ひろろーぐ

小さな山村で暮らしながら、地域社会、民俗、狩猟、採集について考察・再定義するブログ

歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記(4/5)

この記事は、歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記 (3/5)の続きの記事となります。


○7月8日

今日はリハビリ病院の相談員との長いお話となりました。その間にも、家のリフォームの細かい所についての聞き取りがお話の合間に入ってきたりと、あわただしい日となりました。このころはまだ長い時間作業を行っていると、頭が重くなったり、体の痛みが強くなったり体力的にキツイところがありました。それでもスタッフさんや多くの方々が、一人の障害者をリハビリ病院から退院させた後の生活を支える為に努力しています。『ありがたいことだなー』

その晩は疲れたせいか痛みが強く、トンプクをもらい休むことになりました。

 

○7月10日

車椅子の測定日です。私の体に合った、世界で一つだけの車椅子が作られるそうです。車椅子に半年以上乗車して知ったのですが、座巾、高さ、重さ、タイヤの大きさや羽上げ付き、フットサポートの取り外しや、背もたれ、座面クッション、カバー…それら何一つ取っても、わずか1㎝違っても車椅子に乗車した感じや、機能性が違って来ます。ついては、私の足になるのですから…なかなか決りそうにありません。大変でした。

 

○7月14日

やっと週末になり、ホッとできるでしょうか。会社の同僚が、小さな男のお子様を連れて、リハビリ病院に面会に来てくれました。会社ではバリバリの仕事ぶりなのに今日の彼女は優しいママのお顔です。「キャッキャ」とはじける笑い声と、かわいらしい姿がなんとも言えません。『ハンサムボーイだなー!パァーと明るくなったョ』楽しい時間をありがとう。病気で倒れてからずーっと、いろいろと支えて頂いた友人に、心から感謝しておりました。このご恩を私は、忘れることはないでしょう。何も恩返しは出来ませんがお体を大切にして、お仕事と暖かいご家庭を大切にして下さいね。

 

○7月16日

9:30~両足の装具を作るために、技師が直接病院に訪問されて測定が行われました。サランラップを足に巻き、その上に石ころのような物を足に巻きます。少し固まった所で型取りが終了しました。14:30~15:30まで、障害者支援専門員の来院があり、私の障害者認定調査がありました。心の中に詰め込んでいた思いが溢き出るがごとく、言葉が口から出て来ます。今思い返すと、少し話が過ぎたと、恥かしくなります。調査よりも相談に近くなったような。

 

○7月17日

17:00~主治医より、夫と私を交えて面談です。8月初めには、病院を退院してほしいと促すお話しがありました。あんなに退院したかったはずなのに、今は困っていました。体力の面からも心配が多くありましたが、それよりも自宅リフォームが予定より遅れていました。ちょうど震災後で、住宅工事が込み合い、資材不足や、工事を行う大工さんが不足していました。私は環境が整わない所での生活はままなりません。そんな事情を夫が先生に説明してお願いする形になっています。病院側は、法律の括りからリハビリ病院での入院期間が限界にあることを訴えていました。夫から障害手帳の認定書が届いた事を伝えられたのもその日の事でした。封を開けて沈黙がしばらくの間続きました。重い一日でした。

 

○7月18日

16:30~福祉用具専門店職員の訪問がありました。担当職員は、優しい目線でありながらも、的確なアドバイス、判断をされている方でした。担当職員と話しをしている最中に、夫が自宅リフォームを行っている大工さんと携帯で話していました。「8月8日、大安。よしその日退院する」この瞬間に退院日が決まりました。福祉用品はその日までに整うのでしょうか?!担当職員から車椅子以外は、ギリギリそろうと思われると返答がありました。後20日間しかありません。いよいよ忙しくなります。車椅子も福祉用具店の方で、無料で貸して頂さるとか。ありがたいことでした。こんなふうに一つ一つ在宅生活へのステップが開かれていくようでした。

 

○7月19日

緊張する感じの日々が続いておりましたが、お見舞いにいらして下さる多くの友人や、家族に救われておりました。友人が手作りの針箱セットや(小物を使って、作ってみたらとの思いでしょうか)美しい刺しゅうの本を手みやげに、笑顔で訪れて下さいました。暖かな友人の心遣いに嬉しく思う日になりました。次の日の20日(日曜日)には、若いご夫婦がかわいらしい女のお子様を連れて面会にみえました。病院の庭に面して廊下の長椅子に腰かけ、車椅子の私の目線に合わせ、外のキラキラ光る景色を眺めていました。その中でおちびちゃんのヨチヨチ歩く姿が溶け込むように、優しい時が流れていました。『あーこのまま光の中に、本当に溶け込めたら楽だろうな~』と、思ってしまう時間でした。かつて自分が元気な頃には、彼らと一緒にお仕事をしていた時もあったっけ。どうして変ってしまったのだろう?!おちびちゃんがヨチヨチ歩きで…。廊下の先を目指して歩み始めました。それを追いかけようとすママの姿。「もうあきたのかな!」光が弾けたように我に返り、笑顔で帰っていくご家族を見送ることになりました。何度と周りの方々に励まされて今があります。『ありがとうございます。』

 

○7月22日

今日のリハビリは調理を行う計画立てでした。『何つくろうかな?』

キッチンは横長に作られていますね。車椅子は、そのキッチンの台に対して垂直に向かないと作業しにくいのです。手の届く50㎝位までの範囲を越える度に、移動します。①手を拭く②ブレーキを外す③後にバック④横に切り変える⑤前進⑥キッチンに垂直になったらブレーキをかける⑦作業…をくり返す。(手を洗う、器具類をセット、食材をセットし洗う、食材を切る、熱を入れたり、冷やしたり)…時間が掛かりすぎる。それに重い鍋類は持つのが難しい。一番困るのは、高い所に手がとどかない…。私は家に帰ったらどうしても『家族の為に、食事の支度がしたい』のですが、大丈夫?!

口当たりの良い物で、家庭的なご馳走―「ちらし寿司なんかいいかな」調理実習を計画していました。

 

○7月23日

退院前の総合病院への通院でした。在宅生活を前提とし、バックアップを考えた掛かり付け医へ繋ぐために、リハビリ病院主治医から紹介状を頂いてきました。しかしめずらしい病気であり、開業医が見つからないこともあり、このまま総合病院での通院が可能らしいです。ありがたいかぎりです。8ヶ月間も医療の元で守られていたわけで、急に普通の生活へ戻るだけのことなのに、不安でいっぱいでした。薬の調節もまだまだで、体の調子にも自信が持てないありさまです。相変わらず足の痛みがあり、最近は足の浮腫(むくみ)が強くなっている状態でしたので、総合病院での通院継続には、皆が安堵したと思います。

 

○7月25日

16:30~在宅生活を支えるさまざまなサービス利用の為に、担当者会議が開催されました。障害者支援相談員、訪問リハビリさん、訪問ヘルパーさん、通所施設の担当者、福祉用具担当者、リハビリ病院の相談員、リハビリスタッフさん、夫と私:計10名が参加されました。多くの方々から私はこの先も支えられて生きて行かなければならないのですね。『申しわけない感じがします。』

この会議で多くを知る事になりました。難病でもなく、特定疾病にも入っていない私の病は、障害者枠のみでの支援になり、訪問系のサービスに頼るようになるらしいこと。通所リハビリを期待したものの、あまり期待できない現状があると知りました。地方では障害者のバリアフリー化が進みにくいらしく、私が一歩外に出ると、障害者トイレ等を探すのも難しいらしく、(歩道を車椅子での走行等も難しい―これは後で知りました)通所施設といえどもなかなか自分の思うサービスが難しいらしいと知りました。(合理的配慮義務には過度な負担はないことからバリアフリーにはいたっていないところもあるわけとか)…大げさだと思われるかもしれませんが。例えば、突然に災害等にあい避難したとします。普通、一番に思うのは『おトイレは?食べ物は?休むところは?』と心配すると思います。障害者は健常者以上に困ってしまうことになります。

 

○7月26日

昨日の担当者会議の際に福祉用具担当者より災害用の使い捨てトイレのサンプルを頂きました。今夜はそれを実際にP(ポータブル)トイレにセットして試してみることにしました。一晩分の排泄を漏れもなくキャッチ!それを朝ゴミにポイ!と捨て終了。大成功でしたので、自宅に帰ってからもPトイレにセットして、それを朝自分でゴミに捨てようか!!(夜間安全を考え退院後の不慣れなトイレは、Pトイレを使用する予定でした。そのためPトイレの後始末を心配しておりました。)夫も賛成してくれ、災害用使い捨てトイレセットを一ヶ月分購入したしだいです。しかしお値段が高い。一ヶ月分(30日分)4,500円でした。(バケツに紙オムツを拭いて排泄するようなタイプ)使用後はゴミとして捨てる。

それでも夫は、おまえが一番気に掛けてる排泄が自立するなら良いと、続けられる間は購入して行こうと!『ありがとう。本当に私はめぐまれているなー』と思いました。


歩けなくなる難病でも料理とトイレは自分でやってやる!在宅生活に向けた”脊髄梗塞”リハビリ日記 (5/5)へと続きます。

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