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小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記 (2/5) あした天気にな~れ!からの転載

2016/04/21

この記事は、歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記 (1/5)の続きの記事となります。


○5月3日

世の中ゴールデンウィーク真っ只中。それでも私は病室でボーっとしておりました。そこへ看護婦さんから、散歩のお誘いです。(土・日・祭日は基本的にリハビリ等がお休み)さわやかな風もあり気持ちの良い日でしたので、ありがたく散歩に出かけることにしました。

車椅子の後を優しく押されて、遠くの山々まで一望できる裏庭まで、ゴトゴト…深呼吸して息を吐き出します。その後は口がかってに動いて、止めどなく言葉が出てくる出てくる…看護婦さんは、私の重い心の内を思いやり、長い時間お話を聞いて下さいました。心の中に、風がフッと吹き抜けていく感じがしました。
「ありがとうございます」

 

○5月5日

病院のスタッフさんから、私のバースデーカードを手づくりして持って来て下さいました。感激です。夫と息子も、バースデーと母の日をかねて、花かごを抱えて来てくれました。皆が私のためにサプライズを運んで来ます。皆さんに感謝しておりました。

 

○5月7日

ゴールデンウィークを過ぎるとだれしも気が抜けがちになりますね。ウキウキした気分はその日まででした。月に一度のリハビリDrからの回診です。

「あなたは今後車椅子生活ですよ」と、Drは私の目を見てしっかりした口調で話されました。

あの日は廊下にあるリハビリ台で、Drからの診察があるのを待っておりました。数人のDr、看護婦が回診してこられました。私にその場で、手すりにつかまり、車椅子から立つように指示がありました。

実は私の脊髄梗塞の病は、両脇を手でつかみ腕力で立つことはスムーズに行えます。しかし人間が本来立つ姿勢とはちがいます。人は前におじぎをするように頭が下り、膝がそれに連動して伸び、お尻が上がり、立ち上がりますね。私は前に倒れこむ神経が壊れているのか、力がないのか、前の手すりに掴まり立ちする事が出来ませんでした。『いじわる!』そんな思いが私の脳裏を走りました。何度チャレンジしても出来ません。Drは初めから出来ない事を知りつつも、皆の前で立つように指示をされたのです。私の顔がこわばり、今にも涙がこぼれそうです。

後から思うと、Drもこの時辛い決断を下していらっしゃったのだと思います。脊髄梗塞の病でのリハビリ入院期間は、国で6ヶ月間と定められていました。この限られた期間に、社会に出て生活を自立させてやる役目がありました。気持ちを整理させ、患者の未来を見据えたリハビリを行うように導く必要があったと思われます。リハビリ中の動画は、そのための検討の目安になっていたのでしょう。今ではDrに感謝していますが、『きつかったな~』と―言わせて下さいね。

気持ちが落ちたせいもあると思いますが、そのころからステロイド薬を減らしたためと思われる痛みが強くなっておりました。ヒリヒリ。ビリビリ。火傷をしたような痛みが腰から足先まであり、微熱まで出てきています。

 

○5月12日

体調の不調が続きます。今日は頭も痛く、血圧を測定してもらうと、180/100、体温:T36.6、脈:110、夕食も摂れず目を伏せて休んでいました。熱はないのに頭を氷で冷やす楽でした。そうして安静にして過ごす日が2~3日続きました。(痛み止め?)別の種類の薬が一錠追加になりました。その薬が効いたのか、だいぶ楽になりました。

「あー山を越えたかなー」今日は入浴が出来るとのこと。さっそくでしたが、トローリー浴(ベッド浴)から、チャーアー浴にステップアップしました。少しずつ生活改善もされています。

 

○5月16日

病院の窓ごしから、田んぼが広く見えます。田植えの景色が、季節の移り変わりを教えてくれ、かえるの大合唱がそれを後押しているようです。

体が楽になると、今度は周囲が気になり出しました。4人部屋の病室では、私以外皆さん高齢の方でした。お話しの内容がチグハグで、聴かないつもりでいても大声で話されるもので、私の頭が混乱します。行動も危なっかしく、自分は動けないくせに気が気でないもどかしさに駆られます。これが24時間、毎日です。夜はかえるの大合唱で気をまぎらすようにしても…。

やっと落ち着いた体が、気が休まらない感じです。「ごめんなさい、同じ障害者同士なのに、我慢できなくて…」師長さんにお話しすることに。

 

○5月18日

病室を移動させてもらいました。『我がままを許して下さい』

移室等で疲れたのか、血圧が上がり(160台)ベッドで休んでおりました。夫が様子を見にきて心配そうにしていましたが、家のリフォームの図面を見せてくれました。夫も忙しそうで、これから出張に行くと言います。静かなお部屋に移室したせいもあり、一人心ぼそい思いがしておりました。

 

○5月20日

今日は回診日。「最近の血圧の変化は、自律神経のバランスを調節出来ていないためと思われる」と、主治医よりお話がありました。寝る前の薬(安定剤)が、またもや一錠増えました。

 

○5月22日

入院して5ヶ月過ぎた頃、初めて院内の大先輩になる年上の友人のような方に巡りあいました。夜もだいぶ眠れるようになりました。痛みや、おトイレで目が覚めたりはしますが、寝つきがよくなり体がだいぶ楽になりました。夜間等はP(ポータブル)トイレでの排泄ではありましたが、日中は病室外にあるおトイレへ行くキッカケが持てたのもこのころでした。そのために、スタッフさんへコールを押す回数を増やしてしまいましたが。。。

 

○5月24日

スタッフさんからの様々な支援に対して、感謝しきれません。私の一般障害者用トイレでのチャレンジを後押して下さいました。トイレの前に”使用中”の札を作ってくれたり、私がトイレの便座に手をついて、プッシュアップ移動するのを見て、アルコールをセットしてくれたりと、いろんな配慮をして下さいました。一般トイレでの練習を重ねて、『1人でおトイレの排泄を行う』という目標が具体的になりつつありました。
しかしいろんな上り坂、下り坂があるように、トラブルは突然にやって来ました。「ストーン!ドン!」それは一瞬の出来事でした。リハビリ室で膝立ちの練習を行っていた時に、ストーンとお尻を、リハビリ台の上に落としてしまいました。一瞬ハッとしましたが、さほど痛みもなかったので、様子を見ることにしました。不自由な体にとって、こういった転倒はある意味付き物かもしれませんが、この痛みが思いのほか長く続くことになり、リハビリへも影響することになったしだいで。

 

○5月26日

昨日の尻もちが気にはなりましたが、退院に向けて忙しい日々が待っていました。午前、午後のリハビリ等の合間をぬうように予定が入って来ます。今日は初の自宅訪問日です。福祉用品関係者、相談員、リハビリスタッフさん、自宅リフォームを受ける大工さん、家族、私で計10名が我が家に集い、話し合いをしました。特に緊張していたのが、父母と夫でしたが、皆様お疲れ様でした。

 

○5月27日

私の事だけではありません。今日は母の事で地域包括相談員と、父が相談です。次々と大変な事が我が家に起きていたようです。母の病は、私の不在から来る不安が大きかったと思います。『バーちゃん、ごめん』こんな家族を一気に背負う夫の心労は幾何のモノがあったことでしょうか。この苦労はこの先も長く続いて行くことになります。

 

○5月28日

「痛い!!暑い!!」思わず息子にメールを送りました。”七分袖のT-シャツを買って、(半袖だと肘が痛いから無理)SサイズならメンズでもOKだョ”

まったく困った母です。入院して一番困ったのが、下着の購入でした。真冬に倒れ入院した私が、雪景色から若葉の春を経て、今は青々とした草木が目に眩しい初夏を向えたのです。初めて息子から衣類を買ってもらい、嬉しかったことを思い出します。「ありがとう」

 

○6月2日

一週間経つのにまだ、お尻のつけ根の当りが痛み続けていました。院内でレントゲンを撮ることになりました。結果は有りがたいことに”異状なし”でしたが、気になります。病も気から―。またご迷惑をかけっぱなしですね。

 

○6月3日

身体障害者申請が、何度の調節を行い、ようやく申請完了しました。これは、私がこの先、生きていくために必要な証明書です。発病してから、6ヶ月が経たないと申請出来ないそうです。(参考に― 手数料¥4,360円、申請後、最低3ヶ月間が経たないと取得が出来ないそう)多くの方々のお力を頂き、7ヶ月近く要し申請されました。感謝します。

 

○6月4日

「あー暑い!」6月に入ると気温が30度になりました。リハビリ病院内は、なかなかクーラーが入りません。クーラーで体の痛みを訴える方が多いとか―。体温調節の難しいこの体、足がパンパンです。足を頭の上まであげて、ストレッチです。

また体中ベタベタです。入浴は、週2度。瀕回に体を拭くしかありません。朝一度タオルを頂きますが、後は自分で拭くことに。タオルを洗うのもこの体では大仕事。頑張って!!

最近、体の痛みを10段階の数字で記録に残すと体の調子、痛みなどを知る目安になると作業療法士(OT)さんに聞いて、試みております。気温の高い日は寒い日と同様に痛みが増すようです。今日の痛みの値は、7番目ぐらいでしょうか「痛いヨー!」と。

月に一度のリハビリDrからの回診です。このごろの私の体の不安定、痛みの改善がなかなか進まないことを心配されていました。在宅生活がスムーズに行くように、ペンイクリニック(麻酔科医による緩和ケア―)や、掛かり付け医へ繋ぐために紹介状を準備して下さるそうです。「本当にありがたいことです。」


歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記 (3/5)へと続く

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