マタギと共に、狩猟の最高峰である熊狩りに行ってきました!~トラバースしている時に強烈に感じた”今”という瞬間~
この記事では、熊の解体後の写真や、捌くシーンなど生々しい写真を掲載しておりますので、抵抗がある方は記事を読まないことを強く勧めます。
僕の狩猟デビューが熊狩りで、死にかけた記憶が鮮明に蘇ってくるこの季節。
ども、熊狩り2年生の田口(@tagu_h1114_18)です
昨年は、熊狩りから命からがら帰ってきたはいいものの、足の震えが止まらず、声が出なくなる…という体験をした。
参考:狩猟デビューで本当に死にかけた。~マタギの世界はめちゃくちゃ厳しい!命懸けの熊狩りに参加してきました!~|ひろろーぐ
もう二度と同じようなことは繰り返したくないとは思いながらも、熊狩りシーズンを待ち侘びていた僕がいた。
理由はよくわからないけれど、ドキドキするのだ。
さぁ、熊狩りシーズン2の幕開け。
地元の猟師さんたち12人と共に、春グマ猟に行ってきましたので、今回はその様子をレポートしたいと思います。
いざ、12人で熊狩りへ!
朝8時。集合場所に集まった地元の猟師12名は、昨日に下見に行った狩りのリーダーの情報を共有しながら、それぞれの持ち場を確認し、山に向かって歩いていく。
背中にはリュックサック、鉄砲を背負い、腰にはナタをぶら下げ、握った杖で足元の雪の具合を確認しながら森の中を進んでいく。
ザクッ、ザクッ、ザクッ。
日の光で溶け始めた雪は思った以上に固く、ザラメ状になっている。
歩き始めて20分くらい経った頃。3手に分かれて山を登っていく。
一つは、クマを撃つ班(ブッパ)。一つは、クマや撃ち手の位置情報を確認しながら無線機で都度情報共有する班(舞い方)、もう一つはクマを山の下の方から上に追い出す班(セコ)。
僕は、今回はクマを撃つ班になりました。(なので、これ以降の写真は、撃ち手の行動がメインになります。)
所々雪が溶けている。30°くらいはあるだろう山道を、歩きやすいところを選びながら、ジグザグに歩いていく。
できるだけ小股で、一歩ずつ確実に…。
大股で歩くと、小股で歩くよりも太ももにかなり負担がかかるのだ。
前を歩くのはベテラン猟師。山菜採り、キノコ採り、杣夫(そまふ:林業従事者のこと)で山に入る猟師は、足腰が強靭。
70歳を超えているとは思えない足取りで登っていく。
僕のようなペーペーは、大先輩の足跡を踏んで歩いていく。
ベテラン猟師が選んだルートであれば、危険な道も極力避けられるし、足への負担も少ない。
途中、無線機で連絡を取り合うリーダー(シカリ)。
途中で垣間見えた沢と山。腰を下ろして休むと、こんな景色が広がっている。
30分くらいに一度、休憩を入れながら山を登っていく。
朝の元気なうちであれば、僕にとっては30分に一度の休憩は少し多いように感じるが、休むときはしっかり休む。仲間こそいるが、山の中では基本的に自己責任なので、休憩も大事な仕事である。
途中、舞い方(熊の位置情報を常に把握している人)からの声が、無線を通じて聞こえた。
「クマ、いたぞー!」
山を登り始めて2時間が経った頃だった。
昨年に比べるとあまりにも早い展開に、少しドキドキする。
「デトグラの一本松のちょっと下の岩場の右あたり…」みたいな、暗号のような言葉が無線で飛び交う。
しかし、マタギ言葉や山のことを少ししか知らない僕にとっては、詳しい位置情報まではわからなかった。
無線での情報を受けながら、熊を囲むような配置(巻狩り)にするために先輩猟師の背中を追いかけ峰を目指してひた登る。
峰に到着。自分の持ち場で静かにクマを待つ。
午前11時頃、撃ち手の班はようやく、見晴らしの良い山の峰まで登ってきた。
撃ち手は双眼鏡でクマや舞い方を探します。舞い方の位置がわかれば、どこから熊や自分たちが見えているのかがわかり、自分たちが配置につく場所もイメージしやすくなる。それに、舞い方の山にもクマがいないかどうかをチェックします。
向かい側の連なる山に、別々の場所に3人、舞い方がいます。
赤枠で囲っている、ポチッとオレンジ色の人が舞い方のうちの一人。カメラで10倍に拡大してようやく撮れた写真です。距離が離れすぎていて、誰かまではわかりません。
僕らがいる山の斜面にクマがいたので、舞い方はクマの居場所を把握しながら5人いる撃ち手のおおよその配置を指示します。
撃ち手と舞い方が詳しい位置を打ち合わた後、撃ち手たちはそれぞれの持ち場まで歩いていく。
僕は、先輩猟師と共に見晴らしの良い峰に配置された。
僕の持ち場から見える景色。
時が来るのをじっと待つ、先輩猟師。
僕たちはクマが山の峰まで登ってきた場合に仕留められる位置、最後の砦となるポジション。
いざというときは責任重大です。
待っている間に昼食を済ませたりもしたが、基本は沈黙。クマに気づかれないようにと足音にも気を使うほど。聞こえてくるのは鳥の声や風の音だけ。
今年の冬にウサギ狩りに行った時に味わった、静寂な森に囲まれた安らぎとはまるで違う。微量ながら緊張感を保った状態。
巻狩りスタート。無線の声だけが鳴り響く。
待ち始めて一時間はたっただろうか…。
「巻くぞー!」
※”巻く”というのは巻狩りの意味。下のイラストのような配置につき、山の下手にいる勢子が「ホイホーイ!」と声を上げ、熊を撃ち手(ブッパ)がいる場所へ追い上げて狩猟をすることを巻狩りと言います。
無線から聞こえてくる巻狩りの合図に合わせて、勢子が鳴り始める。
「ホイホイホイホーーーイ!!!」
下の方から断続的に声が響く。
しかし、無線から聞こえてくる情報では、熊は勢子の声になかなか反応しない様子…。
無線で飛び交う話の半分もわからなかったが、自分の持ち場にも来るかもしれないような情報を聞くたび、ドキドキしていた。
「バーン!」「バーン!」
突如、いくつかの銃声が聞こえてきた。
しばらくすると、「やった!」という声が無線から聞こえてくる。
どうやら、熊を撃ち獲ったようだ。
「あ~、終わったんだぁ…。」
刻一刻と変わるクマの位置や撃ち手の配置が無線の情報から読み取れなかったので、最終的に撃ち取った状況がよくわからなかった。
なので、「クマが獲れたんだー!」という実感があまり湧かなかった。
とはいえ、クマが獲れてホッとした。
クマが獲れれば、すべてが丸く収まるから。
一息ついて、タバコに火をつけ始めた頃…。
「田口!滝の方さ降りてこい!俺らが降りていった足跡があるはけ、それをたどってこい!途中で待っているはけ、獲ったクマのとこまで一緒にいくぞ。」
無線で呼び出された僕は、クマの解体・背負いを手伝うことになった。
山を下りること十数分。
途中、履いていたタカツメが弛んで、結び直したりして余計に時間がかかってしまったが、ベテラン猟師さんと何とか合流。
一緒に山を下っていくと、解体が既に始まっていた。
昼の2時頃だったと思う。
熊の解体とねぎらいの言葉。
70kgくらいのオスグマ。
ツキノワグマといわれるだけあって、はっきりと胸元に”月の輪”がある。
全身の毛皮をキレイに剥いでいく。ベテラン猟師の手つきはなれたもの。
僕も、ウサギやタヌキを解体したことがあったので、なんとなく容量はつかめていたから、少しはお手伝いできた。
毛皮を剥いだら、内蔵を取り出し、血抜き。
お腹の下から突き上げるようにナイフを入れて、お腹を割いていく。
腸・心臓・肝臓・腎臓…様々な部位がお腹から出てくる。
クマの毛皮。結構大きい。
クマの解体をしている時、クマに対し、労いともとれる言葉を掛ける。
「よくここまで大きくなったなぁ~。」
「昨年はブナの実も少なかったのに、こげな脂いっぺー付けて…すんごいの。」
一昔前までは、山でクマを狩ったら、ケボカイといって祝詞のような言葉を読み上げ、一通り解体が終わった後に唱えごとをしていた。唱えごとの意味は、「山の神様への感謝。それと、これからもたくさん獲物が授かりますように」という意味。
現在ではケボカイをやらなくなってしまったが、クマに語りかける言葉は、山の恵みに、山の神に感謝しているようにも聞こえた。
解体が一通り終わったあと、クマを撃った時のこと、クマがどんな様子で行動していたかなどを撃ち手の目線、舞い方の目線で話をし、ワイワイと盛り上がってる。
聞き耳を立てていたが、ほぼ理解できずにいる僕。
うーん、悔しい…。
くまの頭・胴体・手足に切り分けた肉を7人で分担してリュックに詰める。
僕は毛皮とクマの足をリュックに背負った。
ズッシリと重たい。リュックだけで20kgはあるんじゃないかという重たさ…。
歩幅を小さくし、一歩ずつ、足場を確かめるようにしながら、先輩猟師の後ろを付いていき、ジグザグに登っていく。
先輩の後ろを歩きながら来た道を戻っていった。
クマの肉を背負っての登山は想像以上に苦しい。ふくらはぎも悲鳴を上げ始める。
僕の持ち場だった峰まで登ってきて、一休み。
熊狩りを終え、少し安堵の顔を浮かべながら雪の斜面で休むマタギの姿が、なんとも言えずカッコイイ…。
この光景が大好きです。
下山の恐怖。トラバースをしている時に強烈に感じる、”今”を生きること。
山の峰で一服(休憩)をし、3時半頃には下山し始めた。
重さ20kgを越える荷物を背負っての下山というのは、僕の感覚で言えば山を登るよりもはるかに危ない。
下山は厄介だ。
同じ距離を歩いても、登りよりもはるかに早く帰れる。
目的を達成したという安堵感もつきまとう。それゆえ油断する。
下山するたびに、膝上の筋肉にダメージが与えられ、登りとはまったく違う疲れ方をする。
膝上の筋肉が疲労してくると、足が上がりにくくなり、薮や柴に足を引っ掛けるようになる。バランスを崩した片足をカバーしようと、もう片方の足で踏ん張ると、更に踏ん張った足に負荷が掛かる。
転んでしまえば、ただの怪我では済まない可能性も大いにある。
もっと恐ろしいのは、トラバース(山の斜面を横切る)をしなければいけない局面が何回も訪れること。
こんな感じで杖をついて山の斜面を横切っていく。
無理に渡らなくても良いのだけれど、渡った方が早い。よっぽど危なくなければ渡る。
そうして先輩が慎重に、しかし慣れた足取りでスイスイと山を横切っていく姿を見るたびに、僕には緊張が走る。
トラバースする時は、荷物が重たくなっている分、踏み外せば一気に雪の下まで滑落する。
昨年に自分でも経験したから、よくわかる。
滑落すれば、沢に落ちる。
重い荷物を背負っているから、簡単には水面に上がれないだろう。
もしかしたら死ぬかもしれない…。
死への恐怖が頭をよぎり、一歩一歩が緊張の連続。
タカツメを履いていても、ツメだけを信じきることはできない。
雪の斜面に杖を押し当てて身体を支えながら、雪を力強く蹴り、足場を一つずつ作っていく。しかし、斜面に杖で体重を掛けすぎるとかえってバランスが不安定になり、勢いよく滑り落ちてしまうので、杖に身体を預けすぎることもできない。杖一本を使うのが、本当に難しい…。
そうして少しずつ、作った足場に足を掛けては杖を差し替え、前に進んでいく。
けれど、上手に足場を作れるところばかりじゃない。
雪質が固く、上手に足場が作れないところがある。ここに足を乗せるのが本当に怖い。
自分の足首が、斜めに少し曲がったような形で立つことになる。
タカツメのグリップが効かせられなかったら滑り落ちるのみ。
しかし、躊躇し「怖い…」という感情を意識しすぎると、次の一歩が出なくなる。
後戻りはできない。
だから、「ヤバいなー」と思いながらも前だけを見て、恐怖心を少しでも排除しながら前に進む。
この時ばかりは、ただ目の前の斜面を渡り切ることだけに、全神経を集中させる。
帰ったらビールが飲みたいなぁ…とか、あの人にメール送らなきゃな…なんて考え・思いは全て排除される。過去や未来なんてどうだっていい。
生きるか死ぬかの状況では、今を生き抜くためにやるべきことをやるだけ。
そうして今回も生き抜いて帰ってきた。
こういう感覚が、”今を生きる”ということなのだと思う。
「生きている」と強く実感するのだと思う。
とある知り合いの年配の猟師さんで「自分がまだ元気で生きられることを確かめるために熊狩りに行くんだ」と言う人がいた。
その言葉の意味が、少しわかった気がします。
クマ肉の切り分け作業とマタギの勘定。
今回の猟では、よっぽど早く帰ってくることができた。
大鳥に帰ってきたのは夕方の4時半頃だっただろうか。
肩や腰、足腰の疲れを癒す間もなく、シカリ(統率者)の家で熊肉の切り分け作業が始まった。
大雑把に切り分けてきた手足、頭、胴体、内臓を人数分に細かく切り分けていく。
クマのお肉。固いけど、マジでウマいです。
放射能の関係で、市場に出せないのが残念…。
クマの脂身。熊汁にしたら最高のダシが出る。僕の場合は細かく切り分けて油で揚げ、ソバやうどんなんかにいれたりします。
クマのレバー。レバーをあんまり食べない僕でも、あまり炒めすぎないクマ肉レバーは好物。
これが熊のおちんちん。デカい。
切り分けたクマ肉、脂身、骨を人数分で分配し、測りに載せる。
この時は一人当たり3.5キロの肉・脂身に、骨が加えられました。
袋に詰めます。
基本的に全て同じ重さ、肉の量になっているのですが、袋詰めされた後に、全員であみだくじをする。あみだで引かれた番号と、袋の番号を照会し、それをその人の取り分とします。
大鳥のマタギの勘定は平等。
ベテランが行こうが、ズブの素人が行こうが、熊狩りで同じチームに入り、クマが獲れれば、分け前は平等です。
こういうところが、スゴく気持ちいい。
役割によってはめちゃくちゃ山を歩く人もいれば、あまり歩かない人もいる。
鉄砲を撃つ役割の人もいれば、クマを声で追う人もいる。
マタギの世界を体現している人もいれば、次世代に紡ぐ人もいる。
それぞれの役割を全うした結果、一頭のクマが獲れたのだから、得られた恵みは平等に分け合うのだと…。
こうして、昔からマタギの中の絆・仲間作りが行われてきたそうです。
山の中にいると、自分の命を守れるのは自分しかいない。
そう思っても間違いではないけれど、いざという時に助けてくれる仲間がいる。
獲物を獲った歓びを、ビールを飲みながら分かち合える仲間がいる。
獲物が取れなかった悔しさを、ビールを飲みながら語り合える仲間がいる。
金勘定が取り巻く世間の中にも、こんな世界が残っていることをしみじみ嬉しく思います。
せば、またの。
ちなみに、マタギや熊猟の世界観を知るには、この本が超おススメです。食い入るように見てしまいますよ。
マタギのことをもっと深く知る、おすすめ本。マタギの本はいろいろありますが、田口博美先生の本は、間違いないです。