民俗学は“地域の慣れ”から浮上させてくれるか。
2017/12/08
ども、田口(@tagu_h1114_18)です。
暇さえあれば文献を調べて気になるところを書き出したり、録音した音源を書き起こしたり、メモ書きしたものをパソコンに移し替えたり。気力と体力の続く限り一人、悶々と作業をする日々が続いています。
文献を調査することは点と点を線で繋ぐことを助けてくれる。調べる対象は、現代に出版されて大学の先生とか民俗学者が書いた、歴史の流れを背景も含めて追えるモノや、信仰に関するもの、他地域との比較など、まとまっているものを調査します。新たな歴史的事実を発見するのは専門の先生にお願いするとして、その人たちが残してくれたものを総合的(といっても山の民俗に関わるものが中心ですが)に見て、気になるところをひたすら拾っていく作業をしています。昭和初期に出た東北鉱山史やら、大日本鉱業株式会社の技術報なんてのも入ってきます。
※大鳥には昭和54年まで鉱山があって、その運営を一時期担っていた大日本鉱業株式会社が残した資料なんてのも調査対象になるのです。
歴史的な線をクロス調査の中で発見する事は一つの事象を頭に刻み込むのを助けるし、脳に興奮を覚える。
地場ものと言えば、地域の人からきいたコト(言葉)を書き起こしてみたり、大鳥の人が過去に使っていた塩の道の復元を試みたり、ぜんまい小屋の復元を試みたり…という感じ。
【幻の塩の道を訪ねて…調査編②】大鳥―山熊田をつなぐ山道、二ノ俣沢~ニノ俣峠(山形-新潟の県境)までの道を見つけてきたよ!|ひろろーぐ
総じて、歴史の系譜と大鳥地域の系譜、それに地域差異を同時に追えば、どこかで相関関係が見えてくるかなぁ…というのが調査の狙い。そして調査した大鳥の民俗を軸に置き、枝葉的に商売に繋げたり、イベントや交流に繋げていきたい。そしていつか、『大鳥大全』みたいな本を出したいと思っている。
今秋にリリースした大鳥てんごは、民俗調査を商売に繋げる実験的な試みでもある。
調査を続けていれば、地域に居ながらも地域を客観的に見続けられるのかなと思って活動してかれこれ2年以上が経つのですが、一方で地域の日常を自分の日常に同化されていく感覚がある。地の民になりつつあるというか、ちょっと馴染んできたというか。目の前に見えているモノが昨日や先週、先月、前年と大きく変わらないように見えてくる。地域の仕事も徐々に慣れてきて、ルーティンになりつつある。地域の阿吽の呼吸の中にいて、そこから抜け出して問いを出し続けるという頭が働かなくなってきている感じがする。でも、地域の中で淡々と過ごしていくのも楽しい。一緒に汗を流すと、地域の中に知らないことがまだまだあることを教えてくれる。山や地域をちゃんと見る目が自分には足りないんだと気づかされる。
調査している中から気になるワードを拾って地域の人に聞いて…っていう作業を当分続くと思うし、聞き書きも出来る時にして続けていく。それに最近では調査旅行に出かけるのも一つなんじゃないかなって思って移動したりもする。
今年は秋田県阿仁と、岩手県遠野、それに佐賀県唐津に行ってきた。やることは博物館・図書館巡りとフィールドワーク。お陰で家計は赤字なのですが、来年以降は懐の様子もみながら北海道のアイヌや福島県の奥会津と昭和村。関西方面では岡山県あたりに行ってみたいと思っている。人の繋がりも頼りにしつつ。
1997年に朝日新聞社から出たAERAのムック本、『民俗学がわかる』を読んで、民俗学がカバーするテーマの膨大さに目をくらませながら、調査と事業を、地に足をつけながら続けていきたいと思っている。
本件とは関係ないけど、雪深い奥山へ仕事しに行った時の地元の人たちがめっちゃカッコよかったので撮りました。
せば、またの。