ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

全ての現役高校生が絶対に知っておくべき、たった一つのこと。(講話の動画付き)

2015/01/29

ヤマガタ未来ラボさんでブログを書かせて頂いていることがキッカケで、鶴岡中央高校の高校2年生に向けて講話とワークショップをしてきました。

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17歳の高校生を目の前に授業のような感じでお話をする日がくるとは思っていませんでした。

実は、僕の中学校の頃の夢は、学校の先生になること…。

夢のような機会を頂いた先生、本当にありがとうございました。

 

今回の講話のお話を頂いてから、「今の高校生はどんなことに興味あるんだろう…」とJKについてネットサーフィンしていたこともあったけど、いまいちピンとくるものが無くて…結局、10年前の自分を思い出すことから始めました。

10年前はちょうど僕が17歳。

高校2年生で部活もバリバリやっていて、社会人バレーにも参加しまくっていて、バレー命。バレーバカ。社会人バレーで知り合った友人と夜遊びをしょっちゅうして、お酒も飲んだ。その社会人チーム内で年上の彼女(当時23歳)もできて、高校生のクセにウハウハで、少し大人になろうと背伸びしていた学生でした。

その頃は将来のことなんか全然考えていなかったな。

しいて言えば、「大学生になってもバレーボールを続けたい!」と思っていた。振り返ってみれば割と青春してたのかなぁ~と思います。

 

でも、バレーボールと同級生・社会人と遊ぶこと以外はまるでやっていない。ふとした時に、これやりたい!あれやりたい!と思い描くことは沢山あったろうけど、それをやったかと言われるとやっていないな…と。後悔こそしていないけれども、やれること、もっと沢山あったんじゃないかな~って。

やりたいことはあるのにやらずに終わってきた過去。それを邪魔するものが何かは、僕が高校生の頃は見えていなかった。

でも、今なら見えている。そこを教えたいと思った。

 

今回の講話の中で僕が一番伝えたかったのは、自分のリミッターを外して欲しいということ。

内なる声を外に出す恐怖

高校生なら一般常識とか、ケジメとか、正しい人間像みたいなモノを自分の身の回りの人やメディアから既に教わっていて大体どんなものかは検討がついているはず。

人としてやって良いこと悪いことの判断もできるはず。

 

でも、必要以上に親や学校、社会・メディアから「こんな風に生きたほうがいいよ」とか「それはダメだ!」「こうしなければいけない。」と教えられることがあるんですよね。

そう言われることに対し「うるせー!わかってるよ!」とか、「本当にそうなの?」という思いを抱くこともあったかもしれない。

 

本当は「なんで?」声に出して反発したり反論したりしたいんだけど、相手は親や大人だし、中々声に出しづらい。批判を浴びるのが怖い。嫌われるのが怖い。言葉にしたとしても言い返される内容なんて大体予想がつく。という感じで、今は粛々と黙って、「まぁ取り敢えずは長いものに巻かれておこう…。高校卒業するまでの我慢だ…。」なんてケースも無くはないのかなぁと思う。

 

でも、そんな時間が長く続くと、何だか自分を出すのが怖くなったり、周りとの調和の中で生きたりして、いざ、進路を決めなければいけないとなった時に「自分が本当にやりたいことってなんだろう?」と迷ってしまう。

でも、自分が本当にやりたいことなんて、見つけるのは簡単じゃないと思う…。

 

「やりたいことを見つける」とは言いますが、「やりたいことを考える」とは言いませんよね。

言葉の通り、考えてもやりたいことなんか出てこないんですよ。

見つけに行かないと。

 

つまり、行動しないと。

だからこそ、場当たり的でも良い。思いついたことをドンドンやったらいいんじゃないか。

 

そう言うと簡単そうに思えるのですが、いざ、動こうと思うと後ろ髪を引っ張られることがよくあります。

 

「あれやりたい」「これやりたい」と言うと、「無理」「無駄」「どうせできない」と言われてしまう。「お前は一度初めてもすぐ辞めるし、諦める。どうせ長く続けられないならやらなくていい。」と、トドメを刺されてしまうと何も動けなくなってしまう。

 

続けないことは悪ですか?諦めることは悪ですか?

自分が実際にやってみて、「これは続けたくない!」とか「つまらん!」と思うからやらないのであって、頭ごなしに「続けないことは悪!」というのは間違っている。

 

諦めるという言葉の語源は、明らかにするということにあります。

つまり、自分の目的・目標が達成されない原因を知り、納得して断念する。ということ。

ネガティブな言葉として使われがちですが、本来の意味はむしろ逆で、主体的にモノゴトを取捨選択することを言います。

 

僕も沢山の事を諦めてきました。

小学校の時はピアノを習っていました。ピアノを買ってもらったのに一切練習しませんでした。やらされ感マックスです。小学5年の時に辞めました。

野球もしていました。小学校の卒業アルバムで「あなたの夢は?」と聞かれ、書くことが無かったのでとりあえず「野球選手になりたい」と書いていました。でも、野球は中学校1年で辞めました。

中学生の時は一人で詩や歌詞を書いていました。初めて書いた歌詞のタイトルは確か「Cloudy Heart(曇った心)」でした。クソダサいですね。笑

 

これら全てが、自分の感覚として合わなかった…。

決して主体的に辞めることを決断したわけではありませんでしたが、気がつけばそれらは自分の人生からフェードアウトしていきました。

 

一日24時間、一年365日と、誰でも平等に与えられている中で、自分がやりたくない理由があるのに、やれるように動機づけし行動しなおすほど暇じゃないんですよ。

チャレンジして、何か違うと思ったら諦めて次に行く。

チャレンジして新たな自分を発見しようとすることは、消去法で選択肢をドンドン消しているも同じじゃないですか。

 

この繰り返しが、当たり前のように通用するのが20代までなんじゃないかと勝手に思っています。

人生が平均寿命的に80歳まであるとするならば、年代別の役割として、20代まではひたすら模索・体験。

30代は鍛練。

40代は発揮。

50代は育成。

60代以降は伝承。

 

多様性と言う言葉でよく表現されますが、職業の自由とか、生き方の自由が若い世代を中心に認められ始めてきているからこそ、逆に選択肢が多すぎてわからない。選べない。

だからこそ、探す。

探すために、体力が有り余っているうちに動く。

それでいいと思う。

 

「軸が無い」という言葉はかなり傷つく。でも無視しよう。

これもやってあれもやって…と、本能が赴くままに色々手を出していたら「軸が無いよね」と言われてしまうことがある。

逆に、一つのことに一所懸命な人とか、Noと平気で言える人は「軸があるね」と評価されることが良くありますが、裏表だと思う。

一つの事に一生懸命であれば、多くの別のことを経験できるとは限らないし、Noと平気で言える人は自分のやりたいこと・やりたくないことが見えているのかもしれないけど、それ以上の広がりが無くなる可能性だってある。

 

思春期の学生にブレない軸があったら正直言ってかなり凄いですよ。

軸が生まれ持ったモノではないことぐらいわかると思いますが、色んな経験の中で培っていくじゃないすか。

そもそも話している言葉とか行動を見ていて軸がしっかりしているなぁ~って感じる人って、カッコいい大人じゃないですか?

 

本田圭介とかイチローとか…

 

一流選手じゃなきゃ軸が無いってことでは無いですが、圧倒的な場数を経験している大人が発言する言葉って、やっぱり心に響くんですよね。

何でも試して、ダメで、悩んで、別の事を試して…という繰り返しで全然良いと思う。

 

僕の進路の決め方なんてもう、酷いですよ。

僕が浪人をして、勉強マシーンになっていた頃。僕の頭には、現役の時に僕に不合格のお祈り通知を沢山差し出してくれた関西大学に行きたかった。学校の名前はそこそこ有名だし、校風が合いそうだし、何より家からめちゃ近いので、地元を離れなくていい。だからそれしかないと思っていた。

でも、一緒に浪人していた高校の友達がギラギラした目で「俺、東京に行くから、お前も来い!」と言われ、東京の大学に行くことにしたんですよ。

死ぬほど大阪に残りたかったのに、関西大学に行きたかったのに、友達の一声でコロッと変わってしまった。

 

自分の軸なんてあったもんじゃない。

結果的にはそれも良しと思えたのですが…笑

 

やりたいことをやりまくることで道が開けるかもしれない。

僕の経験からしか言えないけれど、今までに色んなことをやってきた。

チャリで大阪~富士山まで行ったり、富士山登ったり、車で九州一周したり、ゲイばかりが集まるクラブに行ったり、山でキャンプしたり、ヒッチハイクしたり、フリーハグをしたり、フィリピン留学をしたりと、何かとやりたいことをやってきたような気がする。

一時の自己満足の為に、どれだけのお金を使ったかわからない。どれだけの時間を使ったのかわからない。しかも、今のところどれも一回限りで、「何が何でも、もう一回やりたい!」と思うものは数少ない。

「本当にやりたいことを見つける」ことについて言うと、色々やってきたけど殆どが空振りだったように思える。

けど、衝動的に「やりたい!」と思ったことでもやってみれば、自分にとって合うか合わないかくらいは感覚でわかるし、仮に合わなかったとしてもそこに投じたお金や時間は決して無駄にはならない。

だって、再び同じ衝動に駆られたとしても「嫌だ!」「やりたくない!」という判断ができるはずだから。

 

人間、合理や論理で全て判断できるほど優秀ではありません。感覚が凄く大切です。

色々やりまくっていれば、自分の感覚が磨かれてくるし、本当にやりたいことが何か、見えてくるかもしれない。

 

それが僕にとっては、入社して一年目までは海外。入社して2年目で地方に目を向け、一気に勢いをつけて転職に至った。そして今、山奥にいる。幸いにも、僕が今いる大鳥というところは凄く気に入っていて、「都会からきた若者が山形の山奥で自活できるようになるか挑戦中!」というテーマでこれからも活動を続けていくつもりです。

あと、異業種交流会とか合コンというのが僕は苦手…というか嫌だというのも分かりました。無理やり出会わされるというシュチュエーションに違和感しかなくて…笑

 

動いていれば、何かが見えてくるかもしれないけど、動かなければ何も見えてこない。

これは断言できます。

 

終わりに…

『知覚動考』という僕の大好きな言葉があります。

社会人一年目に40万円を払って営業コンサルを受けていた時に教えて貰った、僕にとって超大切な言葉。

 

『ともかくうごこう』と読みます。

読んで字のごとく

・知って

・覚えて

・動いてから

・考える

 

ということです。

どういう意味かを知るには、普段、自分がどういう風に順序立てて考えているかを思い出してみて下さい。

 

恐らく…

・知って

・覚えて

・考えてから

・動く

 

という順序をしています。

動いてから考えるというのと、考えてから動くという順序が逆になっていますよね。

でも、考えた時点で、足が止まってしまうんです。

「これをやったら、もしかしたら怒られるかも…」「もしかしたら失敗するかも…」なんて、考えてしまうんです。

 

殆どの人がこの「考えてから動く」という行動パターンをしています。僕も高校生・大学生の時はそうでした。

だから何もできずに、何も経験せずに終わってしまうんですよね。

そうなってしまっては本当に勿体無い。

 

繰り返しになりますが、やりたいことをやってください。

心のブロックを壊してください。リミッターを外してください。

 

そして後悔のない学生生活を送るために、一個だけでもいいので、やりたいことを達成して下さい。

あとで、後ろを振り返ったときに、自己満足でいいので輝いた歴史が一つあると、自信になります。

 

熱く語っていたら長くなってしまいましたが、今回、高校生に向けて講話する機会を頂いた事で、僕も学生の内にリミッター、外せておければよかったな~と強く思ったので記事にしました。

読んでいただきありがとうございました。

最後に、かな~り長いですが、講話の動画を取っていたので貼っておきます。

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