ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

就職難・デフレに喘ぐ僕たちは、もしかしたらすごく恵まれた世代なのかもしれない。

2015/01/29

僕ら20代~30代は悲惨な時代に生きている。と思っている人は多いんじゃないでしょうか?

高度経済成長を終え、就職氷河期を迎え、人口減少、少子高齢化…。

僕も地方に住もうと思った理由の一つに、会社勤め=安定という概念が崩れ去っていたことが挙げられる。

一個人の心を動かす程に「今の日本の経済はヤバいんじゃないか?」と思わずにはいられない風潮があった…。

 

「昔の人はいいよな~。高度経済成長。バブル。人口増。」

対照的な輝かしい30~50年前を生きていた人たちの豊かさ、勢いを僕たちは味わっていない。

そんな過去の栄光、羨む気持ちが無いこともないだろう…。

 

けれど実は、どの世代の人も今の時代に対して被害者意識を持っている。

 

40~50代の世代は子育てに忙しいけど、子供を大学には行かせられるほどの稼ぎは無い。奨学金が必要…。

おじいちゃんおばあちゃん世代は、年金などの社会保障が減っていく。

 

色んな世代の人と話をしていると、みんな楽に暮らせているわけでは無い、ということを感じる。でもこれは結局のところ、無いものねだりというか「もっと欲しい!もっと欲しい!」という人間の絶え間ない欲望ともいえる…。

 

だから、生きてきた世代ごとに被害者意識が違う中で、「僕らのほうが不幸だ!」なんて議論は無意味だと思う。

 

でも、逆を言えば、それぞれの時代で受けられる恩恵もある。

僕たち20~30代は日本史上最高!と言っていいほど、素晴らしい環境で育ってきたことを忘れていないでしょうか?

大学全入時代の有り難み

h-d-r-03

僕が通っていた大学

僕ら20代~30代の親の多くは40代~60代。その親の多くはバブルの恩恵を受けながらも、苦悩な不況を乗り越えてきた親世代のまぐれもない息子・娘である。

ちなみにうちの親は、バブル全盛期の時は普通のサラリーマンにもかかわらず、年収1,000万も貰っていたという。

今では60を過ぎ、再雇用という形で雇われているので月給20万程度の給料になったらしいが、子供は自立しているし、まぁ暮らしていけないことはない。

僕の家族は両親と兄、そして僕の4人。

兄は都立の大学に行き、頭の悪い僕は私立の大学にいった。

二人合わせると、学費などもろもろ含め手1,000万以上のお金を8年間で費やしている…。僕ら兄弟は二人共浪人したので、それを加味すると+200万くらいか…?

それだけの大きな支出を夫婦で稼ぎ、学費という形で子供に提供してくれた。

母が高卒で社会に出たこともあり「何とかして子供は大学に行かせたかった…」という強い思いを受験生時代に聞いたことを思い出します…。

 

お金を払い、大学にいけば素晴らしい教育が受けられ、優秀な大人に育っていく…というつもりは一切ない。本人のやる気や目的意識次第で大学なんて行っても行かなくても同じという場所にも十分になりえる。

けれど、お金があれば大学と言う場所が人生の選択肢に加えられるが、お金がないと加えられない。若しくは奨学金という名の借金を背負う。

そんな中、経済成長・バブルの恩恵を親が受け、そのお金を教育という形で沢山使わせてもらったのが僕らなんじゃないだろうか。

 

親の稼ぎがあるからこそできた贅沢なお金の使い方。

果たして、そんなことを僕らの子供にも提供することができるだろうか?

 

山間部に住む40代、3児の母に聞いた、生きるたくましさ。

とあるきっかけがあって、40代の3児の母と呑みに行くことになった。

その女性はかなりオープンで「隠し事は無しね!」なんていう言葉を発しなくても聞けば自分の給料や生活などかなりプライベートなことまで教えてくる超気さくな方。

給料は夫と合わせて毎月35万程度。母の給料は毎月10万。その全てが子供への仕送り。残りのお金で固定費やら子供に食べさせる食事やら、全てをまかなっている。

その人の子供は既にみな高校を卒業していて親の手がだいぶ離れている状態なので、今は少し余裕があるのかもしれないが、月35万で3人の子供を夫婦で育ててきたなんて、神奈川や大阪にいた感覚では考えられない…。

 

子供は大学に入学していない。一人は専門学校。そのほか二人は高卒で就職したという。子供たちが全員、大学進学を希望したかどうかはわからないが、行っていない現実がある。その人の名誉のために言っておくが、それが悪いとは一切思わないし、負い目を感じる必要も無い。

一方で、子供を産むのは一人にして、「充実した教育を受けさせよう!」というのも今はよくある風潮に思える。それが悪いなんてことは思わない。一家庭の経済力を考えた上での判断であるから。

今では高卒であろうが大卒であろうが関係なく、稼いでいる人は段々増えてきたし(圧倒的少数ではあると思うが…)、ベンチャー企業なんかでは、学歴は無くても意欲のある若者を受け入れるところも少しずつ増えてきている。

 

ただ、進路を考える時に、圧倒的に『大学入学』という選択肢を入れやすかったのが僕らの世代なんじゃないだろうか。

誰でも入れる大学もある。とりあえず大学に行く!でもいい。そこで何か見つかればなおいい。

 

目的意識が無ければただの道楽にもなりかねる大学に入れて貰えたことに対して感謝の念を感じずにはいられない。

 

人口減少、経済縮小がこれから更に進んでいく中で、僕らの子供は大学に行かせられないのか…。

現在の大学のシステムのまま、僕たちの息子・娘たちが「大学に入りたい!」と言った時にその願望をかなえてあげられるだろうか…。

 

悲観的でも何でもなく、人口減少をしながら国内の経済規模は少しずつ縮小していくと僕は思っています。

土着意識が強い日本で(よくよく「地域に根ざす…」という言葉を聞きますが、まさに今いる場所への土着意識を表している。世界の中でも移住の少ない国民性みたいですし…)、グローバル社会の煽りを受け、スグにでも海外へ活路を見出し、外貨を獲得することは簡単ではない。

 

とはいえ、ただ指をくわえて自分の子供が大学に行かせられなくなる現状を見ていていいのだろうか…。

 

一つの提案として…というより、「こんな未来が来たらいいなぁ~」という自分では仕掛けようとはとてもじゃないけど思えない、ただの空想・妄想ですが。

 

ICTがドンドン普及してきている…。

※ICT(Information and Communication Technology):ほぼ同じ意味を表す言葉にIT(コンピュータやインターネット技術の総称)があるが、ITが経済の分野で使われることが多いのに比べ、ICTは主に公共事業の分野で使われることが多い。これは、ITとは経済産業省の用いる用語であるのに対して、ICTは総務省の用いる用語だからである。 ○とはサーチから引用

ICTの発達で実現しているのが例えば、遠隔医療や遠隔授業。人が現場でカバーしていた部分を、インターネットを使って遠く離れた場所からもある程度の質を保ったことが実現してきている。

現状、大学に入るには授業料が高額で払えない。一人暮らしさせるほどの余裕がない。奨学金を払わせるのは将来に大きな負担になる。という問題がある。

それをネットを使って、一度の授業で全国の拠点となる場所に、現在の授業料よりも格段に下げて有料で配信する。

既に天下の東京大学では一部の授業をネット上で生配信している。しかも無料。

拠点はそれこそ、全国で増えまくっている空き家・空き店舗を活用すればいい。そこに小さいながら同じ大学の学生というコミュニティーは生まれる。

事務作業をする人や予備校のようにチューターとなる人を数人置いておけば、成り立つかもしれない。

また、僕が大学にいた頃に既に立ち会があっていたみんなのキャンパスのようなサービスを大学ごとに作り、全国の生徒、そして教授とコミュニケーションを取れるインフラを整備しておいてもいいかもしれない。

勿論、課外授業やゼミ、サークル活動、部活動、文化祭など、講師も含め現場に人が集まらないと成り立たない項目もあるので、キャンパスライフっぽさはかなり薄れるかもしれないが、お金は無いけど目的があり、絶対にあの先生の授業を受けたい!というのがある学生にとっては願っても無い機会になるかもしれない。

 

と、大学に入学する学生の数がドンドンと減っている現状で、大学側でもこんなことは既に考えているかもしれないが、ふと思いついたことを綴ってみた。

 

終わりに…

人の変化は読めないもので、誰がどんなきっかけで人に影響・変化を与えるかわからない。

英才教育をしたところで全然成長しないけど、何も与えず自由にさせたら大きく成長した…なんてこともありえない話ではないだろう。

 

僕の人生の場合、大きく変化したのは社会人になってからであったが、それまでの学生時代を否定するつもりは一切ない。学生時代に付き合ってくれた仲間、先輩、後輩、教授が少なからず僕のどこかに影響を与え、大きな変化を与える要素を作り上げてきてくれたと思うから。

大学に行ったことで得られた確固たる結果は卒業証書でしかないが、数字では測れない変化を僕にもたらしてくれたことは、大学に行けたからこそ得られたことであろう。

僕自身の人生経験からしか語れないが、多感な10代後半~20代前半の時期に、多くの人に出会い、多くの人の話を聞き、沢山行動したほうがいいと思う。

そのキッカケの一つとして大学の質の高い授業があってもいいはずなのに、知力・学力ではなく、一家庭の経済力で排除されてしまうのが非常に悲しいし、ある意味大量の機会損失を生み出すのかもしれない。

 

だから、結婚し、子供を産み、子供を育てたいと思っている20代~30代の人たちに対して、全て現状のシステムのまま、全て自己責任で…ということで意欲を削ぐのではなく、これからますます厳しくなってくるであろうマジョリティー人たちの経済力にも合わせた授業システムを是非とも考えて欲しいなぁ~と思う。

 

意見的なことを言うのは普段はあまりしないのですが、とある女性のお話を聞いて胸が熱くなったので長々と綴ってみました。

ではでは今日はこのへんで…。

-考察
-,