ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

死を目の前にして、思うこと。

2015/01/29

僕はずっと勘違いしていました。

 

昔から体が丈夫で、自分のことを無敵だと思っていました。

擦り傷程度はするけど、骨を折ったり、内蔵を悪くしたりと、大きな病気や怪我をしたことが無かった。

割とスポーツは得意だったし、体育の授業が一番自信があった。

 

でも、大学のヨット部を引退した次の年に右のアキレス腱を切り、その一年後には左のアキレス腱を切った。

 

その時に初めて思った。

 

「あぁ~、俺は無敵じゃないんだな~。普通の人間だなぁ~」って。笑

 

今では運動もあまりしなくなったし、タバコも吸うので体力が落ちた。ストレスを抱えたり、まともなごはんを食べなかったりすると体の調子を悪くする。

大鳥に来てからも、一日一食しか食べない日がたまにあるけど、胃酸の出過ぎ?で吐き気がしたり、眩暈がすることがある。

 

でも、逆説的でかなりおかしいかもしれないけど、そうやって体の具合が悪くなると「あぁ~、明日にも俺、死ぬかもしれない。でも、ちゃんと生きているな。」と強く感じさせられる。

 

死ぬとか生きるとか…。

 

普段何気なく過ごしているとそんなことを意識することはあまりないと思いますが、僕が天国に近い?大鳥に来てからは頻繁に『生』と『死』を意識するようになったので、その辺をアウトプットできればなと思います。

生きることが当たり前で死ぬことが特別という神話。

今の世の中、人間にとって不都合なものは目に見えないような仕組みになっています。

 

葬式に参列しても、死人の体は拭かれていたり、死化粧が施されていたり、棺桶が綺麗だったり…あらゆる面で施された死体しか見えてきません。

また、スーパーに並ぶお肉だって、解体現場は見えないように加工され、並べられています。

僕もそうだし、このブログの読者の方々もそうやって生々しく、残酷で辛く苦しい部分をみないような仕組みの中で生きてきたはず。

 

その仕組み自体が悪いとは思いませんが、知らず知らずの間に、生きることは当たり前で、死ぬことは特別なことに置き換えられているような気がします。

 

テレビをつければ殺人事件や自殺者が多いとか、そんなニュースばかりが流れてきますがそれは死に方やそのプロセスに問題があるわけで、『死』自体が問題ではない。

そこをキッチリ分けて考えてないと「死ぬことは桃源郷のようなまぼろしで、生き続けることこそが素晴らしい。不老不死こそが人類が手に入れるべき未来だ!」なんてことに…

ここまで大袈裟には考えないかもしれませんが、テクノロジーの進歩で医療や福祉の技術が発展し、ある程度安心できる食材も一般家庭に並ぶようになったから日本人の寿命は確実に伸びてきたと同時に、自分もいつか死ぬんだという認識が遠ざかってきてしまっているように思えます。

 

寿命による死、交通事故死、孤独死、溺死、凍死、転落死、病死…。

死に方を色々ならべてみると、何だか自分とは遠い存在にあるような感じがしますが、転んだら皮膚が傷ついたら血が出るし、頭を強く打ったら脳震盪を起こすし、風邪も引く。

捻挫してしまって歩くのに不自由だとか、虫歯が酷いとか、日常的に起こりうることは色々あるのですが、その全てが『死』に繋がる引き金となる。

 

本来、『死』はそのくらい身近なもの。

だからこそ生きること死ぬことはセットだということをしっかりと自分の中に持っておかないといけないのかなと思います。

 

死が目の前に迫った人たち

僕の住んでいる大鳥地区の多くは、あと何年生きられるかわからない人たち。

高齢化率が70%以上で、全国の集落の中でも限りなく天国に近い集落と言えるでしょう。

 

昨年も、体を悪くして入院したり、リハビリに通ったりする人が2人いました。

体が悪いことを悪く言うつもりは一切ありませんが、そのぐらい、体が限界に近づいているということ。

 

また、「足がダメになってきた。」「歳だから動かれねぇ」という言葉をよく耳にします。

昔は毎日のように働けていたのに今はそんなことも出来ない。元気だった頃の自分と今の自分を重ね合わせ、どこか切なそうに語る姿がありながら、近い将来自分もあの世へ行くということをハッキリと認めているように思えます。

それは、昨日まで家族と同然で支えあってきた人が一人、また一人といなくなってしまう現実を数多く見てきたから。(目を背けずにずっと見続けてきた集落の人達は本当に強いし、尊敬します…。)

 

だからこそ、大鳥の人たちは死ぬことを前提としてしっかりと捉え、今も生きています。

 

明日死ぬかもしれない。

来週死ぬかもしれない。

来月死ぬかもしれない。

一年後死ぬかもしれない…

 

そんなことを心のどこかにいつも秘めていながら、自分の家族のため、自分が育った地域のため、楽しみながら畑や田んぼをし、山菜を獲りにいっているんじゃないかな…。

 

死ぬことを前提とし、生きる

大鳥の人たちに囲まれた環境に住んでいるので、27歳の僕自身も『死』についてよくよく考えさせられる。

 

まだまだ先が長いと言われるのはあくまで寿命的なことであって、何も寿命だけが死ぬ原因じゃない。

今日まで健康そのものだとしても、明日の朝は起きられないかもしれない…。

それが来週かもしれない。1年後かも。5年後かも。10年後かも。

いや、まだまだ50年は生きるかもしれない。

 

自分の死ぬ時期なんて誰にもわからないものですが、少なくとも言えるのは、

 

死んでしまってはできなくなることを、生きているうちにやっておこう。

 

ということ。

 

輪廻転生があるかもわからないし、天国・地獄なんてどんなところかわかりません。

祈っていれば行けるところなのか、ボランティアをしていれば行けるところなのかもわかりません。

そんな死後の世界を心配するなら取り敢えずエンディングノートぐらいは書いておくとして、生きているうちは文字通り生き生きと暮らしている方がよっぽど人間らしいのではないかな…。

 

目の前で沢山の人を失ってきた大鳥の人たちを見てきて、そんなことを学びました。

 

終わりに…

僕も2年前に80歳間近のおばあちゃんを大動脈瘤破裂で亡くしました。

たった一晩の出来事でした。

 

「こんな姿になってしまってなぁ。」「かわいそうになぁ~」「僕が先に逝かなければいけなかったのになぁ」85歳を迎えるおじいちゃんが病院で恥じらいもなくワンワン泣いている姿をみて、僕もワンワン泣いていた。

足を悪くしてもっぱら家にいることが多い夫婦ではあったけど、仲睦まじく暮らしてきた様子が、棺桶に詰めた思い出の品から伝わってくる。

唯一無二の妻を失って生きる意味も失い、暫くは傍から見ていても生きる気力が無かった。

 

最愛の人を亡くす痛みを知らない僕に何ができるだろうか…

 

実はおじいちゃんは物書きで、定年後に文章を書いては様々な新聞社や雑誌などに投函しては取り上げられたり、コラム集に掲載されたり、賞を取っていた。

だから、高価なものではないけれど万年筆をプレゼントした。

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おばあちゃんがいるはずだった、金婚式のお祝い。

 

おじいちゃんの文章は人の心を動かす力がある。

定年過ぎてから好きで続けてきた書き物を、これからも続けて欲しい。

今なお、書き続けているのは、きっと死ぬまでに自分の思いや考えを文章に乗せて残していきたいから…。

 

おばあちゃんが亡くなってから書いた文章が東京新聞で取り上げられていたので、最後におじいちゃんの記事を引用させてもらい、僕も筆を置きたいと思います。

 

亡き妻に宛てたはがき    東京新聞 「あけくれ」 から

 

七月下旬、60年連れ添った妻が、大動脈瘤破裂で、一夜のうちに急逝した。何の反応も示さなくなった臨終の穏やかな顔をさすり、いつまでもこうしていたいとつらい別れの悲しみは、いまだに癒されない。

 

49日の法要も済んでしばらくしたある日、形見分けの遺品を整理した。押し入れの隅の柳行李から古びた手文庫が出てきた。ふたを取ると、妻が戦中の学生時代の思い出の品が詰まっている。

 

底には見慣れぬ色あせたはがきをしまい込んでいた。

 

差出人は千葉県館山海軍航空隊の予備学生。 「前略 心のこもった千人針をありがとう。出陣には腹に巻き、戦果をあげる覚悟です。あなたも学徒動員の工場で、銃後をしっかり頼みます・・・」

 

青インクのペン字で綴られた重い文面である。途中から堪えられなくなった私は思い切ってその郵便物を庭の落ち葉にたきくべた。

 

秋風に揺れて立ち上る白煙が眼にしみた。私は心の中で念仏を唱え、妻の冥福を祈った。

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