ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

誰にも言っていない、僕が地域おこし協力隊として山形に移住した本当の理由。

2015/08/10

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大鳥に来て2か月が経ちました。

本当に有難いことに。鶴岡市内の方にも知り合いが増えてきて「なんでここに来たの?なんで地域おこし協力隊になったの?」と聞いて貰えることも増えてきました。

理由をお話する時は結構省略しがちに話をしますが、今回はブログなので鶴岡市の地域おこし協力隊になった背景をありのままに書いていきます…

書き終えてみたら6,000字を超えていて、読むのに10分くらい掛かるのですが、今回はいつも以上に本気です。笑

何も省かずで書いてみたのでゆっくり読んでもらえると嬉しいです。

これからの時代の働き方・生き方に対する疑問

僕が大学生の時にはJALは潰れるわ、リーマンショックで就職氷河期が再来するわで、若い人の頭は金融系や商社みたいな『安定』に傾いていた。

至る所で公務員や大企業を志望しているみたいな話を聞いたし、「それがベストじゃないにしても、ベターなんじゃないか?」みたいな風潮があった。
僕も大企業にはエントリーしたし、世界的に有名な大阪のエアコン会社の最終面接までいった時は正直興奮した。あっさり落ちたけど…笑

 「一年留年もしているし、これ以上親にも迷惑かけられない!とりあえず決まってくれー!」みたいな感じでひたすら動いて8月に内定貰った会社に行くことを決めた…

就職が決まった後は、経済についてバカなりに勉強した。

 

かつて世界2位に君臨した日本の姿は既になく、BRICSなどの新興国市場へ世界全体がシフトしていく中で、これからを生きる日本の若い人たちは、今と同じ仕事・働き方でいいのかどうかが疑問だったから…

 

おばあちゃんに囲まれて感じた、幸せな80歳。

就職活動を終え、ほっと一息ついた2010年8月。9年前に亡くなったおじいちゃんの墓参りをしたいと思い、4年ぶりに母方の実家山形に帰った。その時の僕は22歳。

行く前におばあちゃんに連絡を取った時、『東根温泉に友達と一泊しているからおいで。』と声をかけられ、教えられた宿の名前とガラケーの地図を頼りに宿に向かう。
東根温泉の大きな看板をくぐり暫く歩くと、言われた宿の名前の看板を見つけた。

 

「こんばんわ~」

ドスッとボストンバックをおろし、少しうつむき加減でフロントの椅子に腰を掛けていると、旅館の女将が出てきて、部屋に案内された。

「よぐござたなっす!」

おばあちゃんはコテコテ山形弁だけど、この言葉だけは理解できる。

既に風呂も食事も済ませた後で、20畳はある部屋に8人のばーちゃんたちが、リンゴの皮を自前のナイフで切り分けながらじゃれ合っていた。

切られたリンゴを頬張りながら、若いだけで無駄にモテるという感覚を久しぶりに味わっていた。

なんだか修学旅行に来ている気分。

布団を敷きながら「ワタスはここで寝る!」と陣取り合戦を始めたり「ちょっと暑いから着替える!」といい堂々と目の前で着替え始めたり。

 

80歳前後のおばあちゃんたちが過ごしているその時、その空間が、たまらなく幸せそうに見えた…

 

80歳を超えてもそんなに笑っていられるんだ!』

 

僕の中では80歳過ぎたじーちゃんばーちゃんって、歳いって体が動かず、同じことを繰り返し話すし、ボケて喋ってる内容が良くわからないようなイメージがあった。

でも、山形のばーちゃんは今でもチャリに乗って畑に行き、クワを持って土をいじり、脚立に上ってサクランボを収穫する。

東京で一流の社会人になって、定年まで沢山稼いで、それから第二の人生遊ぼう!みたいなのが更に疑わしく思えてきていた。
それどころか死ぬまで楽しく働いていた方が幸せなんじゃないかな~…って

 

社会人一年目から転職希望・海外志向

2011年4月から電子部品メーカーの営業として働き始めた。

でも、一つの場所にずっといるのは職場に埋もれて外が見えなくなるという漠然とした不安。

それと、フィリピン留学に行った時に「これからはアジアだー!」と思っていたので、入社する前から3年以内に会社は辞めることは決めていた。

仕事をしながらも市場の変化も見ていた。
日本から中国・タイ・ベトナムへの生産場所のシフトがリアルタイムで起こっていたし、価格競争に耐え切れず同業他社は潰れていった。

 

そんな状況を見て『日本の若い人は間違いなく一度は海外で暮らした方がいい!と考え、動きだした。

 

JICAの海外青年協力隊の説明会、MBA留学の説明会、ワーキングホリデーの説明会、海外企業家のセミナー、旅をしながら仕事をしている人のセミナー、世界一周の旅をしてきた人のセミナーなど、海外と仕事に関わるものについてアンテナを張りまくっていた。

海外をこれから働くステージと考える若い人に対して、実際に動き出す為のサポートできるようなことを最終的に仕事にしたいと思い、留学⇒ワーホリ⇒海外で仕事⇒独立という道を考えていた。そこに市場があるし、何より情熱が注げることが出来た。

 

具体的に言うならば、太田英基さんのフィリピン留学口コミサービスSchool Withや、もりぞおさんの海外就職研究所みたいな仕事。

その為の一応の準備資金も3年で用意できる見込みで、毎月10万くらい貯金し続けていた。

けど、その構想はヒッチハイクがキッカケでベクトルが変わっていく…

 

ヒッチハイクで出会った師匠、萩原さんの存在

2012年のGWは9日間の休みを使って「やったことないことにチャレンジしたい!」という思いでヒッチハイクを試みた。

ボードを掲げ、話をかけ続けたこと12時間、やっとこさ乗せてくれたおじいちゃんが、65歳の萩原さん。

大阪で植木屋をしていながら、仕事が閑散期に京都の福知山というところに山小屋で山菜を採ったり米を作ったり小屋を作ったりして生活をしている方。

「何その生活?!めちゃ面白い!」と思い、早速山小屋に連れて行ってもらった。
山に囲まれながらワラビやタケノコを一緒に採り、畑で採れた野菜と一緒に食べた時に直観として感じた。

 

『生きることに直結するような生活がこんなに豊かなんだ!』

ヒッチハイクが終わってからも、仕事の合間をぬっては何度も何度も萩原さんのところに遊びにいっては色んな話をした。

子供・孫と一緒に山小屋でBBQをしたこと。

山小屋と山の土地は知り合いから譲り受けたものであること。

福岡正信という自然農を伝承していた人に強く影響を受けていること…

萩原さんという人を知れば知るほど好きになって「弟子にしてください!」と言ったこともある。
※認められなかったので、勝手に師匠と呼んでいますが…笑
でも、話をする中で福知山の地域でも過疎が進み、限界集落を迎えていることを僕に話し始めた。

 

「伝統としてあったお祭りも無くなり、人もドンドン都市に向かっている。こんな素晴らしい環境があるのに寂しい。田口さん、一緒に山おこしやらないか?」

その一言が胸に刺さった。

「何とかしたい!」と強く思った。

けど、僕にはお金も知識も経験も無い。
丸腰で飛び込むのが怖くて具体的な行動は何一つ出来ないでいた…

 

地域おこし協力隊?何それ?美味しいの?

『やまおこし』のことが頭の片隅に残ったまま海外に行く準備を着々と進めていた頃。

ワイン会という社会人サークル?で仲良くなった友達が、東京から岡山県の西粟倉村に最近移住したと聞いていたので、遊びで西粟倉までワインを飲みに行った。

 

その友達はシェアハウスを運営しながら地域に根付く活動のスタートを切ったばかりで大変そうだったけど、住み始めた西粟倉村を丁寧に案内してくれた。

西粟倉は、廃校を殆どそのまま利用して森の学校という間伐材を利用した木材加工品を作っている会社が最近スタートし、僕より若い大阪出身の女の子がそこで働いている。

また、地震災害が少ない村として、3.11以降に移住してきた人が増えてきていた。

「若いのになんでこんなところで?」と思っていたけど、雇用という受け皿があるし、育児目的で移住してきたことを聞くと、少し頭の整理がついた。

鳥取県八頭町というところで地域おこし協力隊として働いている女の子も紹介して貰った。

 

そこで初めて地域おこし協力隊という制度を知った…

西粟倉で出会ったのは、実際に田舎に移り住んで働いている人、しかも若い人たち。それぞれに目的があってやりがいをもって、生きがいを持って生きていて、なんだか羨ましかった…

この出会いがキッカケで『今の若い人にとって、生きるように働ける場所が田舎にあるんじゃないか?』という仮説を建てることになる。

 

実は、岡山にいきたかった。

その後、西粟倉村の隣の美作市というところが地域おこし協力隊を募集しているのを知って、仮説を深堀りする為に今度は美作市を訪れた。

2013年に美作市が募集していた地域おこし協力隊は5つの地域で7人。

 

事前情報として既に実績を上げていて有名な梶並地区の山村シェアハウス上山地区MLATの棚田再生事業があったし、村楽LLPという地域おこし協力隊のプラットフォームを形成している東さんという方がいて、人にかなり恵まれている環境。

そんな方々と遠からず近からずな位置で関われると思い、東粟倉・小房地域というところを2日間、アポなしでリサーチして回った。

始めは何もないところから『地域おこし協力隊』を切り口に歩いている住民、個人商店から情報を集め、拾った情報をキーワードに数珠つなぎに人を紹介してもらい、おもちゃ村、地元の温泉施設、農家民宿、最後には地区長さんのお宅にまでたどり着く。

そこには50歳以上の人でも今の地区の状況をつぶさに把握し、問題意識を抱え、前向きに地域おこしに取り組んでいる人たちがいた。

 

初めて出会った人がスキルも何もない僕を必要としてくれて嬉しかったし、『協力隊にも協力してもらいたいしゼヒ頑張って来てほしい!』というお話まで頂き、「これしかない!」と思えた。

地域おこし協力隊になりたいという想いが確信に変わっていくようだった。

関東に帰ってからは拾った情報の中から自分ができること具体案を整理し、美作市の地域おこし協力隊になるために書類審査・面接の準備を始めていった。

友達にも「俺、岡山行ってくる!」と宣言し、次の行先がまだ確定していない2013年2月初めの時点で会社に3月末で退職する意思を伝え、受理されていた。

それぐらい自信があった。

結局は岡山へ行けなくなってしまうのですが…

 

行けなくなった岡山、待っていた山形。

田舎で感じたマンパワー不足。

都会への人口流出が絶えない中で、村の将来を作っていくことが難しいと感じた僕は、地域に住み込む魅力を感じて貰いながら生きていく手段(仕事)を掲示する『山村留学』というのを考えた。

1週間~1か月のある程度長いスパンで体験的に住み込みながら、農作業の手伝い・草刈りなどで賃金を稼ぐことを実践して貰いながら地域行事に参加する。それプラス、地域の不動産情報や耕作放棄地の情報、仕事の情報、生かせる資源の可能性などもその場で共有していける仕組み。

 

精神的にも経済的にも田舎に住めることをイメージできるようにして、そこに住むことを将来のプランに入れて貰えるようなサービスの提供…

先ほど紹介した山村シェアハウスが、山村ワーホリという形で既に仕掛けている。ニッチかもしれないけど、そういうニーズは存在していることの証明。

地域によって特色も人も違うので、受け入れ態勢を整えてあげればそこに価値は生まれると思った。後々のマネタイズも考えていた。

やったことが無いので根拠は無いけど、『これは絶対いける!』と思って、その提案を武器に美作市に応募したら書類審査は通ったので面接に挑んだ。

 

が、結果は不採用…

 

「マジありえねぇ!!!」

 

美作市の地域おこし協力隊になるために、岡山に行くこと計3回。

使ったお金:約8万

使った時間: 岡山滞在時間:合計6日 準備期間:2週間

「時間と金を返せ~!」

 

なんて言っても結果は結果。
来年まで待っていられないので次に行くことにした。

実は美作市と同時進行で、僕の生まれ故郷の山形県も受けておこうと思って鶴岡市に応募していたんです。山形には小さいときから何度も連れられてきてよその田舎よりも想い入れが強いし。

 

鶴岡市との出会いは総務省のJOINのイベントで、全国の地域おこし協力隊を募集する自治体からの説明会が東京で開かれた時。

受け入れ先が大鳥ということと、自然の家があることだけはネットで調べていたけど、岡山にリサーチをしに行くだけの時間も無かったので、それ以外の情報は皆無。

 

だけど、山形に対する思い、田舎に対する思いをひたすらぶつけたら想いが通じたのか採用して頂けました。

面接なんて何が良くて何が悪いのか、良くわかりませんね…笑

この先どうなるか全然分からないけど鶴岡市でスタートを切った今はただひたすらに、がむしゃらに動くだけ。

地域おこしのこれから

人口減少で、このままいけば廃村が益々増えていくと国土交通省の資料に書いてあります。

今の都会的システムじゃ稼がないと暮らしていけないし家族を養っていけないので出生率は低いまま。2050年には9000万人になると言われています。

 

日本が潰れたりしない限り、革命のような劇的な変化がもたらされることも無いと思う。

だからゆっくり日本人口が減るし、残念だけど廃村は増えてくると思う。

海外シフトはドンドン加速しています。

格安航空券が出てきて海外に驚くくらい安く行けるようになった。

 

語学を学ぶんだって、フィリピンやフィジーの英語留学を使えば安いし、インターネットでも格安で英語のレッスンが受けられる。

海外へのハードルはドンドン下がってきている。

アジアのマーケットはまだまだ成長していくし、日本にある仕事はアジアの易い労働力に取って代わっていく。

 

今のままであれば、更に搾取されていく人が増えていく。

 

でも、100年後に日本が無くなると思いますか?

 

それは無いと思います。

海外シフトがある程度行き着いたら、日本の食や、地域の伝統文化が見直されていくんじゃないかな~って。

昔の日本人は大地に根を張って、山や海と共に暮らし、文化を築いてきた。

お茶であれば茶道。書き物であれば書道。生け花であれば華道。

普段の生活を洗練し、文化にしてしまう力が日本人にはある。

 

環境もそう。

一度山に入れば世界一キレイな水がそこら中に流れている。その水を受け、田んぼや野菜を育てているから美味しい。

海にいけば、生で食べられるような魚がウヨウヨいる。

 

いくら海外から安い野菜や米や魚が入ってきたって、スーパーに行けば国産のモノが大半を占めているのは論より証拠。

そんな日本の中で生きている僕たちは、きっと世界中に通用する力を持っているし、世界が羨む環境を持っている。

 

だから、日本の地域が見直される未来が来ると信じて、世界の中の日本、日本の中の山形、山形の中の鶴岡、鶴岡の中の大鳥と、本当に小さな小さなところではあるけれど、地域に人が住めるようにするための土台作りを少しずつしていきたい。

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