人口わずか1600人の里山で働く魅力とは?!岡山県西粟倉村と『森の学校』を訪ねて…
2015/01/29
かつて町や商店街が景気が良い時には賑わっていた頃に、若者がドンドン都会に移り住み、今となっては限界集落やシャッター街だらけ…
しかし今、村として、街として、地域として、自然という豊富な資源の価値を再発見し、地域の再生にチャレンジしている地域が増えています。
僕が昨年お邪魔してきた岡山県の西粟倉村もその1つの地域です。
西粟倉ってどんな村?
西粟倉は、岡山県と鳥取県と兵庫県の3県の丁度境目に位置する、山と森に恵まれた豊かな自然の多い村。
昔は牛で農地を耕していた地域で、牧草豊かな農地であったそうですが、1964年の東京オリンピックの頃を境に貨幣経済がすっかりと浸透。西粟倉村にもエネルギー転換によって電気・ガスが普及し始めました。
工業化が進んだ結果、耕運機などの手間が掛からない画期的な機械が導入され始めた結果、今まで必要とされてきた牛達の存在意義が失われ、徐々に牧草地も減っていってしまいました…
小さな村として、一つの有り方を見出していた西粟倉に、大きな転換期が訪れる。
2004年にいわゆる『平成の大合併』が日本各地で行われ、西粟倉もその対象として美作市という大きな市に合併するよう協議が行われた。
しかし、西粟倉は代々継承していける村として、自分たちで自立していける村という攻めの姿勢の選択をとり、その合併から離脱、独立の道を歩み始める…
その後、この村をどうやって自立したいいのかという協議の中で、西粟倉の土地の95%が森林であるという特徴を生かし、2008年に「100年の森林構想」という大風呂敷を広げた。
西粟倉の大事な大事な想い「100年の森林構想」
一度木を植林したら、木材として使えるようになるのに約50年間。
これだけ時代の流れが速くなっている中で、50年間という期間は、途方もなく長い時間に感じるかもしれません。
20歳に植えたら、70歳に立派な木として成長する。
単純に木の成長を見守っていくだけの人生になってしまうように思えます。
でも、果たしてそうでしょうか?
人間って、どんな人でも、先祖代々の血を受け継いで、今生きている。
昔の人が残してくれた、生きていくことに欠かせない大切な自然を、利便だけの為に消費していくだけで良いのでしょうか?
この木々をあと50年手入れを続けたら、こんな立派な100年製の木に囲まれた村ができる。
昔に比べていなくなった魚もきっと戻ってくる。
小さい時に遊んだ豊かな森で、自分たちの次の世代も生きることができる!
そんな地域が作れるんじゃないか!
そんな想いを形にしようと、西粟倉の行政と住民が一体となって、次の世代にも受け継いでいけるように森林を管理したり、木材を利用した製品を作ったりして村づくり・森づくりに取り組んでいます。
『株式会社 西粟倉・森の学校』との出会い
森の学校との出会いは、西粟倉で出会った2人の若い女の子でした。
しかも2人は生まれも育ちも西粟倉ではなく、関西の超有名大学の出身とのこと。
今、二人は部屋を借りて一緒に住んでいるのだそう…
わざわざ都会を離れてなぜ西粟倉に住んでいるのか。
何か理由があるはず…
そう思って聞くと…
大学生の時に、インターンでたまたま知った『株式会社 西粟倉・森の学校』の活動に興味をもったことがキッカケなんだとか。
有名な大学を出ているので、普通に就職すれば大手企業の就職口なんていくらでもあるはずなのに…
岡山県のド田舎に暮らす魅力が果たしてどこにあるのか…?
『西粟倉・森の学校』という会社の役割
『西粟倉・森の学校』は、西粟倉の森の恵みを感じてもらう為の営業兼情報発信の役割として、2009年に京都大学出身の牧さんという方が立ち上げた、今若い人から注目が集まるれっきとした株式会社。
森の学校は地域の営業部隊。
現在の田舎の林業や農業などの産業は、都会や大企業の下請けのような錯覚を覚えてしまいます。
林業は安くて大量に仕入される外材に押され、農業は米の価格を維持するための減反などにより、専門でやっていくにはあまりにも厳しい状況…
そんな状況を打破すべく、西粟倉の人たちが、自分たちでお客さんを作って、西粟倉のファンを作って、その人たちに村の人の思いを伝えて、商品を開発して売っていく…
村で自立をしていく為に、地域に眠っている人や資源の価値を掘り出し、商品を開発したり、地域の人のチャレンジをサポートする場作りをしている、そんな会社です。
地域をプロデュースするという意味で、地域商社とも言われています。
具体的には、西粟倉で生み出される森林を加工して作られる製品、源流の水からつくられる「メダカ米」などの米や地元でとれた農産物、鹿肉、椎茸、なめこなど、地域資源を最大限に活用して『ニシアワ―』としてPRし、一人でも多くの人に西粟倉ブランドを届ける活動をしています。
森の学校の拠点は、廃校になった学校を、学校の雰囲気を残しながらリノベーションをした空間になっていて、中には木の家具に囲まれた何とも優しい雰囲気のカフェ、間伐材を利用したモデルルーム、スギやヒノキの間伐材を使った優しい木温もりの感じる家具や雑貨の販売、木工体験教室などなど。
自然のありがたみを感じれながらも、どこか懐かしい雰囲気の学校です。
西粟倉製の家具がいっぱい…
終わりに
なんで西粟倉に外から人が集まるのか…
そこには単純な理由があることに気が付きました。
夢があるから。
今までの歴史を受け継ぎ、今後もずっと森が森で、村が生き生きとした村であり続けるために、村にいる人達が楽しく豊かに暮らしている姿を見ると、本当にいいところなんだろうなと感じます。
なんで若い人も集まるのか…
それはきっと、この村が、自治体が、変わろうとしているから。
考えてみればそうなのですが、今自分が持っている価値観とは違う、若い世代の人たちがいつも時代を作っています。
西粟倉は、『日本一有名な村になるぞーー!』と青春を謳歌するかのような人がいるくらい活発な村で、今後の更なる村の発展のひと役を担うことに、生きがい・やりがいを感じる若者が集まる村となっていくと思います。
『「衰退していく田舎」というイメージを覆すチャレンジをし続けていく西粟倉村で生きてみる』ということも、一つの選択肢ではないでしょうか?
最後に、今回の旅のお供をして頂いた、ヒッチハイクで出会った大阪在住の萩原さんと、西粟倉の山の大自然に囲まれパシャリ♪
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