ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

地域に昔からある”メンドくさいこと”にこそ価値がある。というお話。

今日はちょっと回想記。

ども、田口(@tagu_h1114_18)です。

 

とあるご縁で、今年の4月下旬に鶴岡市の田川地区というところの祭事でお神輿を担いだ。

ワッショイワッショイ。

 

僕はその地域に縁もゆかりもないけれど、以前市役所でお世話になった人がそこに住んでいて、「神輿の担ぎ手がいないから手伝ってくれ!」とお声がかかったのだ。

どんなお祭りなのかサッパリわからんけれど、お世話になった人からの頼みだし、とりあえず「バイト代が出るからいっか。」なんてノリで引き受けた。

 

鶴岡市田川地域の神社でお神輿を担いだお話。

車を走らせること1時間。待ち合わせ場所に到着してからは、神社まで一緒に歩いていった。

ついたのは田川八幡神社というところ。見た目は普通の神社でした。

2015-08-10-01

引用:史跡と自然 山形の消えゆく史跡と自然を巡る終りの無い旅 http://www.ic-net.or.jp/home/rinet/ytrokptagwhcmnjnjy.html

神社の境内に足を踏み入れると、なんだか少しタイムスリップした気分になる。

とかく目に飛び込んでくるのは木造ベースの神社。それを囲むようにそびえる杉の木々。朝10時から人の声で賑わう神社の境内。明治・大正・昭和初期の子供たちが遊び場にしていた賑わいを思い起こすような光景。

ポッケにスマホが入っていようが、神社の前に車が止まっていようが、服が洋服であろうが、境内に立ち、見える世界は全て、過去と繋がっているように思えてくる。

 

神社の中に入ると、そこでは粛々と神事が執りおこなわれていた。五穀豊穣を祈るお祭りを意味するそう。裃(かみしも)や袴といった、昔と変わらぬ正装に身を包む人たち。神棚にはお供え物。乾きモノやお料理が並べられていた。

参列する人たちは正座をしたり、あぐらを組んだりしながら神事を黙って見守っていた。

昔であれば正座をしなければいけなかったのだろうが、多少は簡素化されたのであろう。

 

神事は一時間半ほど続いた。

「一つ一つの言葉、所作にはきっと意味があるのだろう。」そんなことを思って眺めていたが、意味がわからない時間が長く、緊張感も途切れてしまった。

 

神事が終盤に差し掛かった頃、地元の人に準備するよう声をかけられた。担ぎ手は準備のために白装束を着て、烏帽子をかぶり、手ぬぐいを頭にまいた。足にはわらじ。昔ながらのわらじを履くのは初めてだったから少し苦戦。

神輿に向かう前に、大きな大きな厚揚げ(庄内地域では”あぶらげ”という)を食わして貰った。お金がなく、現代のようなまともなメシが食べられなかった時代、あぶらげは安くてお腹をいっぱいに満たしてくれる、庶民の味だった。あぶらげに刻みネギをのせ、醤油をドバっとかけるだけ。僕、こういうの、好きです。

それに、お神酒(日本酒)を「飲め…」と言われておちょこを手渡されたが、車の運転があったので断らざるを得なかった…残念。

 

着替えが終わり、軽い食事を済ませた後、いよいよ神輿を担ぐ

僕と同じように助っ人として外部から呼ばれた人が3人。それ以外に地元の若者が9人の計12人で一つの神輿を担ぐ。重量は確か500kgくらい。

境内におかれた神輿を担ぎ上げ、境内をサッと一周。その後、休むことなく神社のまわりを3周するというコース。

最初はよかった。疲れも溜まっていなかったし、担ぎ手に威勢があった。

これが神社の2週目に差し掛かると、苦痛に変わる。階段の上り下りでは、神輿の重さが倍に感じる。「あいつ、サボっているんちゃうか!?」という疑心暗鬼はお互い様。とにかく「落としたらヤバイ…」という気持ちだけでしか、担げない。それ以外のことは考えられない。

3週目に差し掛かった瞬間に、「あと一周で終わりか!」という安堵より、「もう一周あるのか…」という絶望をみる。

3週目が終わり、神輿を台座におろした時には全身

終わってみれば、30分間も神輿を担いでいた。

肩にズキズキとした痛みが残り、太ももには力が入らない。疲れて眠たいというよりは、局所的に疲弊し過ぎていて、眠りたくても眠れないような状態。

 

担ぎ終わった瞬間、素直に「来年はやりたくない」と思いました。だって、めちゃくちゃツラいんだもの…。

けれど、僕を助っ人として呼んでくれた人が、"ちょっと言いこと"を教えてくれました。

 

メンドくさいことにこそ価値がある。

「こういうモノは、はっきり言ってしまえばメンドクサイものなんだよ。」

執り行われている神事を見ながら、神輿担ぎに呼んだくれた人がスパッと核心を付いたように口を開いた。

「神棚に備える料理やお神酒も用意しないといけないし、神輿の担ぎ手の正装も用意しないといけない。神事ができる人を呼ばなければいけない。神輿の状態もみないといけなしし、もっと細かいことを言えば、地域の人に知らせる段取りだって。やること自体にお金がかかるし、これらを基本的にボランティアでやる。」

僕:「そうですよね。大鳥のお祭りも同じようなものです。」

「月~金まで働く現代の働き方・暮らし方の中でこんなことをやっていたって、大変に決まっている。だけれども、地域として何としてでも次に繋げていかなければいけない。このお祭りは地域を象徴するもの。それに、見る人がみればとてもオモシロイと感じる人もいる。」

「長い歴史の中でも今は過渡期。農山村は、山があり、田んぼもあり、資源に恵まれていて貧しくとも暮らしやすいところだった。今では人口が減り、高齢化が進み、今までやってきたことを維持だけでも大変な時代になった。けれど、この苦しい時期が永遠に続くとも思えない。この過渡期が過ぎればまた持ち直すかもしれない。だから、この時期を抜けるまで、お祭りを何としてでも次に繋いでいかなきゃいけない。」

力強い言葉だった。

 

お祭りは、昔に比べれば簡素化されてしまったらしい。神棚に並ぶ食事は昔ながらのものだけれど、作られたモノを買ってきたりしている。担ぎ手は基本地元の若い者で構成されるべきはずだが、外部からの助っ人に助けてもらっている。その他、細かいところでもきっと、簡素化されている部分はあると思う。けれど、このお祭り行事だけはなくしてはいない。

僕の目の前で行われていた神事は、間違いなく田川八幡神社でしか表現できないモノであった。きっと、その背景には田川地域の暮らしや生業、屋号、方言、性格、食事、宴といった『土着』を帯びていたのだと思う。

 

そしてこの『土着』は、僕の目にはめちゃくちゃオモシロく映るものであった。

 

終わりに…

地域に高齢者ばかりがいたり、地域の活力が弱まってくると、いろんなモノゴトを簡略化したり、お金で解決するようになったり、辞めたりします。僕の地域でもそうです。

地域においても取捨選択は必要だと思う。今まで100人やってきたことを、将来50人に人数が減っていくとして、同じ規模を維持するのは無茶だと思う。適正に収縮していくべきだろう。その中で、維持できないモノ・必要ないモノは捨てる。

けれど、地域としてなくしてはいけないもの”はソフトであろうがハードであろうが、死守する。何としてでも次に繋ぐ。

 

地域の色に関わるモノ。地域を象徴するモノ。

例えば、寺・神社・信仰・祭り・唄・文化・工芸・文献・建物、伝統料理、狩猟・採集、農耕、マタギ…など。

そういう土着、超ローカル、超ドメスティックなことが、自分たちの暮らす地域を世界で唯一の地域であることを教えてくれる。その地域での暮らし方を教えてくれる。

そしてそのドメスティックさに惹かれて、人が訪れてくる。

 

地域性そのものが、使い方によっては武器にも盾にもなる。

これからはそういう時代だと思う。

 

せば、またの。

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