ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

芸術は衣食住の延長にあるもの。そして、失われた力を呼び戻すもの。~大鳥音楽祭の主催者、嶋尾和夫さんにインタビュー前編~

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ども、田口(@tagu_h1114_18)です。

昨年から規模が大きくなり、リニューアルした大鳥音楽祭。2016年は6月18日(土)に開催予定です。

詳しくは公式ホームページをご覧ください。

僕も昨年から運営に携わっているのですが、今回はその主催者である嶋尾和夫さんにインタビューをしました。

※嶋尾さんは、東京から20年前に東京から大鳥に移住し、彫刻家・詩人として活動中。年に数回、個展を開いています。

 

音楽や芸術は身の回りに溢れています。

そのほとんどが商業のために生まれた作品・アート。

しかし、本来の芸術の力・音楽の力は、商売のためではなく、生きるためにあるもの。

僕たちの失った力を呼び戻すもの。

 

そう教えてくれた嶋尾さんの、音楽祭に向けた意気込みや、芸術の持つ力について熱く語って頂きました。

長文ですが、じっくりと読んでみてください。

芸術とは何か。音楽とは何か。生きるとは何か。

―大鳥音楽祭を通じてどんなこと伝えたいですか?

人間の原点というか…衣食住と、それだけでは補えない精神的な生活だよね。衣食住というのは基本なんだけれど、衣食住だけでは人間は満たされないじゃない。まぁ衣食住を満たすだけでも大変なんだけれども…。

結局何か精神的な理想というか、目標というか…。

普段、音楽を聴いて楽しさというのもあるし。音楽を聴いて「あぁいい音楽だったなー」と言うのもそれはそれでいいんだけれども。

 

―衣食住はわかりやすい。ごはんを食べなければ飢える。寒くなったら服を着る。落ち着いて休める空間も欲しい。どれか1つでも欠乏したら、反射的に求めるものですよね。だけど、嶋尾さんが常々言う「生きるには音楽や芸術も必要。」という意味は、精神的な部分ですよね。欠乏しても直接的に命が脅かされることはないけれど、ないと生き苦しいというか…。

結局ね、誰もが経験したかはわからないけれども、1つのメロディーが命を救うことがある。一つの絵だったり、ひとつの言葉だったり。それは小説でもいいし、詩でもいいけれども。

それがその人の明日を生きようという力になったり、救いにもなる。

現に僕もそれを感じて、触れながら、「あぁ自分でもそういう仕事ができれば…」っていうことで出会ったんだからね、芸術というものに。

 

―それは嶋尾さんが東京で暮らしていて、詩を書くことを志した頃に…と言うことですか?

詩もそうだし、音楽も彫刻もそう。

だって、芸術がなきゃ生きていけない!なんてことはないじゃない、まずは。衣食住に比べたら優先順位は落ちる。だけども、結局は肉体と精神で人間一つになっているからね。どっちがどっちって区別するのもおかしいけれども…。

「パンは必要だけどパンのみに生きるにあらず」というところだよね。

だから芸術と宗教は、支えであるんじゃないのかな。またそうなんなきゃいけないんだけど。今は葬式宗教になってしまっていて…。

 

―冠婚葬祭宗教ですね…。その、「救われたことがある。一つのメロディーに。」という話について、もう少し詳しく教えてもらえませんか?

例えばほら、失敗したとか。今考えれば大したことではなかったけど、もうその時代では受験に落ちたとかさ…。その時に音楽が、メロディーが、それを聞くことで発散される。慰められたり、励まされたりというのも、いつもあるわけじゃないけど。

これはもう本当に、個人的なことだと思うよ。芸術というのも個人的な作品だしね。それに出会う人だって、それぞれよ、みんな。

それが作品で出会えるっていうこと自体が、何か共感したりすること自体がもう、特殊なものではないということじゃない。

お互いにとってまるで違うところで作って、「よしこれは僕の心を表した。」と。それでみんなが通り過ぎていくだけだったら、そんなものでしかないじゃない。

「自分のために作ったんだ」と言うならそれはそれでいいけど。

 

自分のために作ったものが、他の人のためにもなって。何かの勇気になったり、励ましになったとしたら…。そしたら、心が交流したということじゃないかな。

この前だってさ、倉沢バル(※注)で初めて会ったお父さんが、「これいいねぇ。また見せて」ってなったじゃない。あれはただ、僕が木を彫っただけの立体の形なんだけど、興味を示してくれた。作った作品と見た人が、「いいね。」となっただけで、交流というか、関係ができているよね。

だからね、この音楽祭で大鳥の自然にも何かを感じて欲しい。

注:2015年12月に旧朝日村の倉沢集落で行った一日限定のバル(居酒屋のようなもの)

 

―今までの話を聞いて、音楽や芸術が”生きることに通じている”ことを言語化して、大鳥音楽祭のHPとかで表現したいなって思いました。入れた方が”らしくなる”というか。一般的な野外フェスとかとは、圧倒的にそこが違う。外から有名なアーティストが来て、刺激を受け、鼓舞する。んで、すごく楽しく一日が終わる。というのも一つのライブやフェスの在り方だと思うし、知らず知らずのうちにそれが生きる糧になっているかもしれないのですが…。古くから『音や絵がないと死んじゃうよ。』くらいの勢いで音楽・芸術が存在していた。というメッセージを強く出せるのは、大鳥音楽祭の方だと思うんですよね。それを意図して開催するのは大切なことだと思う。

音ってさ、大鳥には自然の音もあるからね。いいかもしれないね。

 

商品としての芸術ではなく、失われた力を呼び戻す芸術。

僕も大鳥にきて、自然と共にある生活をやらなきゃ!って思ったわけよ。(東京にいた頃は)あんまりにも自然から離れすぎて、「ダメだこりゃ」って思ったんだよ。

自然と共にあるこの大鳥で、人間の生きるという基本的な形がわかったわけよ。それはやっぱり衣食住なんだと。

春になったら山菜。草とかで食べていける。それで、歩いて一周回ってその風景を食べられるわけだよね。「あぁ、やっぱりここが基本なんだな」って気付いて。それでじゃあ人間は衣食住だけで生きていけるのかって考えて。それで自分のやっていることも、そういう精神生活に通じる。人間はパンだけでは生きていけないもの。

それが人間の基本なんじゃないかなって思ったのね。人間が存在する。

 

―衣食住だけだと、動物に近いというイメージですか?

そうね。なぜなら人類は捨てなかったからね、芸術と宗教を。まぁ今、宗教は争いになっているけど…。

 

―縄文時代、壁画に描かれた狩りの絵、動物の絵は「明日こそあの獲物を獲ってやるぞ!」という欲望の現れですよね。

切実だよね。生きることにピッタリ重なっていたんだよね。

この前、倉沢バルで山伏・巫女の話を聞いたときに、「あっ!」と思ったんだけどね。占いとか、神がかりとか、霊感とか…。そういうことじゃなくてね、人間も動物として持っていた感覚の…。なんて言うか…。それがね、原始美術の中に出ているわけよ。

『種の保存』で言えば、土偶。あれは言ってみれば今で言えば彫刻だろうけども、女のひとが多いじゃない。そしてお腹がドンとデカかったり。それも命がね。死んでいく命もあるけれど、生まれてくる命に対するモノ。それは大切だよね、これから。後継ぎも必要だろうし。

そういうことが、一つのことだったと思うわけよ大昔は。それが今は幾つもに分かれてしまって。関係がなくなったような感じになってしまっているからね。

 

ー分業・専業化ですね。ミュージシャンという名の職業とか。だから、生きることと芸術の距離が離れたように感じるんじゃないかな…って思います。

それで、芸術には技術がもちろん必要なんだけどね。表すために必要なんだけれども。上手な絵ばっかりとか。しょうがないことはしょうがないわけよ。物事というのは段々洗練されていくからね。都会は特に。そうなると、デザインと変わらなくなってくるわけよ。デザインが悪いっていうんじゃないんだけれど…。

話は戻るけど、そういうのって現代人が失ってしまった力じゃない。山伏とかね。修行とかして何かを感じるよりも、こっちは科学で天気予報で、衛星飛ばして雲の動きみて。こっちは山伏の力なんていらないんだ。山伏が触って治さなくても、現代医療があるんだ。薬もあるし、化学物質もあるんだから。で、現にそういうものが人の命を救ったりもしている。

そうなると、テクノロジーですべてが賄えるっていう時代で、芸術もその一つになってしまったわけよ。商品であり、テクノロジーでもあるという形に。

 

ー消費される対象になってしまったんですね。

それはもう、時代が求めてきたんだからしょうがないけども…。もう行き詰まっているわけよ、テクノロジー。まぁ、テクノロジーはこれからもドンドンと進歩するであろうけどもね。宿命だからね。

あとは使う人間がどう判断するかでしかないけれども。もう機械に捕られているじゃない、自分をね。それで魔法の板(スマートフォン)は素晴らしいんだけども、国境を越えてしまうんだけどね。捕られちゃダメよ機械に。お金を持つことはいいけど、持たれてはダメなのよ。どっちがご主人様だって感じだよ。笑

テクノロジーに動かされてるっていうか。本来はなくても生きていかなきゃいけないのにね。それで、もう人間の全般にそういうものがなくなっているわけよ。あまりにもテクノロジー化されているからね。便利だしね。

芸術もそうよ。そうやってドンドン洗練されていって、商品になってしまってね。商品として、ちゃんとデパートに置いておけば売れるわけだからね。同じように消費されて。また、それで食っているやつらはそういうのをまた作ろうとするしね。それはもちろん、洗練されて相手の心をつかむようなモノを作らないといけないよね。

だけど、そういうものが新しい時代を切り開けるのかって思うわけよ。

そんな金のために描いている絵で…。

 

僕も半分それで食っているけれど。笑

まあでもね、売れるってことは大変なことだけどね。

女の子たちが何十人もいて踊ったり歌ったりいている…あの、秋葉原の…。

 

―AKB48ですね。笑

あー!それとかね。今のベストセラーとかね。それはそれで、簡単にはいかないよね…。

でも、そんなことにエネルギーを注ぎたくないわけよ。まぁ、やろうとしてもできないんだけど。笑

もっと本来の、失われた力っていうかさ、原始的なパワーっていうか。今、そういう転換点だからね。人間も、テクノロジーが自分で操作できないようなモノまでも作ってね、原発事故があったり。どこへ廃棄していいのか、廃棄も何万年もかかるような大変なものを作って。それで核兵器は相変わらずあるわけじゃない。それで脅して、「これがあるから平和なんだ!」なんてバカな事を言っているけど。

 

ー意味わかんないですよね。笑

だから、それを制御もできないし解決策もない。そういう時は、根源に戻るしかないと思うわけよ、僕は。そして、現代人にこれを乗り越える力があるかどうか。一人ひとりが気付けばいいんだろうけど。気付いても転換というのは難しいからね。相当なパワーいるからね、革命はさ。

今まで通りに生きていれば、それはそれで大変なんだけど、違う方向にもっていこうとなると、大変な力が必要で。また違う力がいると思うわけよ。

今やっていることを次々に、今やっていないことにする。もう一つの、変える力というのはさ、また違う力じゃない。

それにはやっぱりね、その失われた力がないとダメなわけよ。

ピカソもそれをわかっていたからね。アフリカ芸術から盗んできたわけよ。

 

ー目に見えなくて、推し量ることができなくて、確かなものかもよくわからないような、芸術や音楽を信じたいというのは、そういう失われた力に期待しているからですか?だから音楽祭を大鳥でやる意義にも結びついてくる…?

大自然のパワーだよね。だから大鳥でキャンプファイヤーするのはいいかもね。笑

 

ーいいですね。いっそのこと燃やしてしまえと。笑

やっぱりね。火とか水とか、根源的なパワーだからね。

 

ー火とは何か…火はどこからきたのか…みたいな知見を深めないまでも、空に登っていく火を見るだけで何か感じるものがあるかもしれないですしね。

あと、水の流れをみていても飽きないしね。

やっぱりね、なんていうかその辺、火と水と。土もだよね。

 

インタビューは後編に続きます。

後編:大鳥音楽祭ができるまで。~大鳥音楽祭の主催者、嶋尾和夫さんにインタビュー後編~|ひろろーぐ

 

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