見せてもらったことはありませんが、昨年は4月○○日に苗代を作った。誰々と一緒に作業した…。とか、○○山に言って、木を切ってきた。山菜を採ってきた…。というようなことが書き留めてあるそうです。
農業をやっている人なら馴染みの農業日誌がありますが、僕の暮らす地域では農家だけじゃなく、普通の人もやっています。
山のペースや、気温のペースに自分を合わせて動いていくしかないから、今年は昨年よりも稲の育ちや山菜の出具合が早いとか、遅いとか…。過去に自分が書き留めたデータを元に、次の行動を考えたり、先の予定を立てたりする。
例えば、「今年は稲が育つのが昨年よりも早いな~」ということは感覚的にはわかるのですが、「昨年は○月○日に田植えしたから、昨年に比べて早くなりそうだな…」という具合で、田植えをする時期をある程度予測しています。
春夏秋冬は一年に一度ずつしか来ない。
今年の春に得た感覚や見てきた自然状況は、来年の春まで比較・検証できない。だからこそ、自分が分かるカタチで記録をしておく必要がある。
データとしての記録。
これが一つ目の日記をつける意味。
もう一つは自己防衛としての記録。
僕が暮らす地域の中には、日雇いのようなアルバイトのような仕事がいくつもあります。
草刈りや雪囲い、雪下ろしや田植えの手伝いなど…。
そういった、誰からか頼まれた仕事は給料(人夫賃)が払われるケースが多いのですが、その中で自分が何日働いたか、何時間働いたのか…というのを地域のおじいちゃん・おばあちゃんはしっかり記録しています。
仕事を頼む側も頼まれる側もお互いの信頼関係の上で成り立っているのですが、人の記憶は曖昧になっていくので、雇われる側も保険として記録しているそうです。
事実、「労働日数に対して、給料が合わない」ということもあったそうです。
雇う側も、払う意思が無いわけじゃなく、日々忙しく過ごす中で記帳するのを忘れてしまっていた…ということだそう。年寄りが年寄りにお願いして仕事をしてもらっているから言われてみればあり得る話かなと…。
そういう時に泣き寝入りしないでしっかりと「自分の日記で計算した労働時間とは違うよ」ということを雇う側に伝えなければ自分が損してしまいますよね。
また、地域の中での決め事や、個人間での約束なども記録しているそうです。
「言った」「言わない」の論争になる前に、事実をしっかりと留めておく。
自分の記憶があやふやで、相手の都合の良いようにモノゴトが動かされそうになった時に、過去に書き留めた事実を元にしっかりと自分を守っていく。
そういうことも、日記に書き留めておくそうです。
感覚や経験、事実を書きとどめておくことは、誰しもやったほうがいいと思う。
僕にとってはブログが大事なアウトプットの場であり、感性や経験をストックしておく場である。
それとは別に、家計簿をつけたり、自分が今日は何をしたか、何ができなかったのか、明日は何をやるか…というデイリー報告を毎日つけたり、そして月間で何をするのかというメモ、一年間で何をやりたいのか…などをPC上で記録しています。
地域のおじいちゃん・おばあちゃんの日記とは少し中身が異なりますが、日々のことを書きためていることについては同じです。
日々記録し続けるのは結構な労力でもあるけれど、これらを続けているから自分自身のことが整理され、目の前がよく見えるようになりました。
自分が作っていきたい暮らし・やりたいことなどを、現実の記録と照らし合わせながら自分で制御したり動いたりし、行動して学んだことや気づいたことをブログにストックしておく。
その積み重ねの中で、自分にできることが増え、変化していることに気が付きます。
どんな大きな目標を掲げても、どんなにステキな暮らしを望んでも、今、自分の目の前にはそれをまだ手に入れていない”いつもの暮らし”しかありません。
けれど、その”いつもの暮らし”の中で、意識的に行動を変えたり、割く時間を変えたりすることで、自分が出来ることが増えたり、目の前の現実が少しずつ変わっていきます。
“いつもの暮らし”と、それを少し変えようとして起こした行動や出来事を書きためていくと、他人からはまだ評価されていなくても、自分の中で一歩ずつ前に進んでいる実感を持てるはず。
そんな意味で、”書きためていく”ということはスゴく価値があると思います。
家計簿でもいい。デイリー報告でもいい。ブログでもいい。
小学校の絵日記レベルからでも日常を書きとめてみませんか?
続ければ、必ずいいことが待っていると思います。
あ、終わり方が自己啓発っぽくなっちゃったね。笑
せば、またの。