ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

地域の主力産物を流通させようとすると生じる超意外なシガラミにイノベーションのジレンマを感じるけど、それでも前に進むべきだと思う

2015/01/29

どうも、田口(@tagu_h1114_18)です。今回はいつも以上に本気な記事です。   地域のとある人の声掛けで大鳥の主力産業である山菜を鶴岡市内のお店で実験的に販売させてもらう運びとなった。   この目的を簡単に言えば、大鳥のPRという漠然とした理由というよりも、流通を簡略化し、生産者の方に今までより利益を取ってもらうための働きかけ。 流通の簡略化というのを今回のを例に具体的に言えば、生産者⇒中央青果⇒スーパー⇒消費者ではなく、 生産者⇒店舗⇒消費者という形にするということ。   現在、地域の人は個人間取引か産直か中央青果(農協のようなもの)に出荷するのが殆どです。 そしてその販売価格は個人間取引であろうと中央青果だろうとお祭りだろうと基本的に中央青果に販売する値段が基準となっている。 だから、地方の無人販売所とか産直とか生産者から直で農作物を買うと劇的に安いんですよね。   これは同じ地域に住む買い手にとっては非常にありがたいことなのですが、いざ自分が販売者に回ろうと思ったら非常に苦しい。 面積が平野に比べ断然少ない中で戦わなければいけない中山間地域が農業で食っていくのが苦しいと言われる大きな理由はここにある。   だからそこに切り込んだ。   地域の主力産物である本当に美味しいモノは、地域内では価格の相場がめちゃくちゃ安い。 加工品やセット販売にでもしない限り、ストーリー・ヒストリーを表現したり、デザインを変えて付加価値を付けても値段は変動させづらい。それは地域内で同じようなモノを出荷している人が沢山いるから。僕が住む朝日地域の場合は山菜やキノコ。 だから仮に、地域の産直で価格を上げて販売してしたとしても売れる見込みは持てない。 けれど、少し離れた街場に行けば値段は上がっていいはずだし、仙台や東京に出せばもっと値段は上がっていいはず。しかも、流通を簡素化させれば今まで以上に利益を取れるはずなんですよね。   単価当たりの利益が少しでも増えれば生産者は今より稼げるようになるだろうし、そうなれば中山間地域に住みたい人ももしかしたら出てくるかもしれない。そんな未来に近づくためにはやっぱり、稼ぐことは外せない。 大鳥のような「山奥に住みたい!」と思う人はよっぽど変わった人かもしれないけれど、志がいくら高くても稼ぎが無いとやっていけない世の中だから。   年収は1,000万もいらない。 大事なのは地域を維持できる程度にほどよく稼ぐこと。   とまぁ大風呂敷を広げましたが、僕がやったことは日頃お世話になっている人の店舗で山菜を販売させて貰ったこと。 たったそれだけのことなのに久々にキレたし、凹んだし、反省した…。   地域の特産品を付加価値を付けて売り出したいと考えている人には共感して貰える内容かもしれません。 何度も似たような表現が重複してるし長ったらしい文章ですが読んでもらえると嬉しいです。  

なぜ山菜なのか。

10462468_524732370987478_6383064268907800426_n 理由は5つ。   1つ目は 大鳥を取り巻く山々は積雪3mを超える冬と夏の寒暖差と昼夜の寒暖差が激しく、太くて美味しい山菜が沢山育つから。「大鳥の山菜は美味しい!」と言ってくれる人の存在が多い。   2つ目は 山菜は昔から大鳥の人の食卓に当たり前として存在しており、伝統的なレシピや前処理の方法が存在するから。   3つ目は 70歳を超えるおじいちゃんおばあちゃんは今もなお山菜を採り続け、地域を代表するナリワイとなっているから。中央青果に出荷基準に合わせて良い山菜をちゃんと選んで採ってくるので、品質は間違いないものが多い。   4つ目は 天然モノの山菜の採集は基本的に原価0円だから。つまり金銭的なリスクがゼロ。(その代わり、命を落とすリスクは当然ある。)採集する人の手間賃しかかからないので、加工でもしない限りは初期投資も必要ない。山の知識や生えている場所などの経験オンリー。   5つ目は イオン系列などの大規模スーパーなどで見る山菜の売価は総じて中央青果への売価より高い。ポラン広場などの通信販売でも高い。個人でネット販売されている山菜は更に高い。(勿論、サーバーレンタル代やネット決済できるようにするための手数料はかかるが…) つまり、流通形態を簡素化すればその分価格に反映できるし、既に高付加価値を付けている前例があるから。 どの手法をとってしても競争への参入にはなるが、チャンスがないとは思っていない。 山菜を採る人の殆どが高齢者なので開拓するよりも既存の販路でやりくりするのが殆ど。 僕のような若者が販売することで、同世代やその前後世代(あまりリーチできていない20~40代)に訴え掛けることがしやすい。 ネット販売にしても同じ。スマホやタブレットが急激に普及している中で、有益な情報とECが上手にMIXされた山菜販売のウェブサイトは殆どない。よく見るネットショップの形態が殆ど。   種々理由はありますが、昔から生活の中にあるモノの延長線上。あるモノを生かす。というのが根本の発想です。  
現状の中央青果での販売ではダメなのか?
大鳥の山菜を採るおじいちゃん・おばあちゃんの多くは中央青果という青果市場に出荷をしている。 簡単に言えば農協みたいなモノ。   山菜の時期になれば毎晩2tトラックで集荷に来てくれるし段ボール代は掛からない。(出荷帳やガムテープは専用のモノを購入しないといけませんが…)。状態が良い山菜とあまり良くない山菜では値段差もしっかりとつけるし(出荷基準のようなもの)。乾燥のゼンマイとかでも特に保健所の許可がいらない。そして最大のメリットは出荷した分は基本的に全て買い取ってくれるので自分で販路を開拓する必要がない。   反面、中央青果が生産者から買取る価格は一般にスーパーに並ぶ価格の半値だったりする。 生産者⇒卸⇒店舗⇒消費者若しくは生産者⇒卸⇒加工⇒店舗⇒消費者という流通形態になり、卸・加工・店舗でマージンが発生しているので販売価格より買い取り価格がグッと安くなるのは当然といえば当然。 例えば近所のスーパーで太くて良いワラビが400g400円で販売されていたとすれば、中央青果の買取り価格は400gで200円程度となる。   これを自分で販路を開拓し、消費者に直で売れれば400g400円以上で販売できる。 同じモノを売ったとしても、売り先が違えばこんなにも値段に差が出る。言葉で言うほど簡単ではないのも重々わかりますが、理屈としてはそうですよね。   だからといって僕は中央青果が悪いとは1mmも思っていません。 直売であろうと産直であろうと中央青果であろうとメリット・デメリットが当然あり、その人に合った販売の方法があるから。   僕なりに中央青果を利用するメリット・デメリットをザックリ纏めると… 【メリット】
  • 出荷が楽。指定された場所においておけばいい。
  • 出荷した分は基本全て引き取ってもらえる。
  • 故にスケールメリットがある。
【デメリット】
  • 買取価格が決められてしまう。
  • 生産者の思いや誇りが消費者に伝わらない。
  • 独自性や付加価値が付けられない。
  • 少量では生活の糧になるほどの売上には繋がらない。
  けれど、なぜ山菜なのか?で上げたとおり、大鳥の山菜には付加価値を付けるに値するだけの条件をいくつも持っている。 スケールメリットが無い小さな小さな山奥の集落が残っていくためには、大きな組織や会社の舵取りに任せっぱなしにするのではなく、少しずつ自分たちで産業を切り開いていく必要がある。 その一手として今回行った、山菜の流通経路を簡素化させることは、生産者にとっても地域の人にとっても嬉しい話じゃないか…。   と思って動いたことが、地域の人からひどく反感を買うことになるとは…  

聖域とも呼べる山菜の価格を変えることは難儀。

今回の販売に際し、地域内のとある人から仕入れたワラビがそれなりの良いモノだから200g 200円が良いだろうと思って販売の段取りを進めていた。市場価格としても妥当。少し安いくらいだと思う。一級品のワラビであれば200g 300円でもいいと思っていた。   けれど、別の地域の人に出品するワラビを見せ、価格を伝えたときに猛反発を食らった。   「一級品でないものを、しかも200g200円で販売するなんてありえない!!!」「こんなものを出されたら大鳥のイメージが悪くなる。」「大鳥の名前を使って販売しないでくれ!」と、ボロクソ言われた。   めちゃくちゃムカついた。 流通の無駄を省き、付加価値をつけ、中央青果に販売する価格よりも高く販売しようという取り組みを否定されたことで、「大鳥の未来を創造しないつもりでいるのか?!」という疑問さえ感じた。   けれど、冷静に考えてみると地域の人の言葉の裏にはこんな意味があった。   「大鳥のイメージを損なわないために、絶対に良いものを流通させないといけない!」という意識が、株式会社組織でもないのに地域全体として強いこと。「大鳥の山菜は美味しい!」というイメージを守ってくれているのは間違いなく今もなお山菜を採ってきているおじいちゃん・おばあちゃんであること。 つまり、品質によって値段差をつければいいという発想は、安易だった。   かたや中央青果で一級品のワラビを400g200円で販売しているのに対し、僕はそこそこ良いワラビを200g200円で流通させようと働きかけたことで、強い嫉妬心を駆り立ててしまった。 「何年もかけて培った、一級品の山菜を採ってくる技術が、そこそこのモノよりも安く見積もられている…」 これはおじいちゃん・おばあちゃんにとって中央青果に販売する値段が基軸になっているからというのも一つの原因として上げられるが、一級品の山菜ではないというところが強い嫉妬に繋がっているのだと思う。   今までの長い経験の中で知り合いの中でもごく少数の人がファンになり、今も購入し続けてくれている人たちを絶対に裏切れないということを地域のおじいちゃん・おばあちゃんは言葉にしないまでも思っているのだと感じた。   ビジネスの手法としては、同じものでも品質によって値差をつけることは上等手段であるが、それがイメージに繋がるのは長期目線でいくと大きな痛手になる…。 今回の僕の大失敗は、そこそこ良いものではなく厳選された間違いなく良いものを販売しければいけなかった。   けれど、値段に関しては譲るべきではないと思う。 販売価格を上がることがイメージが崩れるとイコールになるかというとそうではない。流通の形を変えているので中央青果よりも高く販売することは当然。 単純におじいちゃん・おばあちゃんは地域内で売れる価格しか知らない。メインの売り先が地域内にあるから。周りもみんなそうだから。   今までは中央青果に販売することでやっていけた。おじいちゃん・おばあちゃんは年金を貰う傍らで山菜採りをしている。だから安価な価格で販売してやっていける。   けれどこれからはそうはいかない。 地域が地域として存在し続けるためには稼ぐ必要がある。若手が活躍する必要がある。   だからそこに風穴を明けるべきだし明けないといけない。  

反発を受けながら押し切った店舗販売。結果は悪くないと思いつつ、甘えもある。

写真 2014-06-22 11 49 22   合計二日間の店舗での販売だったのですが、占めて18,000円くらいの売上になった。 僕の手間賃はゼロですが、流通を簡素化させることで中央青果に販売する値段より高く売れたので貴重な経験になった。 これを持って「初めてにしては上出来だなぁ~」とは思うけれども、甘んじてはいけない。   山菜を買ってくれた人は店舗の常連さんや、知人が7割以上だという事実。 縁故販売はモノの価値だけに全て集中するわけでは無い。培ってきた人間関係もフォーカスする。だから、客観的に認められる価値とは言いづらい。このことが悪いとは思わないし、有難いことでもありますが、大鳥の山菜を全く知らない人にも伝わる価値に昇華させないと意味が無い。 2014-06-27-1-22 図にするとこんな感じ。   そのために舞台に立ち続ける必要があるし、場数を踏みながら販売促進の質も、コミュニケーションの質も上げていかないといけないな…と強く実感させられた。  

地域内にも流通を簡素化させ、付加価値を付けて販売することに賛同してくれる人がきっといる。

今回、大きな反発を食らったことに恐ろしいくらいに凹みましたが、後々色んな地域の人に話を聞くと、今までよりも高く買い取り、高く販売することに対し好意的な人がいることも事実。それが、あと10年したら命が無いかもしれない年寄だとしても…。   色んな本や、実績を残した人の良質な講演を聞く中でも言われること。   それは、地域の当たり前の範疇にないアイデアや手法は8~9割の人に嫌われる。 けれど、実績といて残れば手のひら返しになる。ということ。   僕は小さな小さな実績しか積んでいないので、「中央青果よりも高く売れるんだよ!」という認識を地域全体としては持ってもらえていませんが、地道に続けていくことでそれがひっくり返る日が来るかもしれない。   そんな未来を創造できる可能性を追いかけていきたい。  

終わりに…

10387481_879751742039205_5590170461471309845_n 「楽しいところに人は集まる!」を合言葉に人生初の試み、ダンス販売をしました。笑   イノベーションはいつもゲリラ戦だと思う。   誇り高ければ高いほど、「流通を簡素化させれば高く販売していいだろう。」という至極当前の論理が通用しない。   時代の潮流の中で、大規模農家でなければ農協出荷や青果の出荷は生き残れなくなる仕組みがドンドン進んでいる。中山間地域支援の補助金だって、農業に対する補助金だって徐々に減っている。いつ無くなったっておかしくない。 だから小さな規模で残っていくための戦略を立てなければいけない。 人の手をかけないと成り立たない高品質なモノを流通の簡素化によって適正な値段で売り、生産者の利益を増やすというのが一つの手段でもある。   だから、そう思い立った人間が行動し、現実を少しずつ変えていくしかないのかなって…   冒頭でも言いましたが、年収1,000万なんて多くは望まない。 けれど、地域が維持できるくらいの産業は必要…。   限界集落や消滅集落なんて行政用語はありますが、地域に住む人たち、子供・孫世代の人たちが「これからもこの地域が残っていって欲しい」という思い・願いがあるならば、何とかそれを形にしたい。   大きな変化はいらない。 全国的に有名になる必要もない。   けれど、維持していくこと自体に変化が必要だから、時代に合わせて手法は変えていくべき。   そのための実験はこれからも続けていく。 地域内でまた反発されるかもしれないけれど、同じ地域内で賛同してくれる人がいる限り、続けていきたい。   全国で頑張っている地域おこし協力隊や、緑のふるさと協力隊、その他NPO法人や地域ベンチャー。色んな取り組みはあると思いますが、その殆どがゲリラ戦だと思うんですよね。 同じような戦場で戦う人たちにブログやFacebook、Twitterで数え切れないほどに励まされている。 だから一度ボロ雑巾になった僕からもエールを送りたい。   【地域おこし】という超漠然とした看板を背負った人たちは、何をしていいかわからないかもしれない。 何を持って地域おこしなのか、何を持って成功なのか。 万人が認める答え・結果なんて無いと思う。   けれど、自分が『これだ!』と思うものがもしあれば、批判・反発を受けても突き進んで欲しい。苦労も失敗も、きっと未来に繋がる糧になると思うから。 一時は苦しいけど、自分自身に何らかの形で必ず帰ってくるから。 僕自身まだまだ未熟者ですが、励まされることが多々あるので、たまにはと思い、少し偉そうにエールを送ってみました。   なんだかんだ地域は面白い。 そう思いつつ、長ったらしい文章を終わりにしたい…。   せば、またの。

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