ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

【考察】地域コミュニティーとムラ社会の未来

お金にならないけど、夢中になれることってありますよね。笑

 

ども、田口(@tagu_h1114_18)です。

地域コミュニティーとか、ムラ社会と市場化された社会との兼ね合いとか、非合理となってしまった山村の暮らしの今後とか…そういうのにスゴく興味があって、民俗学とかマタギとか、地域の歴史・文化・慣習とか、いっぱい調べています。

お金にならないけど、ほんとオモシロイです。笑

 

昔ながらの身の回りのものを糧にしてきた暮らしが、今後に通じるものはないのか…、捨てるべきものは何なのか…。動乱の時代に入っているからこそ、改めて人が歩いてきた軌跡をたどってみるのも大事なんじゃないかなって。

まだまだ調べなきゃいけないこともあるし、フィールドワークも必要だし、自分で山の暮らしを体現したいし…。

そういう道半ば…というか、まだ入口に立ったばっかりですが、未熟ながらに考察してみました。

鶴岡市の地域コミュニティーについて考えるとある集まりに入っているのですが、"ご意見お寄せください"的な案内があったので、そちらに出してみた文章です。

短文ではありますが書いてみたので、よかったら読んでみてくださいませ。

 


 

人口が減り、少子高齢化になり、過去から続いていたムラ社会的なコミュニティーを見直さなければいけない時期にきています。それは、昔ながらの閉じられたムラ社会に戻そうという意味ではありません。むしろ、外と繋がり、外を受け入れ、日本人も外国人も共存する多様なコミュニティー。地域で賄われる自給的な側面と、外部と連携し、交易する経済的な側面の双方を担い、互いに暮らしの面、仕事の面でも支え合えるコミュニティーを再構築するという意味です。

 

若い世代と、おじいちゃん世代では、育ってきた時代背景が違います。若者は交通も通信も整った成熟した社会に育ち、どこにでも行き来ができ、どこにでもコミュニティーを作ることができる。自分にとって居心地いい場所や人、モノ、サービスを選ぶことができる。これを市場化された社会と言いますが、この社会で育った若者にとっては、小さな組織で自治機能を持ち、支え合いながら、時にルールで縛り、共に暮らしていくというムラ社会が窮屈に感じる人も少なくはありません。仕事場も市街地のケースもあり、地域に住んでいても地域に対する帰属意識は希薄です。「元あったムラ社会に戻そう!」という意図が見える活動は、かえって反発を生むだけです。

 

市場化された社会への適応は避けられません。つまりは、多様性を受け入れていかなければなりません。「ムラ人になったなら、必ず行事は参加しなければいけない」とか、「反省会の場では女性は男性にお酌をしなければいけない」とか、「ムラ人なんだからあのお店からお酒を買わなきゃいけない」とか。個人の気持ちや考えはさておき、周囲の同調圧力に従わないと村八分だよ…みたいな雰囲気は、閉じた社会の中で秩序を守るために必要だっただけで、現代においては選択の自由を迫害していると同義。

僕の暮らす大鳥地域でも、過去15年間行ってきた大鳥川フェスタは今後辞めようと、春の役員会で決定しました。300~400人も集まるイベントだったが、運営スタッフは大鳥の人が中心。高齢化はしたが、「ムラのことだから…」という理由で強制的にスタッフを地域から集めるということを何年もやってきたが、いよいよ限界がきて辞めた。無理にでも誰かにお願いしないと維持できないような事業は遅かれ早かれ、崩壊すると思います。

 

しかし、ムラ社会の中でも有益に機能してきたモノもあります。例えば自治会組織。これは自分たちの地域の行政的、警察的、文化的な役割を担い、消防団は防災の役割を担っている。これらはムラを形成し、維持するための核となる部分で、地域の色を表すモノです。更に言うと、となりの地域と外観は似ていても、歴史や方言、人柄、苗字、産業、行事、お祭りなど、何かしらの中身は違います。こういった目には見えない、世界中探しても類を見ない地域独自のモノが盾になり、武器にもなる。鶴岡にある黒川能や山伏、在来作物など、これらは全て、その地域の色。地域を維持するために大切な存在であり、それは外の人が見てもオモシロいもの。こういったノウハウやマインドは、次の世代に引き継がれていくべきだと思う。

 

完全に市場化された社会の典型が、東京。あそこまで行くと、地域文化は死にます。そうではなくて、冒頭で書いたような、市場化された社会に適応した、新たなムラ社会の構築が必要なのだと思う。地域らしさを残しながら、インターネットなども使って外と交わっていく。こういう未来が10年後、20年後にはもっとくっきりと見えてくると思います。現在、鶴岡が推進している食文化や伝統産業の再構築で世界に認められている背景には、『後ろを見ながら前に歩いて』きたからだと感じます。ノスタルジックに浸らず、過去に学び、時代に合わせて現在版へ再構築する。そういう作業が時代の変わり目である現代には必要なんじゃないかと思います。


 

せば、またの。

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