聞き書き:鶴岡には何もない。だから大鳥に住んでいる。
2016/01/15
ども、田口(@tagu_h1114_18)です。
先日、大鳥にて地元のおじいちゃんに聞き書きをしたのですが、内容がとってもオモシロかったのでブログに残しておきます。
80をこえたおじいちゃんの話。
「でも考えてみっとや。何にもねぇんだ、鶴岡さいってもや。山菜もねえんだし、田もねぇ畑もねぇんだし。あれ、何もおもしっくねぇんだ。んでいかねぇでここ(大鳥)さ住んでるんや。それだけだんや。」
心をグググッと掴まれるようなお話で、聞きながらニヤニヤしてしまいました。
聞き書きを記事にするのは初めてなので編集がへたっぴだし、話題が飛び飛び。聞き書きというよりもはや乱文…。ご容赦ください。
※庄内弁のままで書き残しました。言葉がわからない人は雰囲気でお楽しみください。
―家も昔は茅葺き屋根だった?
茅屋根や。みんな自分で葺き替えした。茅をとってくるところから。
その後段々に杉皮に変わった。杉の皮はいいんだよな。濡れねえんだ。木から6尺くらいにベロッと剥いで。木の細い釘を打って。
いい話だろ?全然金かかってねぇわけやの。笑
ほれ、カヤの場合は山に生(お)いているんだし。
―杉皮のあとの屋根はどんな屋根?
瓦になって、そのあとトタンになった。瓦でも雪降ろす方法あっけど、トタンにはかなわねえもん。凄く滑りがよくて。家の一番上の三角の前に”水”と書いてあった。なして書いてあるかわわからねぇけども…。
ー寿岡には土蔵ってありましたか?
あちこちにあったや。今はみななくしてしまってる。
土蔵ってのは、中に米でも酒でも、何でもいれたもんだやの。トンネルの中のようなもんだ。温度が変わんねぇ。冷蔵庫みたいなもんやな。土と藁でできてて、風が入らねえ。窓はねえ。側がみな土なんだ。んだはけ土蔵や。土蔵さいれると、うまみは消えねえっていうもんな。
そうして金掛けねえで暮らしたんだ。だから金なんかなんぼもいらねえんだ。工面すればこの山の中だばいっこも金いらねえんだよな。
だけど、今の若い人はそんなな…。しぃるもんじゃねえんだよな。贅沢だでな。
ー沢から水を家の中に引っ張ってましたか?
家には水タンクっていう。セメントで作ったタンクがおらいにあった。山から引っ張った沢水がそのタンクに溜まるようになって、そこからまた流していた。その流した水で、濠で鯉を飼ってた。だはけおらいでも流しの外に濠があんなやの。ちっちゃいな。これを”流し流し”っていうんだ。
タンクをなくしたのは20年前くらいなもんだ。だとも水道がはいったはけ、タンク邪魔なったんだ。
ー普段は山の水を飲んで暮らしていたんだ?
不思議な話なんだけども、おらいさ沢からくる水が、試験してみたら、大腸菌になるような成分があるって言われたんだっけ。あんまり飲んでは悪い成分だと。
うちは、豆腐屋していたんだ。そういうことで、その水は使わないでいたんだ。だけど、その水をずっと飲んでてもや、うちの年寄りは一番長く生きたんで95歳。次に90、88。
その水ばっかり飲んで。水道なんか使わねぇぞ。それで生きているわけや。
ー民間療法や薬草って使ってましたか?
俺のうちさは、越中富山の薬売りが泊まったんだやの。自動車がねえ時代にきてたんだ。
俺はその時子供だけどもや、薬売りの相手がいねぇと、俺に薬の話すっけ。富山からな、熊の胆買ってや、薬作ったんだ。最初は何気なく買って作ったばお客に「効かねぇ」って言われて。調べてみたら熊の胆が偽物なんだっけ。熊の胆さな、なにか、ブナの実とかを突っ込んで干して売ったんだとや。
それから、「偽物つかまされた。大変だ。」ということで、現地さいって、熊の胆干しているところを見てから買ったとや。ただ買ったって駄目だとや。
熊の胆が一番効くのはや、風邪ひきの熱さましさ効くって言うんだっけ。それもな。ちょぴっとだけ入れるんだ。熊の胆は最高に効くんだ。だはけいっぱいは飲むなよって。
その時に"薬草は、毒草からとるんだ”って覚えたんだ。富山の薬売りから教えてもらったんだ。
ー毒草って、トリカブトとかそういうの?
トリカブトではねぇな。あれはな、普通の毒薬ではねえとや。特別な毒草だとや。だからそういうもんからはとらねえとや。
ー皆さんの時代の人たちはお金を使わないで生きていく力・知恵はいっぱい知ってますよね。
そうなんだ。いっぱいあるあんや。だからもったいねぇなぁって思うことあるあんや。
世の中ってものはや。どうゆう変動ねぇっては言われねえぞ。
第一に、えらい変わったっていうのは百姓な。田を作らなくてもいいという時代が来てしまったんだよな。おかしげな世の中やな。考えてみっと。前には田あれば、あとは自給自足で暮らされた。わ(自分)が喰う分の米はわ(自分)で作ったもんだ。
あと、俺ら子供の時はな、杉を植えたんだ、杉。でも今は一銭にもなってねぇ。投げ売りなんだ売ったって。買う人もいねえ。
こんな世の中になるなんてや、俺ら子供の時は考えられなかったよな。
んだはけ、そういうことを考えるとや。大鳥は過去から今までずっと続けてきたろ。田口さんみたいな応援者が入ってや、なんとか続ける工面してっしや、それはほんとでありがてえあんや。
例えばだぞ。今、北朝鮮で水素爆弾作ってる。ほいで4回目の爆弾作りだろ。それで成功してるって言ってるわけや。それで経済制裁してる。あんまり無理すっとや、いつどこに撃つかわからねぇよな。
あとはや、平和条約作って国連作ってちゃんとやってるどもや、それあっても外国で戦争してるからな。ひどいもんだぜな。難民が何千人もな。国連あってもどうもしいねえもんだなやの。
考えられない時代がくるのがそれなんだや。世の中どういう変化なるもんだかわかったもんじゃねえんだぞ。誰にも想像つかないもんだ。
だから、わ(自分)の暮らしが裕福だって、いつまでも悠々と暮らしていけるかって、それは無理なんだ。
こういうとこさ住んでっとや。侍時代。みんな鉄砲もって、城を作って、まず生き残りかけた闘いでや。んで、残っただけだろや。結局はや、世の中昔といっこも変わらないようだっけ今見てっとな。
だはけ暮らされる場所なんだから、投げてうだるのではもったいないもんだな。水はある。タダ(無料)である。山もある。山菜もある。キノコもあるんだ。
若いときはな、出稼ぎ行ったんだ。都会はおもしろいなぁ~って思った。東京で暮らしたらいいなぁって思った。だどもや。三年くらいいったばや、人があんまり沸いてるんだし、あんまりいいとこじゃねぇなぁって思って諦めて辞めたんだ。
俺が若いときはな、わ(自分)が80まで丈夫にいるもんだと思わねえし。80くらいになると昔はみんな死んでるんだし。
んで、鶴岡さ行こうと思ったんだ。歳とったら隠居しようと思って、わけぇ時に計画したんや。
わ(自分)で家を建ててくれねぇと、子供もいかねぇと思って、ほんで家建てて。
でも考えてみっとや。何にもねぇんだ、鶴岡さいってもや。山菜もねえんだし、田もねぇ畑もねぇんだし。あれ、何もおもしっくねぇんだ。んで、(鶴岡に)いかねぇでここさ住んでるんや。それだけだんや。
やたらに(息子の住んでる鶴岡の家に)いって泊まるどもや。やっぱおもしっくねぇもんな、暮らしてっと。
やっぱここ(大鳥)がいいもんな。ここさいると、鯉も飼ってるろ。田もあるろ。新鮮な水もあるんだし、魚もいるんだし。これは鶴岡さいってられねぇなぁと思って。
黙ってたって何もねぇろ。何も面白くねえもん。
だはけここさ住んでみっとや。どこだらさ行きたくなくなるんだ。いいとこだぞ。んだ!ほほっ。笑
あとは、わのな、運転次第なんだ生活は…。
編集後記
「若いもんは都会に稼ぎにいくべきだ」と息子や娘を送り出してきたけども、自分にとって山があって川があって、田があって畑があるこの場所が、やっぱり楽しいんでしょうね。
70にも80にもなって、「足が痛い」「腰が痛い」なんて言いながら、みんな動いている。働いている。なんぼも稼げなくたって、やっぱり体を動かすってのは楽しいもんだ。だから、おじちゃん・おばあちゃんになっても活躍できる場(山)からは離れられないのかな…なんて。
昔は、こんな自給自足するに都合がいいから奥山に居を構えたんだろうが、現代では"楽しい"から奥山に居を構える…という価値観に変わっていたんじゃないかなって、そう感じました。
せば、またの。