ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

20年後に島民が全滅しないために仕掛け続ける合同会社とびしまの、したたかな地盤固め戦略と持続可能な自治組織への再構築。

2019年3月21日に、山形県鶴岡市にある慶應先端研究所レクチャーホールにて、「地域未来フォーラム~地域多様性でいこう~」が開催されました。地域づくりの現場では世代や地域を越えて折り合うようなプロセスが必ずといっていいほど必要ですが、その経験知の共有を目的として、現在進行形で活動している合同会社とびしま、朝日地区南部自治振興会、鶴岡市大鳥地域の3地域からトークセッション形式で聞かせていただいた。

ここではセッション①で、「若者の躍進」と題し、合同会社とびしまの松本友哉さん、渡部陽子さんに、飛島での取り組みや、現在に至るまでの地域での出来事などのお話を伺いました。

※この文章は、本イベントの企画者でもあるSukedachi Creative 庄内が執筆をしています。

登壇者プロフィール

合同会社とびしま 

松本友哉さん<Iターン>写真左

1988年山口県の田舎生まれ。高校に入ってからようやくクラスというものを体験する。高校卒業後は都会に憧れて大阪の大学に入学し建築やデザインを学ぶ。就活の時期になってもその気になれず、今度は田舎に憧れて農山村に1カ月間滞在する。滞在中に田舎で活躍するデザイナーになることを決意。2012年、大学卒業後に縁もゆかりもない山形県の離島、飛島に移住。現在は、合同会社とびしま副代表として、デザイン・企画等を担当している。

 

渡部陽子さん<Uターン>写真右

1984年飛島生まれ。潮風に吹かれ、魚介類を山ほど食べて育つ。高校進学のため本土(酒田市内)へ移住したが、大学在学時は様々な形で飛島と関わり続けた。大学卒業後は市内で就職。2010年、市内のNPO法人に所属し、業務により再び島に関わることになる。2012年、しまcafe(現:島のカフェスペースしまかへ)の開店スタッフを担当したことを機にUターン。現在は合同会社とびしま役員であり、会社が経営する旅館の女将を務めている。

ファシリテーター 西直人さん

2006年リードクライム株式会社を起業。主たる業務は、まちづくり・観光・環境教育に関するコンサルティング、計画作成、ワークショップデザイン、ファシリテーション、技術者・指導者の養成など。杏林大学観光交流文化学科「イベント・コンベンション論」「ファシリテーション論」講師。2016年、鶴岡に移住し、仕事場を庄内と東京のダブルローカルにして3年目。

 

飛島の概況

  • 山形と秋田の県境の約40 km沖にある
  • 面積2.75K㎡、周囲が10kmくらいで、歩いて回っても半日ぐらいで回れる大きさ
  • 人口約190人、平均年齢70歳
  • 基幹産業が漁業と観光業。漁業はトビウオやイカ、マグロ、ズワイガニなどが獲れる。
  • 日本海の暖流の影響を受けていて比較的山形の中でも暖かい。雪は10cm積もらないぐらい。
  • 南と北の植生が入り混じっている特徴的な場所
  • 鳥海山と飛島が日本ジオパークに認定された
  • スーパー、ガソリンスタンド、信号機が無い。

 

合同会社とびしまの取組み

松本さん

皆さんこんにちは。 飛島から来ました松本と渡部です。私たちは合同会社とびしまという会社をやっています。2013年に設立して、今年度では社員10名で運営しています。年齢的には今年度新卒の子が入って、下が22歳から上が代表の37歳まで。この春から約3名のスタッフが増える予定です。

会社がどういう考え方、理念でやってるかということを説明すると、よく地域づくりとかで六次産業っていうことで一次産業から三次産業まで総合的にやるっていうのがあると思うんですが、私たちは0次産業というものを作ってやっています。0次産業というのは、風景の保存・継承のことです。風景というのは、島の自然とか歴史とか文化のことです。会社で人を増やさないといけない時に、お金を稼ぐだけならそんなに難しくないかもしれないけれど、飛島でパチンコ屋を作って儲かってもそれでいいのか、と。島の風景が続いていかないとビジネスやってても意味ないんじゃないかということで、産業になりうる前の産業ということで0次産業を、風景を大切にしたいというのがベースに在ります。

それぞれの産業で何をやっているかというと、0次産業の一つが自然事業。島内のほぼ全域の草刈りを年三回、会社でやっています。あと、重機を使って除雪をしたり、海岸清掃したり。自然に関わる事業をやっています。歴史・文化事業としては、会社の事務所のギャラリーで日常的に島の方々の聞き書きや写真の展示をしたり、飛島の昔の事をまとめた書籍を出版したり、昔の話を絵本にしたり、という活動をしています。それと、生活・暮らし事業として、簡易水道施設、ダムとか上水道の管理をやったり、飛島で行われる事業の事務局をやったり。暮らしに関わる事業をやっています。

一次産業は漁業で、今は島の漁師の手伝いをするくらいですが、昨年度に私が島の漁業権を取得したので、これから新しい漁業者を作っていきたいなというところです。二次産業としては、島のちっちゃい空家を改修して加工所にしています。島特産の塩辛だったり、最近では島に団体ツアーで来られた方に、弁当の予約販売をしています。最後、三次産業はサービス業ですが、これが一番大きな比率を占めています。港近くの”島の駅とびしま”というお土産屋さんを運営したり、Webショップをやったりしています。飲食事業としては、春~夏に”しまかへ”というカフェをやっていて、あと本土側、酒田市外地で炭火焼を提供する居酒屋をやっています。今、本土にもう一軒お店を準備しているところで、そこは日本酒と寿司のバーになる予定です。で、宿泊事業としては沢口旅館という、島の70代80代のご夫妻がやっていた旅館があって、そこの経営がそろそろ難しい、ということで会社で引き継いで改装して。今度2年目を迎えるところです。あと、ゲストハウスも準備中です。最後に観光事業ということで、島のガイドをしたり遊覧船の運営をしていたりします。これも春に旅行会社を立ち上げて、宿泊もあるのでソフトも作って、プログラムも作って全体で島をパッケージしていきたいなということも進めています。

こんな感じで色んなことをやっているのですが、私たちの会社が目指す20年計画というのがあって、今平成30年で人口が200人、平均年齢70歳、うちの社員が10人います。平成換算した場合、平成50年になると平均年齢90歳となると、人口はゼロになるというのは変わらない事実かなと思います。それまでに島の若者、というか社員を100人まで持って行きたいというのが目標です。なので、合同会社ということで会社を立ち上げたのですが、あまり法人格にこだわりはなくて、”100人のコミュニティーを作りたい”というのが大きな目標です。ただコミュニティーを作るんじゃないて、これからも島が残っていくような持続可能な、これから未来もずっと残っていくような新しいコミュニティーを作りたいというのが、考えていることです。

あと、会社の特徴的な取り組みを紹介すると、三か月有給休暇制度というのを今年度から実験的にやっています。どういうことかというと、一年を4期に分けて、そのうちの1期分は有給。三か月まるごと休みだけど給料は貰えるという制度にしています。この3か月間は島にいてもいいし島外どこにいてもいいし、遊んでもいい。副業してもいいし、何してもオッケーにしています。この取り組みが朝日新聞に載って、それがYahoo!のトップニュースに載ったことがあって。これに載ると、アクセスがものすごい数になって、コメント欄もめちゃくちゃ荒れて。その夜は寝れなかったですね。インターネットは恐いなって思ったんですが、200人のちっちゃい島でも全国に何か提案できるんだなと思いました。

で、最後に宣伝です。先ほどゲストハウスを作ると話をしましたが、ただ作るだけじゃなくてクラウドファンディングでみんなで作りたい、ってことでやっています。これにアクセスしてもらうと詳細がわかるのですが、ザックリ言うと、一年前に100人の島民を作ろう、と考えた時に、飛島で掛かっている税金の額を調べました。例えば10億円だったとして、会社を100人雇うだけのお金を稼いでいても飛島全体が赤字だったら全然意味ないなって思って。飛島は100人とか200人の税収ではそもそも成り立ってなくて、島の魅力を発信するのも大事だけど、島の現実、本土の皆さんのおかげで飛島って喰っていけている、というのを発信したいなっていうことでゲストハウスをやっています。全国の人に飛島のリアルを知ってもらうことが最終目標ですが、最初の入り口としてゲストハウスをやっていて、料金が年間1万円払うと、月3泊まで泊まり放題。年間1万で年間36泊まで無料になります。もし年間3万円払った場合は月14日迄無料なので、年間168日。年間3万円払えば飛島に居続けられる。そんな感じでゲストハウスを取り組んでいるという状況です。

 

風景の保存が一番大事な事業。

西さん

私の方から補足的にツッコミを入れていきたいと思いますが、まずはこの0次産業の発想がどこからきたとか、その理由とかを、もうちょっと聞かせてもらってもいいですか?

 

松本さん

来てくれるお客さんって、島の文化とか風景を見に来ていて、それを壊しちゃうと旅館が成り立たなくなっちゃうし、風景があるから僕たちも仕事が出来ているんじゃないかなってところじゃないかなと。

 

西さん

4ではなく0にしたのはなぜですか?一応公共的な収益を上げる事業だから?すべてのベースだから?

 

渡部さん

1じゃなくて0っていうのは、もともとその土地にあるものとか風景とかそういう意味を含めて0です。

 

島で100人の雇用は現実的に無理だから、本土にも拠点を作る。

西さん

3次産業の方で言うと、酒田の方で精力的にお店を出そうとしていますが、島の外に出て行く意味とか戦略みたいなことをちょっと補足してもらえますか?

 

松本さん

100人という風に言っているんですが、実際に島で100人の雇用を作るってのはかなり難しくて。現実的には50人島内スタッフと、もう50人は本土側。酒田に限らずですけど。つまり、どっちにも行けると言うか。飛島の学校がこの3月でまた休校になったのですが、あとはお医者さんぐらいしかないので子育てが無理なんですね。もし子供が産まれて子育てとなった時に飛島からさようなら、ということではなくて、島外に飛島の人として働ける場所があれば、また子育て終わったら島に戻ってこれるというか、そういうサイクルを生みたいと思っています。

 

西さん

持続可能なコミュニティを実際を作っていくとなったら、そのプラスアルファで医療とか教育も視野に入ってくることもありそうですか?

 

松本さん

それが4次産業ってやつですかね。

 

暗黒の時代 3~4年を掛けた地道な関係性作り

西さん

今日の”前向きな地域づくり”というテーマで、その中でも第1セッションは”若者の躍進”ということをテーマにあげています。今はものすごく活躍されてるように見えますけども、ここまで来るのにやっぱり7~8年かかってるんですよね。今は1次産業、2次産業、3次産業って沢山のことを取り組まれていてスピード感もあるようですけれど、これらを始める時、地元の方々とどんな風に折り合いをつけたのか、とか関係性を作ったのか、とか。もしくはこっちは丁寧に関係性を作るけどこっちはやっちゃえ、みたいな。そのあたりの話を伺えますか?

 

松本さん

飛島に入った当時、若者も全然いなくて、島の人も何を喋ってるか一言も分からないし。そういう状況の中で今会社が出来ているんですが、やっぱり暗黒の時代みたいなものがあって。島の人はそもそも島の未来なんて信じてないし、「大学出て何でこんなとこいんだ?さっさと外に出てちゃんとしなさい。」みたいな話が最初あって。そういう時期もありながら島の人と関係を作っていく、みたいなところは、最初の3~4年とかは特に相当やっていると言うか。今こうやって派手感ありますけど裏ではいろいろ苦労はあります。

 

渡部さん

私はUターンで来て一緒に会社を作って飛島に住んでいますけど、中間的な立場になることが多いです。実家も飛島にあって、両親も現役で漁師をしているんですけど、会社のことだったり、会社でこれからやろうとしてることだったり。家の人は直接我々に聞くのではなくて父親・母親に聞くんですね。そういった面では私ともう1人、Uターンのメンバーがいるんですけど、その親がクッションになってくれたというのはあります。経験として。

直接降りてこなかった苦情なんかも、親が受け止めてくれて、「こう言ってたよ」っていう風に言ってくれたりとか、「もう少しこうした方がいいよ。」とか。地域の人の代わりとして親がいてくれた、という関係性もあります。あと、Uターンであれば、それまでの地域の人との繋がりがあってどこの地域もそうだと思うんですけど、○○派、××派って分かれる中で、Iターンの役割っていうのがすごく大きくて。何も島のことを知らない人がポッと入ることで凄く緩和剤になって、Uターンの私に言わないことも松本君には言うっていうことがあって。そういう風に関係が出来てきたなーっていうところもあります。

 

西さん

UターンとIターンの人がタッグを組むって、メリット大きいですか?

 

松本さん

すごいあって、私はすごく無責任な男なんで突拍子もないことを言うんですけど、そうすると何かしら意見があった時に多分一人だと勝手に悪い噂が固まってきていつかボン!って来るんですけど、それを徐々にUターンの人が家族から聞いた話を教えてくれると、ちょっと4月は静かにしようかなーとか調整ができる。もうちょっと置いてからにしようかなーとか。

 

西さん

実は事前打ち合わせをさせて頂いて、午前中とびしま、午後大網の方々とお話をさせて頂いたんですけれど、どちらも現在に至るまでに「何をやってるかわからん」みたいなことを言われたことがある、というのが共通していて面白いなと思ったんですね。その意味で、新しいことを始める時に地元の人に説明したり協力を求めたりっていう、そういう時の引き出しってどんなものがありますでしょうか?

 

松本さん

そうですね。私はそんな話さなくてもいいから、っていう派なんですけど、何かやっぱり一緒に動かないといけない場合は祭りの呑みの場でしこたま呑んで、ぶっちゃけた話をしてで手を繋いだところを写メで撮る…っていうね。

 

(会場笑)

 

渡部さん

松本君はそういうやり方なんですけど、私は島の人もやっぱり頼られるのがすごく嬉しがるので、それぞれのキャラクターがあってこの分野はこの人を頼ろうとか、祭りとかもそうだし、暮らしを共にすることでその人との繋がり方を。

 

松本さん

そうですね。誰かがどう引き出すかっていうよりも、前から仲良い人がいるんです、各社員で。私が得意な人たちと、渡部が得意な人たちが全然違って。私はどちらかというと猛獣系が得意なのでそういう人に言わなきゃいけない時は私が行く。もっと繊細なおばあちゃんとかだったら渡部がいったり。役割分担ですね。

 

会社・島を去る人の共通点

西さん

あと、事前打合せの時にもう一つ印象的だったのは、残念ながら島を離れる人になんとなく共通項がある、という話があったと思いますが。

 

松本さん

そうですね。やっぱり会社を辞めた人が何人かいて。共通項としては、飛島って物理的にも閉鎖的な場所、というのもあるし、今は3ヶ月有給をやっているからいいけど、1年中飛島にいると就職活動もできない。次のことを考える暇もないし、スキルも身に付けるのも難しい、というのもあって。こんな島にまで来て何やってんだろう自分…となる瞬間が、誰にでも絶対あります。その時に続けられる人は、やっぱり人生の中の大きな目標があって、「今はその目標のために飛島でこういうことやってるんだ!」と思えない人はいつか辞めるかなって思います。

 

西さん

渡部さんも同じくそんな感じですか

 

渡部さん

そうですね。やっぱり息を抜くところがないので、会社がどうしてもその20代30代の仲間が集まりになるわけなので、友達みたいなものもいないような空間で。そういう人間関係とか人との関わり方がちょっと苦手な人とかは、助けるようにはしていますけど、どうしても難しいなと感じるところがあります。

 

持続可能な自治体に必要なのは、流動性と個々の専門性、それに島人らしさ。

西さん

いろいろ苦労されながら関係性を作ってきたりして今があって。先ほどの、持続可能な新しい自治体を作りたいというところを少し補足してもらいたいのですが、自治体と持続可能な自治体って何が違うんですか?

 

松本さん

人の流れと水の流れは似ていると思うんです。水も溜まってると腐っちゃって駄目になってしまうみたいに、組織とかコミュニティーもうそれがあると思っていて。なので、常に人が流れてないといけないので、今はなんか定住を求めるべきじゃなくって、「好きなだけ来て、いつどこに行ってもいいよ」くらいのスタンスで受け入れ側は流れを作ってあげる。3ヶ月有給とかもそういうところがあって、3ヶ月有給にすると普通に就職活動ができちゃうんですね。でも、そうやったほうが今は人が残って持続可能になっていくのかなっていう風に思います。

 

西さん

流動的ということですね。それはどういう人材とか役割が鍵を握るんですかね?

 

渡部さん

今いるメンバーで足りないなーと思うところは個々の専門性かなと思っています。

 

松本さん

専門性とかキャラクターの濃さは大事だと思っていて、島の人たちはみんなキャラクターが濃いんですよね。そうするとやっぱり外から来た人もなんか「この人たちなんかヤバい!とか面白い!」っていう風になるんですが、今の70代の人たちが20年後にみんな死んじゃった時に、我々が40~50歳になった時に、島の人たちの生き様とかキャラクターとかっていうのをちゃんと自分たちが演じれるのか、っていうのが課題としてあって。それはスキルでもあるんですけど、もうちょっと生き様みたいな、価値観みたいな。明確にこう持てるような人材が地域では必要かなって思います。

 

西さん

新しいコミュニティ、自治体っていうのが出てきたとしたら、まさに既存の自治体と言うか行政とはどういう関係性とか、どういうパートナーシップみたいなのが求められるんですかね?

 

松本さん

それは皆さんと考えていきたいっていうのがあるんですけど…。既存の自治体って古いシステムがいっぱいあって機能してないし、なくなるとか破綻する自治体が出てくると思うんですよね。そうやって新しいものがコミュニティ機能として実際のものになる場所もあるだろうし、折り合いをつけて一緒に役割分担するところもあるだろうし、内部から変えて新しい自治体作るところもあるだろうし。

 

渡部さん

今は人がいっぱいいた時からある自治体の形を守ろうとして、今ギリギリ頑張ってるところで、その形を変えないと自治体としては難しいかなと。

 

これから前向きな地域づくりを取り組む人たちへ

西さん

今回の話のまとめになるかもしれませんけども、事前打合せの際に当日会場に来てる人たちに「ここは真似した方がいいよ」とか「ここは自分たちで考えた方がいいよ」っていうところ何かあります?って聞いたら、「それぞれ考えることですけど、一つあげるなら会社作った方がいいよ。」ってことを仰ってましたよね。

 

松本さん

会社と言うか、法人みたいなのを作るべきで。任意団体でもダメだと思うんですよね。その理由は、基本的にやっぱり個人でやるとダメなんですよね。皆でやらないと、ある程度の数のチームとしてやらないといけないっていう意味で団体を作った方がいいってのがあるんですが。任意団体だと趣味になっちゃうんで。サークルみたいになっちゃって、覚悟やリスクないところでやっちゃうところがあって。それはやっぱ会社を立ち上げて銀行から借金してやっていかないとうまくいかないっていうことです。

 

西さん

会場にいらっしゃる方々で、今後受け入れをしたい人たちに対してヒントとか、自分たちが入ってきたことを思い浮かべながら何かアドバイスをするならどんな言葉ですか?お二人それぞれ一言ずつ伺ってもいいですかね?

 

松本さん

「呼びたいと思っている人の顔をちゃんと受け入れ側が理解しているのか?」っていうのがあって。自分たちのコミュニティーに足りない人材を分かって外部人材を呼ぼうっていうのがあって。何が足りないのかを先に知っておく必要があるっていうのがありますね。あと、なんていうか、自分が理解できるような人材だと新しい事って起こらないと思うんで、訳が分からない人が来て訳分からないことやっていても、それが可能性なんじゃないかなって思うので。そこは誰か来ても温かくして欲しいな、って思います。

 

渡部さん

外部の人に来てもらった時にどうしても地域の人と距離があると思うんです。その結び役をちゃんとしてあげること。呼んだことに責任を持って最後までその人のことを見ててくれること。放置しないこと。その人が大変な時には最後までフォローして見守ってあげることですかね。後は住環境ちゃんと整えてあげることですかね。重要だと思います

 

島との関係が切れるテープ

西さん

じゃあせっかくなので企画者の”すけだち”さん、なにか聞いてみたいことがあれば是非。

 

企画者 すけだち

さっきの話の中で島を離れていった人、就職して辞めちゃった人もいるという話でしたが、飛島を離れても何かしら関係性を持っているのでしょうか?

 

松本さん

繋がりが続いている人と続いてない人の両方いて、うちの社員だけじゃなくて島に住んだ学校の先生とか郵便局の局員の人とかたくさん何にも船でテープカットして見送ってきたんですけど。そもそも島から出ちゃうって、同じ酒田市に住むにしてもなんか”終わった感”があって。あのテープカットは本当に辞めたほうがいいなぁって。

 

渡部さん

テープカットじゃなくて、船と岸壁をテープでつないで見送るやつね。

 

松本さん

綺麗だけど、絶対良くなくて。ああやって飛島から出たら、もう飛島の人じゃないっていうことじゃなくて。飛島に少しでも関わったんだったらみんな飛島がインプットされてるんだよっていう。そういう仕組みがたぶん必要で。それでまたゲストハウスもやるんですけど。気持ちの問題だけだったらやっぱり連絡を密に取り合って、ってなっちゃうんで、なんか多分年間1万円を払ってもらっていつでもとびしまに戻れるような、そういうシステムを作っておけば2~3年連絡つかなくてもまた来てくれたりとかあるのかなと思います。それに結構、飛島から出た人達とたまに飲んだりとかって、東京であったりしますね。

 

「一生ここ住むんだろ?」という”地域の圧”に対する本音と覚悟。

西さん

さて、会場の皆さんからここまでのお話からもう少し補足してほしいなとか、質問だったり。私の方はこんな感じでやってますけど、飛島と違うけどどうだろう、みたいな意見交換でも構いません。いくつか受けたいなと思っています。

 

参加者

お話の中でもありましたが、よくIターンとかで来ると、“死ぬまでここにいろよ“的な、見えない”圧”みたいなのがあるじゃないですか。でも、もしかしたら旦那の都合で転勤になるかも、とかあるじゃないですか。で、お二人はもう飛島で一生過ごすんだろうな、と思ってるのか、もしくはまたどっか行くかもしれないなと思っているのか。その辺を聞いてみたいです。

 

渡部さん

島の人はそういう感じですね。一回戻ってくると「一生島にいるんだろ?」っていう感じで迎えてくださるんですけど、多分うちの会社でもそんな覚悟を持って来てる人はいないと思う。Uターンの私でさえずっと住んでいるかわからないし。実際、今の状況でもし結婚して子供ができたとしたら島では育てられないので酒田に出て行くと思うし。1年後ぐらいまでは想像がつきますが、それ以降は分からないです。島の人はあまりそういう考え方はしないですね。若いっていうか20~30代だからそう思うのかもしれませんが。

 

松本さん

私も飛島にいるかどうか全然わからない。でも島で死んでもいいかなっていう覚悟はあって。最近漁業権を取ったのもあるし、家と土地も買っちゃったんで。それぐらいの覚悟はあるんですけど、今そういう風に覚悟を見せていると言うか。まだ全然考えてないですねそこは。飛島を頭にインプットしちゃえばどこ行ってもいいと思うんですよね。でも私、結構真面目なところもあるんで全員が関係人口になるのは良くないと思っています。でも言わないです。関係人口でいいよって言います。こういう場では。

 

(会場笑)

 

西さん

覚悟を見せないと進め方が大変ですよね。

 

渡部さん

地域の人じゃないと漁業権は持てないので。

 

西さん

私も鶴岡に移住してきて、「あー楽しかったな!」っていってプッと死のうかなっていうぐらいの覚悟で来てるんですけど、「東京に拠点を残していてに2拠点暮らししてるんです。」って言ったら「どうせ東京に戻るんでしょ。」って言われましたね。

 

島に来ないとわからない、くらいが調度いい。

参加者

地域の人と触れ合ってこれからも飛島に来てくれるって言うことでゲストハウスをされる思うんですけども。飛島に来て関係性を作るだけじゃなく、例えば島根で今やっている”しまコトアカデミー”っていう東京で島根のことを勉強して、移住目的じゃなくても勉強した生徒が島根に行って、そこで色んな経験をして。人によっては移住した、っていうこともあると思うんですけど。例えば東京で飛島お勉強をする講座とか、飛島を知って、移住したりとかっていう計画は考えてるんですか?場所はどこでもいいっていうお話をされていたので。

 

松本さん

東京で飛島のお店をやって、とかは考えてはいますが、そんな東京好きじゃないって言うか。人口200人のとこにいると、東京に行くと「ビル一階で飛島何個分だ!」みたいになるんですよね。人付き合いが苦手になるんで、頑張るっていう気持ちではそういうのをやってもいいかもしれないけど、東京の人に協力してもらうみたいな。自分たちは行かない。でも、そういうのっていきすぎると結局VRで飛島に行くとかっていうことになるじゃないですか。だからあんまり出さない方がいい気がしますね。やっぱ島に来ないと分からない状態にしておいた方がいいかなと思います。

※VR:Virtual Riality   仮想空間を現実として知覚させる技術。VRゴーグルなど。

 

渡部さん

イベント的にはアイランダーとか全国の島が集まるようなイベントに出店してそこに来てくれた方にPRっていうのは毎年していて。そういうこともありますね。

 

地元を離れた若者は、”出会い”が戻るタイミング。

参加者

私は朝日村(現 鶴岡市)が地元なんですけど、松本さんは元々山口県の田舎で、大阪にいた後に飛島に来たっていうことですけど、その時に自分の地元ではなく、わざわざ飛島を選んできた理由みたいなのと今の自分の田舎故郷の兼ね合いと言うか、どんな風に考えていますか?

 

松本さん

まず、飛島を選択したって言うか、あんまりそこは考えてなくて。離島で地域を勉強したかったんですね。大阪でデザインを学んで、その時ちょうど震災が起こった時で、「これからローカルが重要になるな」っていう思いがあったので田舎でデザイナーとしてやりたいなっていう気持ちがあって。それで偶然派遣地に飛島があるっていう事業に登録して、島だったら逃げ場がないのでこういう自分でもやるかなっていう。ただそれだけしか考えてなかったですね。なので、そこはあまりこだわりなく。地元のことは…思います。地元もやっぱり同じように過疎化が進んでいて、学校は統廃合したりするんで。自分の力を実家周辺のことに使いたいっていう気持ちはあるんですけど、目の前に飛島があって、やってることがあるんでそれを置き去りにするっていうのは良くないと思っています。だからある程度は飛島をやって、まあ機会があれば山口でもやりたいなと思いますけど、無理やり山口に行こうとは思ってないです、全然。

 

参加者

チャンスとしてはヤバくなっていく中で、「ここ!」って言うタイミングをすごく決めづらいなと思うんですけども。自分のタイミングの中でもしこうなったらっていうの思ったりするフラグがあったりしますか ?

 

渡部さん

何もないでしょ。

 

(会場笑)

 

松本さん

うるさい!笑 いやわかんない全然考えてないですね。

 

西さん

そこで追加で質問したいことがあるんじゃないですか?

 

参加者

東京で働いた時に地元の情報がドンドンきて、今年も人口減りました、とかを知って毎回ヒヤヒヤするんですけど、いつ帰ろうか、いつ動き出そうみたいなのを、力を貯めてからっていう気持ちと、今行った方がいいんじゃないか、ってせめぎ合う時があって。2年間ウェブ系の仕事をやって今こっちで仕事を始めてるんですけど、これで早かったのが遅かったのか正直わからないところがあり。後輩に対しても「今すぐ来た方がいいよ!」って言えない自分もいて。どういう基準で「戻っておいで」とか「戻った方がいいよ」みたいな。高める成長と今すぐ感のバランスの取り方を自分の中でも落とし込めてないので聞きたかった、って感じです。

 

松本さん

あまり計画してもダメで、出会いが大事だと思っています。地元の動きもあるんですけど、どこの地方でも同じような動きがあって。自分の地元のことを知らない人がやったりしていると少し悔しくなって。でもやっぱ、そこの地域が良くなればいいと思うんですよね。誰がやるとしても、自分は今、目の前にあることがまだやってる途中で。でももし、今度地元に帰った時に同窓会があって、昔の初恋の子と再会していい感じになったらいくかもしれないけども。笑 やっぱり出会いなのかなと思います。

 

参加者

自分の心が動くタイミングってことですね。ありがとうございます。

 

合同会社とびしまの基幹産業と今後の展開

参加者

私自身も協力隊終了後に地域で起業したいと思っているんですが、先立つものがなかったりとか、それで生活できるか心配で。こちらは現時点でもう10人も採用活動している上に3ヶ月も有給を取っているということで。こんな聞き方をすると失礼かもしれませんが、黒字でやってるのかどうか、と主な収益はどれか、というのをお答えいただける範囲で教えていただけたらと思います。

 

松本さん

黒字決算はしてます。ただ銀行からも融資を受けてて、返さなきゃいけないお金もありますね。「3ヶ月有給もやって大丈夫か?」っていう意味ではちょっとヤケクソ感があったなぁと思うんですけどでも。基本やっぱ島は春~夏で稼いでるところがあって、秋~冬はほとんど仕事がないので、3ヵ月有給ができたのは飛島ならではのそういう環境があったというところですかね。3ヶ月有給でお金が危なくなる事はまずなくて、むしろそれでスキルを身につけて帰ってきてくれたら新しくまた仕事ができる、って言うのがあるので。事業のメイン収入は宿泊ですね。今、飛島って観光客が1万人来ているんですけど、1つの旅館で受け入れられる人数って年間1,000~1,500人ぐらい。70~80代が運営する旅館・民宿がどんどんなくなっていくんで5軒とか6軒ぐらいは新しくやっても大丈夫かな、っていう。ただ、宿泊だけやってると良くないので、旅行会社を作って全体のパッケージとして観光客だけじゃなくて島を学びたい人とか研修したい人とかにそれを提案していくっていうのがこれから基幹産業になるかなって思います。

 

西さん

それでは丁度お時間となりました。ここで一旦休憩に入りたいと思います。合同会社とびしまの渡部陽子さん、松本友哉さん、ありがとうございました。

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